其ノ八 覚悟

「あ、はい。でもお産で力を籠めたら、この美しいまりがつぶれてしまうかも知れませんよ?」

 私が女人にょにんにそう言うと、

「構いません。これは藍問屋あいどんやを営んでいた両親が私に残してくれた、唯一の形見の品なのです。これを手にしていると、両親がそばに寄り添って居てくれるような心持ちがして……」

 とそこまで言うと、次の陣痛の波が来たのか、女人はまた苦しそうに顔をしかめたのでした。


 私はそのまりを女人の手に持たせると、少しでも痛みを和らげようと、そっとその方の背中をさすって上げました。


 産婆さんばはお腹の子の頭が下になるよう、あれやこれやと試しては見たものの、

「あああ、子宮口こつぼのくちがもうこんなに開いて。これではもうお子を動かす事は無理だ。先生、お弟子さん、覚悟はいいかい。このまま産ませるよ」

 と判断を下しました。


 ああ、ついに。私は今までお産に立ち会った事は何度か有ったものの、逆子さかごのお産と言うのは、全く初めての事でした。


 私は、少年にたらいの水を改めて入れ替えさせ、湯も沸かして置くように指示を出すと、新しい盥の水で手を良く洗い、乾いた布巾ふきんで拭うと、生と死の境目に立ち会わなくてはならない、医にたずさわる者としての覚悟を、心密こころひそかに固めたのでございました。


明日に続く

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