其ノ九 芥子

 その時、何かをき付ける様な焦げ臭い匂いと、人の心を惑わす様な不思議な甘い香りが、寝室に居る私たちの鼻を突いたのでした。


「先生、これは一体、何の匂いでしょう?」

 と私が聞くと、

「これは……。護摩木ごまぎ芥子けしく匂いだ。こんな所で一体誰が」

 と先生が仰り、一同が辺りを見回すと、土間どまかまどの辺りで、先ほど気が動顛どうてんして居た女中の老婆が、何を思ったか護摩木を焚いて辺りに魔除まよけの芥子の匂いを漂わせ、ぶつぶつと何かを祈って居たのでした。


「いや、お婆さん、だからお産はもの仕業しわざなどでは無いと、先ほど私が言ったではな……」

 と先生が言いかけた、その時にございます。


 その場に居る誰の声にも似て居ない、低い、しかし上品な女の人の声で、夕顔の白い小さな花の様に可憐で愛らしかったこの家の女主人が、同じ人とはとても思えない、人ならぬものの様な形相ぎょうぞうでこちらを睨み付け、


調伏ちょうぶくを……。どうか調伏を緩めて頂けませんでしょうか……」

 と、声も絶え絶えに我々に訴えかけて来たのでございます。



明日に続く

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