其ノ二十六 遊里

 先生も驚いたのか、一瞬薬研やげんる手が止まり、しばしの間、神妙な顔で薬研やげんの石の紋様をじっと見つめて居るご様子でしたが、普段から、医師として動揺を表に出さぬ訓練の出来ていらっしゃる先生のこと、お気を取り直して冷静な口調で、ただこう相槌を打たれたのでした。


「そうか……。」


「去年の暮れの寒い朝、うちは野菜を主に育てて居るから、米は無くとも野菜だけでも腹が膨れると思い、採った野菜をおまさちゃんの家に届けようと思って訪ねたら、おまさちゃんの家はもぬけからで……。」

 健吉がこう続けると先生は、

「夜逃げだな。」

 と仰いました。


 健吉は頷いて、

「俺は驚いて村中を探し回ったけれども、何処にも居なくて。ようやっと口入くちい権三ごんぞうを捕まえて聞き出したら、おまさちゃんは東の遊里いろざと中室なかむろに売られたと。」




 明日に続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る