弔いの味蕾
真矢川
弔いの味蕾
「トァンはさ、あっ、庵はさ、たしかしょっぱい味が好きだったよね……」
なぜか真在刃はたまにわたしをトァンと呼ぶ。
「別に好きなんじゃないと思う。いつも真在刃が変なもの食べさせてるからそう見えるだけで」
わたしの思いを完璧に代弁してくれたのは
わたしたちふたりは、いつも真在刃の手料理を食べさせられている。そもそも、それが手料理と呼べるのかも怪しい。先週食べたのは、真在刃がファインチューニングを施したAIが搭載されている自律型ナイフによって切り盛りされたカプレーゼ。健康が何よりも優先されるこのご時世にはありえないしょっぱさで、少しえずいた。その前は、真在刃がマシン内で一次元的に飼っているリスが埋めたという木の実を使ったケーキだったが、文字のみで記述されたはずのそれをどうやって掘り出したのかも、どう調理したのかも分からないし、ケーキにあるまじきしょっぱさの前にはこうした疑問もあまり意味をもたなかった。
「うん。わたしはむしろ甘党だよ。あとわたしの名前は庵なんだから、変に名字とくっつけるのやめてほしい」
霧散したたくさんの疑問のように、やはり同じく意味をもたない苦言を真在刃に呈する。わたしの名前は
「ごめん。特に他意はないんだけど、そのほうが語感がいい気がして。でもね、こう見えてわたしも成長してるんだよ。昨日だって、半熟目玉焼きジェネレーターがついに完成したんだけど、何度生成してもしょっぱいし、マシンの熱で結局固焼きになっちゃうから二人に食べさせるのはやめたんだ」
確かにそれは成長だ。けれど、相変わらず作ったものはしょっぱいらしく、どうやって目玉焼きをジェネラティブにしたのか、なぜウインナーは実装しなかったのか、そもそもなんで目玉焼きを実装しようとしたのか、わたしにはわからなかった。
「それでね、今日は少し違う話がしたいの。ふたりはさ、めそきん、って聞いたことあるかな……。」
真在刃が続ける。やけに神妙な面持ちで。
めそきん。少なくとも、わたしはその名前をここで初めて知った。
「21世紀のはじめのころ。当時はまだ発展途上だった動画サイトに、ひとりの動画投稿者が現れたの。その男は、エンターテイナーとしてどんどん有名になっていったんだけど、ある時どういうわけか突然ラーメンを開発したんだ。それが、めそきん。」
いつの間にか用意していた
「あの、もうすでにひとつ聞きたいことがあるんだけど、その男はどうしてラーメンを作ったの。お金に困ってたとか、元々料理の動画をアップロードしてたとか、そうじゃないと納得いかない」
やはりピザを片手に、希餡が口を挟む。
「さあ。たくさんお金も持っていたそうだし、特に料理にこだわりがあったわけでもないみたい。有名な人だから、今でもアーカイブは確認できる。でもね、わたしが気になるのはめそきんが生まれた理由とか、そういうところじゃないの」
「めそきんの味、ね」
一度ふくれあがった話題のエントロピーがほのかなしょっぱさを連れてきて、やがて食べ物の話に収斂する。そんな真在刃の話し方を、わたしは知っている。
「そう。記録によるとそれはとても上品な味で、何よりしょっぱいらしいの」
しょっぱさ。真在刃はずっとそこにこだわり続けている。わたしたちが過ごすこの22世紀にはもう失われてしまった、健康を度外視したしょっぱさ。今となっては考えられない量の炭水化物や塩分、脂分の
「真在刃は、めそきんを食べてみたいんでしょ。わたしにはわかる」
日々、わたしたちが懲りず真在刃と一緒に過ごしているのは、成績優秀な彼女のとった板書やレポートを見せていただくという、きわめて現実的かつのっぴきならない事情があってのことだ。しかし、他にも勉強を教えてくれるクラスメイトがいる以上、わたしたちはその気になればいつだって真在刃のもとを離れることができる。別の子に数学を教えてもらうことができる。でも、わたしはそうしない。希餡がそうしないように。
おそらくは、真在刃の追い求めるしょっぱさの果てに、何があるのか知りたかったから。
当然といえば当然だが、めそきんのレシピは見つからなかった。レシピのない料理を作れるはずもなく、わたしたちはすこし狼狽した。徹底的に甘さが抑えられた無味無臭のプレイン・ヨーグルトを、粗悪なジンの香料で擬似的にマスキングしつつ、考え込む。しょっぱいラーメンを作ろうとしているだなんて、学校で口に出すのははばかられたけれど、わたしたちの世界に思想警察なんてものはなく、各々が授業中に出したアイデアを真在刃の家で試してみる日々が続いた。
「たしかに、めそきんの作り方はわからない。けれど、わたしたちはラーメンの作り方を知ってるよね……。だから、めそきんが当時の人々にどう思われていたか、どう評価されていたかを調べて、それをもとに味噌ラーメンを作れば、めそきんの味を近似できる可能性がある」
わたしたちの貧しいアイデアと味覚から、真在刃の出した結論はこうだ。めそきんを食べた者による、当時のインターネット上にある膨大な数のレビューをスクレイピングし、評定尺度として一度数量化する。昔と現代の感覚を一緒くたにしてしまうと適切なしょっぱさを評価できない可能性があるため、当時の一般的な味噌ラーメンに使われていた調味料の量を基準にパラメータを設定する。わたしたちにとっては「とてもしょっぱい」スープも、当時の人にとっては「ちょうどいい」味だったかもしれない。
作業は困難を極めた。わたしたちのなかにデータ処理の心得があるのは優秀な真在刃しかおらず、結局わたしと希餡はちゅうぶらりんになってしまう。真在刃も真在刃で妥協というものを知らず、実際に書かれたレビュー全てを探し出して反映するべく、まず、効率的にログを収集、整理するためのツールを開発した。AIを用いて億単位の評価をすべて数字に変換し、めそきん以外の味噌ラーメンと比較する。そうして得られた味の傾向から、当時基準で「めそきん」らしい「めそきん」に近づけていく。なるべく計算リソースを増やすため、学校の課題とネットサーフィン以外に使っていなかった自宅のパソコンを起動し、真在刃のデバイスが行っている処理をわたしのGPUでも並行して進めた。
進展があったのはおよそ1ヶ月後のことだった。一通りの計算が終わったことを示す
週末、わたしたちは真在刃の家に集まった。それぞれが具材を持ち寄って。
「持ってきたよ。豚バラ。背脂。骨抜きとか、簡単な下処理はうちでやってきたけど、一応ふたりにも見てもらったほうがいいかなと思って」
希餡は体力があるため、主に運搬が大変な重たい肉を担当していた。キッチンに立ち、どかっと人の胴体ほどの大きさがある豚バラ肉を広げる。わたしは思わず見惚れ、そっと指先でつついてみた。弾力とツヤの際立つこの肉が、今からほぐされ丸められくたくたにされ、あまつさえ出汁を取られ、わたしたちの身体の一部になる。しばらく、三人で肉をつつくだけの時間が続いた。
「ありがとう、希餡。代わるよ。ここからはわたしがやる」
そう言って軽くハイタッチをし、今度はわたしがキッチンに立つ。あばら骨の残党がいないことを認めて、肉をフォークで軽くほぐし、包丁で真っ二つに割く。糸でぐるぐる巻きにして、隣の鍋にぶち込む。真在刃がスクレイピングをしている間、わたしは密かにラーメンの下処理を練習してきたため、作業はきわめて順調だ。定量通り水を注ぎ、持ち込んだ長ネギ、にんにく、生姜、もやしを切って味噌とともに鍋に入れ、火をつける。その間にチャーシューのタレを作るべく、醤油とみりん、砂糖、刻みにんにく、そして少量のソーマをもう一つの鍋に入れ、同じく熱しつつ混ぜる。ソーマから溶け出した快楽物質の作用か、それとも単なるわくわくか、部屋の空気が興奮とにんにくの匂いで包まれた。
鍋の沸騰を確認して、1ヶ月を30分で処理するためにそれぞれ持ち寄った携帯ゲーム機を起動する。わたしたちが主観的に感じる楽しさがそのまま時間の進行に影響を与えるため、ゲーム中はなるべく快を大きくする必要があり、すこしでも楽しくないと感じてしまうとスープがしっかり煮詰まらない。したがって、この三人一組のバトルロイヤルゲームでは確実にチャンピオンを取る必要があった。
「真在刃、アーマー割った。そいつ瀕死だからラッシュかけよう」
「いや、わたしスナイパーライフルしかないし、相手はショットガンを構えてた。ここは一旦引いて、リソースを全て使わせる」
「二人とも岩の後ろにきて。わたし、回復いっぱい持ってるから渡せるよ」
必死のコールが続く。あと3部隊。あと2部隊。つまり、敵はこの部隊で最後。わたしがシールドチャージを実行した刹那、背後に潜んでいた敵のアサルトライフルに襲われ、そのままダウンする。暗くなっていく視界の中で、真在刃の一撃がたしかに敵の頭を穿ち、ぎりぎりのところでわたしたちの部隊はチャンピオンに輝いた。これだけの多幸感があれば、まず間違いなくスープは煮詰まっている。
互いの活躍を、そして勝利を称えつつ、わたしたちはすぐに寸動鍋へと向かった。真在刃の予想通り、しっかりスープは琥珀色に染まっている。希餡がチャーシューをすくい上げ均等にカットし、同じく熟成されたタレに浸す。そしてあらかじめ仕込んでおいたゴワゴワの麺を袋から取り出し、きっちり40秒だけ茹でた。各々の器に固い麺を入れ、スープを注ぎ、チャーシューを載せる。
これが、めそきん。
「いただきます」
誰が合図したわけでもなく、自然とわたしたちの感謝は重なった。肉をつけ、すくすくと育ってくれた豚に。豚を育ててくれたどこかの養豚農家に。どこかの養豚農家を支えてくれた人たちに。ここに至るまでに携わってくれた、すべての存在に。
レンゲでスープをすくい、少し飲んでみる。真在刃のせいか、それともレシピ自体がそうなのか、やはりめそきんはしょっぱかった。けれど、現代に生きるわたしたちが通過してこなかったはずのその味はなぜか懐かしく、水を片手に黙々と麺をすする。おばあちゃんの家に行くと必ず出してくれたカレーうどん。誕生日にだけ食べることが許されていたスナック菓子。はじめて真在刃がわたしたちに振る舞ってくれた、真珠のような脂のかたまり。記憶の夜空が深い黒に染まり、しょっぱさの星が現れる。味覚の輝きが連なって線を成し、わすれていたことまで思い出す。
わけのわからない涙が、器にこぼれ落ちた。涙もすこし、しょっぱかった。
「トァ、いや、庵。おはよう。昨日ね、ウルトラレアステーキっていうのを思いついたの。ただのレアじゃなくて、もっとレア。しかもウルトラレアだから、ウルトラレアに仕上がる確率はちょうど3%に設定しようと思って。フェスのときだけ6%になるの」
「それって、もうほぼ生肉なんじゃない」
今日も真在刃は話しかけてくる。わたしが答える。たまに希餡が口を挟む。すこし腎臓にかかる負荷は大きいけれど、この暮らしが末永く続いてくれることを、わたしは願う。
弔いの味蕾 真矢川 @uyeghost
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