其ノ十七 箸先

 丹後屋九平次たんごやくへいじの宴席が始まるいぬの刻になりました。


 おまさは肌が弱いのか、白粉おしろいを肩や鎖骨の辺りまで塗り込める妓女ぎじょの化粧にはいまだに慣れず、汗や、今日の様に涙が白粉おしろいみたりすると、時々痒みを覚えて居りましたが、宴席で掻いたりするのは無論御法度で、澄ました顔でやり過ごすのも骨が折れる事でした。


 宴席には、丹後屋がお江戸日本橋から取り寄せた諸国の珍味や、近海の海女あまが採った牡蠣やら海老やら鮑などが、九平次の馴染みの料理屋から運ばれ、所狭しと並べられて居りました。


 山育ちのおまさは、生の海産物など目にした事も有りませんでしたので、その豪華さに目を見張って居りました。


「おい、まさ吉。お前はこんな豪華な膳は見た事が無かろう。今夜はな、お前のためにうたげを張ったんだぞ。ほうれ、この新鮮な牡蠣、食い慣れたら他は食えねえ」


 既に他所よそでも呑んで出来上がって居るのか、呂律ろれつの定まらない九平次は、酔っぱらいの震える箸で牡蠣の造りを掴むと、箸先に自分の口を添わせる様にして、おまさの口元まで持って来て食べさせようとしました。




明日に続く

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