第20話

『韓国に足跡を残さない。それは国務省の管轄だよ』 ダグラス・マッカーサー



       20


 課長と横山には、鳴橋と行動をともにしていると連絡を入れておいた。捜査本部としても、尾行によけいな人材をさかなくてもよくなるので、むしろ歓迎してくれた。

 もうすぐ午後三時になる。ハンバーガーショップのなかで英吾たちは待っていた。念のため、英吾と新井は鳴橋の座るテーブルとはべつに座っていた。

 五分が過ぎた。

 店内をうかがうように入ってきた人物がいた。年齢は二十代のどこかだ。自分よりも若く見えるが、無職だとすると、そう見えているだけかもしれない。ひきこもりやニートは、童顔に映るものだ。

「沸騰さん?」

 鳴橋のほうから声をかけていた。

「佐川ジョーじゃないの?」

「撮影担当です」

 がっかりしているような男性に、鳴橋はブスッとして言った。しかし、それでも彼にしては愛想よくしようと努力していることがわかる。

「ジョージは──、ジョーはいない」

「なんだぁ……」

 残念そうな声には、無邪気な響きも混ざっている。あんな男にも本当にファンがいるようだ。

「話を聞かせてください」

 そう言って鳴橋は、英吾たちのほうに視線をおくった。

 二人して立ち上がった。男性と鳴橋のテーブルに移る。

「すみません。お話よろしいでしょうか?」

 警察手帳をかかげながら話しかけた。

「え? え? 警察?」

 事態をのみこめないようだ。

「え? おれ、なにもしてないよ!?」

「いえ、そういうことではないです。ただ、お話を聞きたいと思って」

 説明しても、動揺は消えてくれなかった。

「は、話って……」

「安心してください。これからの発言で、あなたが不利な状況に追い込まれることはありません。本名も名乗らなくて結構です」

「は、はあ……」

「あなたは沸騰十二使徒さんで、まちがいないですね?」

「そ、そうです……」

「率直にお聞きします。あなたは、俗にいう嫌韓思想の持ち主ですよね?」

「そういうわけじゃあ……」

 男性は、困ったような顔になっていた。

「でも、佐川ジョーさんの動画を観てますよね?」

「そりゃそうだけど……まあ、嫌いっていえば嫌いだけど……」

 どうもハッキリしない。

「んー、だけど韓国ドラマとか観たことあるよ。まあ、嫌いといえば嫌いだけど……」

 嫌いといえば嫌い、ということを繰り返している。

「嫌いといえば嫌いだけど、そこまで特別に嫌ってるわけじゃない──ということですか?」

 新井が助け舟のように、言葉を添えた。

「そうそうそう」

 新井にオーバーアクションで共感したが、べつに彼女の美貌への下心ではないようだ。

「たんに動画がおもしろいから観てるだけだし……」

「迷惑動画のころから?」

 その表現をもちいたら、鳴橋が不快そうに眼を細めた。

「いえ、そのころは嫌いでした」

「ヘイト動画になってから、好きになったんですか?」

 その表現にも鳴橋は納得していないようだった。しかし、いまはどうでもいいことなので、フォローや訂正もしない。

「そう言われれば、そうだけど……普段、そういう活動をしてるわけじゃ……」

 人選をまちがえたのかもしれない。

「沸騰十二使徒って……どういう意味なんですか?」

 新井が、素朴な疑問を口にした。

「沸騰は、むかしのあだ名です。高校のとき」

 男性は素直に答えてくれた。

「どうして、そういうあだ名に?」

「どうだったかなぁ……化学の実験でお湯を沸騰させすぎたとか、そういうのだと思いますけど」

 学生時代のあだ名なんて、そんな些細なものが多いのかもしれない……。

「十二使徒というのは?」

 そこの部分に、鳴橋は集団であると感じていたのだ。

「長くなるよ?」

 男性はそうことわりを入れてから、語り出した。

「嫌韓というのとはちがうけど、もともと韓国の反応サイトをよく観てたんです」

 韓国内のネット掲示板を日本語に翻訳したものだろう。

「そこで、チョッパリ十二使徒という名前の人が活動してたんですよ」

「その人は?」

「韓国の人でしょうけど……」

 それはそうだろう。新井もそのことに気づいたのか、恥ずかしそうに笑顔をみせていた。

「チョッパリというのは、日本人への蔑称だ」

 鳴橋が補足を入れた。

「いまはそうでもないんだが、当時はずっと悪い意味がこめられてた」

 その言い方だと、鳴橋もチョッパリ十二使徒のことを知っていたようだ。

「そこからとったんですか?」

「そうなんだけど……正確に言うとぉ……」

 ここは黙って、彼に話してもらったほうがよさそうだ。

「順を追って説明すると、チョッパリ十二使徒は、だぶん一人だと思うんだけど……そのあとに1号、2号が出てきて……」

「え? 1号?」

 新井が言葉をはさんでしまった。

「あ、元祖は0号ね」

 納得したように彼女はうなずいていた。

「で、6号あたりから反日じゃなくなってきたんです。そのあとに新しく『寿司女十二使徒』というのが登場したんです」

 頭がこんがらがってきそうだ。

「寿司女というのは、日本女性のこと」

 鳴橋が、また補足を入れた。

「悪い意味じゃない。むしろ韓国の女をキムチ女と蔑んで、寿司女を称賛している」

「つまり、反日じゃないんですね?」

「そうです。日本には好意的な人たち」

 男性は、屈託なく答えた。

「寿司女十二使徒も何人かいて、それが翻訳サイトにコメントをつける日本人のあいだでも流行って……」

 さすがに、もうそろそろ結論までいってもらいたかった。

「なんとか十二使徒、というのがいくつか出てきて、それをおれが──」

 以上のことを総合すると、このようになるだろうか。

 韓国の掲示板を翻訳したサイトを、この男性は閲覧していた。そこで登場していたのがチョッパリ十二使徒というハンドルネームの人物だった。十二使徒と名前についていても当初は一人だったが、のちに何号と増えていった。そうするうちに反日思想の人だけでなく、親日思考の人物も号をついでいくことになった。

 さらにそのあと、翻訳サイトにコメントをつける日本人のあいだでも、『~十二使徒』と名乗る人たちがあらわれていって、この男性もその一人になった……と。

「そうそうそう」

 どこかうれしそうに、沸騰十二使徒はうなずいた。

 名前の由来で、けっこうな時間をついやしてしまった。

「あなたは、一人なんですよね?」

 新井が確認した。

「そうそう。べつに仲間がいるわけじゃないよ」

 残念な空気が、ハンバーガーショップに流れた。

「仲間のいる人たちを知りたいの?」

「そうですね……」

「それなら、火病連合の人を紹介しようか?」

 また新しいのが出てきた。

「それは?」

「まあ、嫌韓ということになるんだろうね」

「そういう活動をしているということですか?」

 男性は、またうなずいた。

「その『かびょう』というのは……」

 英吾は質問した。

「正式な読み方は知らないけど、韓国語でなんていうんだっけ」

「ファッピョンだ。ファビョンと読むこともある」

 鳴橋が言った。

「元来は、韓国人特有のストレス病だ。怒りや悔しさで鬱になる症状らしい。ネットで眼にする場合は、韓国人をバカにする意味でつかわれる。怒りを爆発させるさまを火病ファビョる、という」

 どうやら『火病』について知らなかったのは、英吾だけだったようだ。新井の表情をうかがっても、疑問をもっているようではなかった。

「ちょっといいですか?」

 その新井が手をあげた。いまでは鳴橋の横に座っている。

「その人たちは、嫌韓ということでいいんですよね?」

「そうですよ」

 沸騰が答えた。

「それなのに、韓国の言葉をハンドルネームにしてるんですか?」

「だから、バカにする意味が強いんだ」

 鳴橋が、またそこを強調した。

「その火病連合は、何人かいるんですか?」

 英吾が、話をもとにもどした。

「そうみたい。おれが知ってるのは一人だけど」

「紹介してくれますか?」

「いいですよ」

 携帯の番号を教えてもらった。

「この方の本名を知っていますか?」

「それは知りません。でも、ちゃんとした職業の人だと思うけど」

 礼を言って、沸騰とはそこで別れた。三人は、機構の面談室にもどった。

「では、この人物にかけてみましょう」

 しかし、鳴橋が浮かない顔をしていた。思い返せば、火病連合の話をしているときからだ。もともとブスッとした表情をしているが、さらに不愛想になっている。

「どうしました?」

「……いや、聞いたことがない」

「え?」

 どうやら、火病連合のことを言っているらしい。

「そうですね……こういうことに詳しい鳴橋さんの知らない人たちということになりますね」

 新井も同意をしめしたが、英吾はちがう感想をいだいた。嫌韓グループだからといって、鳴橋がすべてを知っているわけではないだろう。

「でも、あの沸騰という人が嘘を言っているとは思えません」

 率直な考えを英吾は主張した。

「おれが把握してない連中なら、かなり深いかもしれない……」

「深い?」

 沸騰の証言を疑っているわけではなく、もっとちがう疑念をもっていたようだ。

「ああ、ヤバい連中かもな」

「それは、あなたたちよりも危険なことをしそうだということですか?」

「……」

 憮然とした表情になってしまったが、おおむねそのようなことらしい。

「あの……」

 遠慮がちに、新井が声をはさんだ。

「その人たちと、佐川さんがいっしょになっているということはないですか?」

 考えてもみなかった方向性だ。

「それはない。ジョージは、もとから反韓だったわけじゃない。いま暴走してるのだって、韓国人が嫌いというよりも、やり返してるだけなんだ」

 あくまでも、そういう思想は鳴橋から伝わったものなのだ。

「でも襲撃されたことで、鳴橋さんよりも嫌韓になってしまったかもしれない……」

 新井の言葉には肯定できないようだった。

「友達を悪く言いたくないが、あいつにはそんな頭はない」

 なんともいえない沈黙がおとずれた。

「短絡的な人だからこそ、過激なことをするために仲間を得たかったのかもしれない」

「……あいつにできるのは、眼の前にいる人間を殴り倒すことだけだ。計画性は、まったくない」

 英吾の推理は、あっさりと否定された。

「ですが、現に『パルガッタ』という店が襲撃されています」

 わざわざ発煙筒を用意したというのも、計画性があってこそだ。

「それ、本当にジョージがやったのか?」

「ぼくたちは、犯行現場に居合わせています。顔は隠していましたが、声は佐川さんでした」

 そのことから信じられないようだが、まずまちがえないだろう。

「……」

「むこうのほうから、ということはないですか?」

「?」

 新井の言葉に、鳴橋だけではなく、英吾も意味を理解できなかった。

「むこうのほうが佐川さんを巻き込んだ……」

「むこうというのは、火病連合のことですか?」

「その人たちのような思想の持ち主です」

 うなずきながら、新井は答えた。

「……」

 鳴橋が押し黙ってしまった。その可能性は考えていなかったようだ。

 いまでは嫌韓動画で顔を売っている佐川に、そういう連中が眼をつけた──。

 ありえることだ。

 そうなると『パルガッタ』襲撃は佐川ジョーが主導したのではなく、火病連合、もしくはそれに準ずる人物や集団が計画したということになるだろうか。

 それを確かめるためにも、沸騰から教えてもらった番号にかけてみるべきだろう。だが、それをするのに適任なのは自分ではないと英吾は考えている。

 二人に視線をおくった。

 やはり、お願いすべきは鳴橋になる。

「鳴橋さん、連絡お願いできますか?」

 その意を新井がくみとってくれた。

「わかった。かければいいんだな」

 さらに鳴橋もくみとってくれた。

 沸騰から教えてもらった番号にかけていく。

「あの……」

 出たようだ。

「あの、沸騰十二使徒さんから、連絡先を聞きました。鳴橋といいます」

 想像以上に電話対応ができていた。

「動画を投稿してまして。沸騰さんもファンということで、意気投合したんです。それで交友関係を広げたくて、火病連合さんを紹介して──」

 言葉が途切れた。

「え? そうですか……ジョージのことを知ってるんですか?」

 新井の推理が当たったのかもしれない。

「どういうことですか? そうですか、はい……」

 五秒ぐらい間があいた。

「ジョージ──佐川ジョーは、そちらに?」

 鳴橋が、こちらにうなずきながら会話をつづけていた。

「できれば、おれも合流したい……」

 やはり佐川と行動をともにしているようだ。

「どうしてそのことを? 佐川から? そうです……いまは一人です」

 今度は、二十秒ぐらい間があいた。むこうの話を聞いているのではなく、会話自体が途切れているようだ。

「……わかりました。そこに行けば? はい、時間は八時ですね」

 そして、通話を終えた。

「今夜八時に、横浜西口の屋台に来いと」

「横浜ですか……」

 佐川は一応、犯罪行為をしたわけだから、姿を隠す意味でも神奈川にいるのかもしれない。

「どうする?」

「行きましょう」

「大丈夫なのか?」

 鳴橋が、なにかを心配していた。

「管轄とかあるんじゃないのか?」

「いえ、いまは休暇あつかいなので」

 そもそも休暇中に捜査活動をしていることが問題になってしまうが、課長からも好きにやっていいと言われている。警察手帳を出さなければ、神奈川でも大丈夫だろう。

 機構事務所で時間を調整して、横浜に向かった。

 西口は、かつては無許可のおでん屋台が川沿いにひしめいていたようだが、いまでは根こそぎ撤去されてしまった。

 それなのに、ポツンと一つだけが営業している。このご時世だから、ちゃんと認可はうけているのだろうが……。

 どうするか迷ったが、席数は屋台にしてはあるようなので、さきに英吾と新井がカップルをよそおって、席についた。

 佐川が来てしまうことも頭をよぎったが、事件化されていないとはいえ、あんなことをしたのだから、姿を隠しているだろう。とはいえ、念のため二人とも顔を下に向けているように注意した。

 五分ほどしてから、鳴橋も席についた。もちろん、見ず知らずのふりをして。

 すぐに鳴橋の携帯が鳴った。

「はい」

 鳴橋が出る。

「……」

 なにもしゃべらないところをみると、切れてしまったようだ。

 すると、屋台に近づいてくる男性がいた。英吾にも、どういうことなのか理解できた。この近づいてきた男性が、確認のために電話をかけたのだ。佐川とはちがって、鳴橋は動画に出ていないから人相はわからなかったのだ。

 男性が、鳴橋のとなりに腰をおろした。

 なにげない素振りで、その男性の顔をうかがった。

 息が止まりそうになった。

 知っている……。

 頭が混乱した。どうすべきか、考えがまとまならない。

 まだ相手は、英吾に気づいていない……。

 名前は、佐々木といったはずだ。

 例の交番の……ベテラン警察官だった。

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