其ノ八 耳打ち

 お秀は、

「この子はまさきちと申します。以後お見知り置きを。」

 とだけ言っておまさの源氏名げんじなを告げると、また意味ありげな表情で座敷の隅に下がりました。


 酒宴は一層進み、丹後屋たんごやの若旦那 九平次くへいじは泥酔し、おまさのまだ白粉おしろいの馴染まない、か細い手を取ると、

「なあ、まさ吉。お前はもちろん此処がどんな店か分かって居るんだろう?」


 と言って、酒臭い青い髭剃り跡を、ぐっとおまさの顔に近づけて来ましたので、おまさはお客様に対して粗相が有っては行けない、と頭では分かって居るものの、思わず眉間に皺が寄り、苦虫を噛み潰した様な不快な表情に成り、それを九平次くへいじに隠す事が出来ませんでした。


 九平次くへいじは少し怪訝な顔をしたものの、

「良い、良い……。このむすめ、ますます気に入った。拗ねた顔もまた可愛いのう。」

 と、更に強くおまさの手を握ろうとしましたので、遣手婆やりてばばのお秀は、何かを含んだ様な表情で、

「この子はまだおぼこくて、ほんに失礼な事で。ほら、子供はもう寝る時間だよ。下がって居なさい。」

 と言って、やんわりと九平次くへいじの手をおまさの手から引き剥がすと、おまさの整った目鼻立ちを、わざとたっぷりと九平次くへいじに見せつける様な角度でおまさに挨拶をさせ、おまさを衝立ついたての後ろまで退かせた後、に戻ると何やら九平次くへいじに、一言耳打ちをしたので御座います。




 明日に続く

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