其ノ二十五 晩秋

 嗚呼ああ、どうしよう。


 今もし私が、何も聞かなかった事にしてこのまま宴席に戻ったならば。もし、健吉の温かく優しい笑顔をひと目見てしまったならば。私は今夜、健吉の求めるがまま、刹那せつなの幸せに身をゆだねてしまうに違い無い。


 なけなしの持ち金を全て注ぎ込み、私が遊里いろざとに一年足らず居た過去も、全てを受け入れて、私と共に生涯を過ごそうと言ってくれた大切な人。そのかけがえの無い人に、私は不治の病をうつしてしまうかも知れないのだ。


 おまさはそう思うと、たまらなく胸が苦しくなり、かわや木戸きど越しに、酔った正太郎と権三ごんぞうが何かを語らいながら居間に戻り、ふすまを閉める音を確かめた後、そっと木戸きどを開け、打掛うちかけ角隠つのかくしと言う花嫁衣装のまま、夜半から降り始めた晩秋の冷たい雨の中、無我夢中で健吉の家の外に駆け出して居たので御座います。

 


次章に続く

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