偽物の聖女と死者の王子

佐倉有栖

 地を揺らすような歓声の中で、たった今聖女として認定されたばかりの少女が驚きに目を見開いて固まっていた。

 小さく開いた唇が震え、胸元でぎゅっと合わせていた手に力がこもる。


「リリアーナおめでとう! やっぱりあなたこそが本物の聖女なのよ!」


 リリアーナの親友が群衆の中から躍り出て、いまだに夢見心地の顔で立ち尽くす少女の体を抱きしめた。


「本当に……本当に、私が聖女なの?」


 震える声で、リリアーナが呟く。その目は、大司祭が立つ壇上へと向けられていた。

 華やかな祭服をまとった年配の男性が、厳かに頷く。一時静まっていた歓声が再び爆発し、「聖女リリアーナ様万歳!」という声がそこかしこから上がる。


「で、でも、私が聖女なら……ルチア聖女様は……」


 リリアーナの翡翠色の瞳が、真っすぐにルチアを貫く。純粋無垢な眼差しには、今はまだ疑問以外の感情は浮かんでいない。


(さすがは聖女様。清い心をお持ちだわ)


 ルチアは心の中でそう思うと、リリアーナの隣に立つ少女を見つめた。その眼には激しい怒りと侮蔑が滲んでおり、どこか誇らし気にルチアを睨みつけていた。


「あの子は聖女なんかじゃないわ。私は最初から言ってたでしょ、ルチアは偽物の聖女だって!」


 思えば彼女アマンダは、幼いころからルチアのことを目の敵にしてきた。何かにつけて偽物の聖女だと声高に叫んでは、今に本物の聖女様が現れるのだと主張していた。


「でも、ルチア様も司祭様に認められた聖女様では?」

「司祭に認められたって、なんの意味もないのよ。聖女か否かを認定するのは、大司祭様ただ一人なんだから。ルチアは幼いころに両親が亡くなられて、天涯孤独になったのよ。バーナー男爵家は貧乏だったと聞くし、誰かの入れ知恵でなけなしの資産を使って司祭に聖女認定させたんでしょ。地方の司祭は腐敗が進んでるって聞くから、はした金でも聖女認定したんでしょうよ」


 両親ばかりか、ルチアを長い間育ててくれた司祭まで馬鹿にされて、頭に血が上る。真実を洗いざらい言ってしまおうかという考えが脳裏をよぎったとき、大司祭が壇上から降りてくるとルチアの前に立った。

 見上げる程に大きな体で、アマンダとリリアーナの姿を隠してしまう。


「ルチアよ、そなたは本物の聖女ではなく、偽りの聖女であった。聖女の証として持っているその首飾りを、返していただこう」


 大司祭が屈みながらルチアの首飾りを外す。聖女の証として胸元で輝いていた首飾りがなくなり、肩の力がスッと抜ける。


「長い間、聖女としての務めを果たしてくれて感謝している。ありがとう、ルチア」


 耳元で、大司祭が囁く。ルチア以外には聞き取れないほどに小さな声は慈愛に満ちており、喉元まで出かかっていた言葉が飲み込まれる。

 大ぶりの宝石がついていた首飾りが、リリアーナの胸元に収まる。三度の歓声に、地が震える。空へ届きそうなほどの熱気が周囲を包み込む中、ルチアはスッと気配を消すと群衆の中に紛れた。


 後は事前の打ち合わせ通り城前に待機している衛兵長に捕まり、牢へと送られるだけだ。

 もう二度と見ることはないであろう城下町を胸に刻みながら、足早に城へと向かう。顔見知りの町民数名がルチアを見て何かを言っているが、歓声にかき消されて聞こえない。

 恨み言も罵倒も、全ては本物の聖女を歓迎する声に包み込まれてしまう。

 唇を噛み締めて進めば、徐々に人がまばらになっていく。ぶつからないように縮めていた腕を体の脇に下ろし、白亜の城へと続く大通りに出たとき、突然目の前に誰かが立った。


「どこに行くつもりだ? ルチア」


 聞きなれた低音に、心臓がギュっと掴まれたように痛む。恐る恐る顔を上げれば、スカイブルーの瞳をした美しい青年が立っていた。

 この国の第一王子にして“聖女の婚約者”であるエミールだった。不機嫌さを隠すことなく表に出し、ルチアを見下ろしている。

 今一番会いたくなかった人物との遭遇に、ルチアの背に冷たいものが滑り落ちる。


「何やら広場が騒がしいようだが、理由は知っているか?」


 もちろん知っている。その中心地から来たのだから。

 しかし、返答はせずに顔をそむけた。


「風の噂に聞いたところによると、本物の聖女が現れたそうだが。……もしその者が本物の聖女だった場合、聖女ルチア、お前は何者なんだ?」


 全てを見通すかのように鋭い瞳がルチアを射抜く。良く通る声は嘘偽りを許さない威圧感があり、隠し事すらも暴いてしまいそうな強さがあった。

 ぎゅっと目をつぶり、何とかこの場を切り抜ける策はないかと頭をフル回転させる。


 あともう少しで城前までたどり着くのだ。そこまで行くことが出来れば、エミールに心をかき乱されることもなくなる。

 息を整え、偽りの聖女として生きると決めたときから練習してきた“今日のためのルチア”を作り上げる。


「何者か、ですって? そんなの決まってるじゃない。本物が出てきたんなら、それ以外は偽物。本物は、たった一人なんだから」


 嘲るような表情を浮かべ、いつもよりも鼻にかかった声でそう言い放つ。

 エミールの眉がピクリと動き、疑うような眼差しでルチアを見つめる。

 透き通った青色の瞳に映るルチアの顔は憎々し気で、我ながら上手く演技ができていると思う。どこからどう見ても、嘘つきな罪人の顔だ。


「つまり君は、自分が本物の聖女ではないと知っていたということか?」

「そうなるわね」

「……いつからだ?」


 そんなの、最初からに決まっている。ルチアは偽物の聖女として任命されたのだから。


(エミール王子も、いずれ偽物の聖女と本物の聖女について知ることになるわ。でもそれは、今ではない)


 ルチアが処刑された後で知らされる事実なのだから。


「エミール王子お下がりください! その者には聖女を偽った重罪人として、見つけ次第即刻牢に入れるよう王命が出ているのです!」


 エミールの背後から、銀色の鎧に身を包んだ衛兵長が躍り出てくるとルチアの腕を掴んだ。それなりに抵抗するそぶりは見せるが、すぐに諦めたように肩を落とした。


「おい、待て。まだ俺の話は終わっていない」

「お言葉ですがエミール王子、この者は重罪人として指名手配されている者なのです。申し訳ありませんが、このまま連れて行きます」


 有無を言わせぬ調子で衛兵長が宣言し、ルチアを連れて行く。

 エミールから十分離れたことを確認してから、衛兵長は強く掴んでいた手を緩めると心配そうに眉根を寄せてルチアの顔を覗き込んだ。


「手荒な真似をしてしまいすみません。どこか痛むところはありませんか?」

「大丈夫です」

「それにしても、驚きました。なかなか来ないので心配して見に来てみれば、まさかエミール王子につかまっているとは……」

「来てくれて助かりました。私だけでは、あの方の追及をかわすのは難しかったので」


 ほっと安堵したような表情で微笑めば、衛兵長も口元を緩めて目を細めた。




 この国では代々、王妃は聖女がなるものと決まっていた。第一王子が生まれてすぐに、神が伴侶たる聖女を遣わすものだと信じられていた。

 どんなに遅くとも、王子が五歳の誕生日を迎える前までに聖女が見つかり、婚約者として迎え入れられてきたのだ。

 言い換えれば、王子が五歳になる前までに聖女がのだ。


 しかし、聖女はそう都合よく現れるものではない。実際のところ、聖女など現れないことのほうが多い。そんな時、聖女がいないという不安を抑え込むためにルチアのような偽物の聖女が登場するのだ。

 王妃となるその日までに本物の聖女が現れなければ、偽物の聖女が”本物の聖女“として大司祭に認められ、王妃となる。今回のように運悪く本物の聖女が現れた暁には、聖女を名乗った罪人として処罰が下される。

 もっとも処刑は建前だけで、実際は名を捨てて遠くの町へと送られてひっそりと余生を過ごすことになるのだが。


 ルチアも今までの“偽物の聖女”の例にもれず、表向きは処刑されたという体で隣国の田舎でひっそりと生きていく予定だったのだが、リリアーナ聖女は稀に見る清い心の持ち主だったようだ。

 ルチアをどうか処刑しないでほしいと王に直々に嘆願し、認められたのだ。

 早世した両親からもらった“ルチア”と言う名を捨てずに済んだのは良かったのだが、これからは人目を気にして過ごさなくてはならない。まだどこかで生きている偽物の聖女ルチアを狙う人間がいないとは限らないのだから。


「ルチア様、こちらがお荷物になります」


 もう二度と見ることはないと思っていた城下町を歩き城門までたどり着くと、衛兵長が大きな包みを一つ渡してきた。本来ならばルチアの持ち物は処分されており新たな服が入っているはずなのだが、リリアーナの力によって処刑を免れたため、着慣れた服が詰まっていた。

 お気に入りの本や、愛着のあるぬいぐるみ、大切に使っていた文房具もきちんとそろっていた。


「こちらは大司祭様より預かっています」


 金貨がいっぱいに詰まった袋はズッシリと重く、これだけあれば当分はお金に困ることはないだろう。


「それと……こちらはリリアーナ聖女様からお預かりしています」

「リリアーナ様から?」


 金貨が詰まっていた袋と同じくらいの大きさのそれは、見た目に反して軽かった。恐る恐る開けてみれば、七色に輝く宝石が袋いっぱいに入れられていた。

 金額的にみれば、金貨よりも値が張るだろう。


「どうしてリリアーナ様がこんな……」

「実は、ルチア様が牢に入れられている間、リリアーナ様と王様の間で色々とありまして……」


 リリアーナは最初から、ルチアが自らの意志で悪意を持って偽の聖女と名乗っていたとは思っていなかったのだ。そこには何か深い事情があったのだろうと、王を相手にかなり問い詰めたらしい。

 最終的に、王はリリアーナの熱意に負けて偽の聖女の話を語って聞かせたのだ。それを聞いたリリアーナは深く同情し、ルチアのためにありったけの宝石をかき集めてくれたそうだ。


「金貨だと重くて持ち運ぶのが大変だけれど、宝石なら楽に運べるし、必要な時に金貨に替えることができるから便利でしょうと仰っていましたね」

「さすがリリアーナ様、聡明でいらっしゃるわ」


 これほどの聖女が王妃になるのだから、きっとこの国は安泰だろう。

 もう訪れることはないであろう城門を見上げたあとで、停まっている一台の馬車に目を向けた。これからどこに行くのか、ルチアは知らない。大司祭が御者に行先を告げているはずなので聞けば答えてくれるだろうが、たどり着くまでは聞かないと決めていた。このくらいのワクワク感があっても良いはずだ。


「ルチア様、どうかお達者で」

「ありがとうございます。衛兵長様も、お元気で」


 軽く握手を交わし、手を放す。衛兵長が意味ありげに馬車に目をやり、含み笑いをルチアに投げかけると踵を返した。

 肩口でヒラヒラと手を振り、城門を抜けていく。

 ルチアはその背が見えなくなるまで見送ると、馬車に乗り込んだ。

 御者が手綱を引き、馬が嘶いて走り出す。車輪が地面を転がり、どんどん速度を上げていく。

 見慣れた景色が後ろへと飛んでいく。城門が小さくなり、生まれ育った町が地平へと消えるのを見守ってから、ルチアはイスに深く座りなおした。


「お嬢さん、この馬車がどこに行くのか、気にならないのか?」


 良く響く低音に、ルチアは弾かれたように顔を上げると御者をまじまじと見つめた。大きな帽子を目深にかぶり、口元までマフラーで隠しているため顔は見えないが、その声には聞き覚えがあった。


「……どうして……どうしてエミール王子がこんなところにいるんですか!?」

「エミール王子? あぁ、お嬢さんは牢に入ってたから知らないのか。エミール王子は死んだよ、階段で転んで打ちどころが悪かったらしくてね。今日はその王子の葬式の日だ」


 御者が帽子とマフラーをゆっくりと取っていく。


「死んだって……どうして……」

「どうやら、死んででも会いたい人がいたらしい」


 エミールはそう言うと、スカイブルーの瞳を愛しげに細めた。

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