其ノ十五 枕

嗚呼ああ……、苦しい。どうか、どうか調伏ちょうぶくを、調伏をお緩め下さい……」


 江戸日本橋に大店おおだなを構え、その上がりで優雅に暮らすこの城下一の豪商、四ツ井よつい家の嫡男ちゃくなんの正妻で有り、隠居した大奥様の後を任され、国元くにもとの御本家の奥を取り仕切って居るおりくはその夜、堪え切れぬ苦しさにうなされ、悪夢の中目を覚ましました。


 その夜もお六は、いつものようにきっちりと女中に夜具を整えさせ、箱枕はこまくらには漆塗うるしぬりりにつる蒔絵まきえを施し、上に載せた小枕こまくらには銀糸ぎんしの房をあしらった高価な枕を、御自分の決めた定位置に寸分たがわず置き据えて、満を持して眠りに着いたはずでした。


 ところが、このところ何かと辛い物思いもあり、その夜もうつらうつらとしか眠る事が出来ませんでしたので、そのせいか夜半やはんに御自分の体から、何者かがが彷徨さまよでて行った様な心持ちがして、空恐ろしくなりはっと御目が覚めました所、身にまとった上等な絹の襦袢じゅばんに、どう言う訳だか、修験者しゅげんじゃ祈祷きとうおりに使うと言う芥子けしの匂いが染み付いて居ることに、お六は気が付いたので御座います。



明日に続く

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