其ノ六 東屋

 とりあえず雨をけて拝殿はいでんひさしの下に逃れますと、私は春庭様に、

「あのう、お迎えに上がりましたのは、先生が御本を、『紫文要領しぶんようりょう』の写しを本日帰るお客人にお貸しせねばとの事で……。お持ちでしょうか?」

 とお尋ねしました。


「『紫文要領』ね、持って居ますよ。濡れちゃいけないので行李こうりに入ったまま、あそこの東屋あずまやの下に置いてあります。とどろきの奴、うちの父が文学狂ぶんがくきょうだとどこかで聞きつけて来た様で、源氏物語の『おほかたに花の姿を見ましかば』の歌の解釈が知りたいとか言い出して……」

 と春庭様が仰ると、

「ああ、それは藤壺ふじつぼみやの……」

 と私は呟きました。


「そうなんだよ。藤壺の宮が、みかどである夫の御子みこ、源氏の君との間の不義の子を産んだ後、花の宴の席で遠くからお見かけした源氏の君を、やはり美しい方だと心密かに思う歌。


 それを、よりにもよってあのとどろきがだよ? あの、くっさい高下駄たかげたの。あいつ、好いた女子おなごでも出来たんだろうか?」


 そう仰って、春庭様はお笑いになりました。

 


明日に続く

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