第三帖 夕顔

前編 夕顔

其の一 夕顔

 文月ふづきの夕刻、先生と私はいつものように、町へ往診に出かけて居りました。


 御年おとしの割に健脚けんきゃくな先生は、例の如く愛用の鈴の付いたつえで軽く拍子を取りながら、私の前をすたすたと、小さな古ぼけた家々の立ち並ぶ下町の小路こうじを早足で進まれるので、大きな薬箱を抱えた私お優は、先生のお話に時折相槌あいづちを打ちながら、息を切らせて後を着いて回って居るのでした。


「ああ、切懸きりかけに、青々とした蔓草つるくさが心地良さげに絡みついて居る。こんなところに白い小さな花が。これは夕顔だな」


 文学、ことに源氏物語を愛してやまない木居宣長もくおりのりなが先生は、お仕事で歩いていらっしゃる途中でも、目ざとく路傍ろぼうの小さな花を見つけ、その花の名を仰いました。


「心あてに それかとぞ見る白露しらつゆの 光添ひかりそへたる夕顔の花。


 この歌は夕顔の君が扇に書いて、女童めのわらわに持たせて源氏の君に寄越した歌だ。扇の上に、一枝ひとえだ折り取った夕顔の花を添えてね」



明日に続く

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