其ノ十六 手鞠

 おりくの様な大商家のご婦人が、ともの者も連れずに外へ出る事など普通は有りませんが、この時のお六は、護身用ごしんようの短刀だけを身に着け、まるで青い人魂ひとだまがふらふらと彷徨さまよでるようにあてどなく歩き続け、とうとう、女中たちが噂をして居た町はずれの小路に有る、夕顔のつるの這う切懸きりかけの立つあばら家の近くまで、辿たどり着いてしまいました。


「こんな場末ばすえまで来て……私は一体、何をして居るのだろう」


 お六は昨夜から放心状態が続き、自分で自分が何をして居るかもおぼつかず、ただ心の底からふつふつと、自分の夫を奪ったお夏とその娘への憎しみが湧き上がり、もしも今ここに二人が現れたなら、私はこの短刀で差し違えてしまうかも知れない……、そんな恐ろしい事まで脳裏をよぎって居たのでした。


 そこへ、

「あ、まりが……。ばあや、来て!」


 と片言で話す、数え二つ位のよちよち歩きの小さな女の子が、誰かの手作りの品と思しき、藍色あいいろの玉に薄紫の木綿糸を巻き合わせた素朴な古い手鞠てまりが転がって来るのを追いかけて、お六の立っていたかどの店の軒先のきさきの所まで、駆け込んで来たので御座います。



 明日に続く

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