第14話

『本日公布の合併条約により、大韓帝国は日本に合併され、今後は朝鮮と改称して大日本帝国の領土となる』 寺内正毅



       14


 新宿区にもどって、鳴橋忠司の入院している病院をたずねた。

 佐川ジョーを所在不明にしてしまったことを反省してか、鳴橋の病室前には、これまでよりも厳重に立ち番が警護していた。

 二人の制服警官のうち、一人のほうを知っていた。後輩だ。交通課のはずだが、応援に駆り出されているようだ。

 病室に近づくと、二人が警戒するように視線を向けた。

「どうも」

 場違いな挨拶をしてしまった。

「川嶋先輩」

「鳴橋さんに会いたいんだけど」

「は、はあ……」

 困ったような反応が返ってきた。

 もう一人の制服警官の顔を見る。

「本部の方しか通すなと命令をうけています」

 もう一人のほうが言った。年齢は同じぐらいに見えるのだが、顔は知らない。すくなくとも同期ではない。

 みんながみんな新卒で警官をめざすわけでもなく、高卒と大卒でもちがうので、同世代でもそういうことはめずらしくもない。それに、他署からの応援ということもある。

「捜査一課の横山さんから許可をうけています」

 嘘ではない。もちろん、警察病院での言葉が捜査一課としての公式なものであるはずもないが、それでも横山だけの了解は得ていることになる。ただし、一課内での横山の立ち位置が不明なだけに、どれほどの効力があるものなのか。

「……わかりました。どうぞ」

 なんとか病室に入ることができた。

 鳴橋はベッドの上で上半身をおこしていた。外での会話は聞こえていただろう。

「お加減はどうですか?」

 新井が、そう声をかけた。女性らしい気遣いだと感心した。こういう考えが、男女平等やジェンダーフリーを妨げているのだろうが。

「……」

 鳴橋は無言で睨んでいた。

「また話を聞かせてください」

 英吾は、おだやかに話しかけた。

「なんだ……」

「佐川さんの行き先を知っていますか?」

「おれは知らない」

 嘘ではないだろう。いまの時点で佐川は被害者であり、知っているのに隠す必要はない。ただし佐川が今後、新たなる報復を考えていて、鳴橋がそれを把握しているとすれば話はべつになるが……。

 佐川がまえもって、そういうことを計画するようには思えない。姿を消したのも突発的なものだろう。もし韓国人グループに危害をくわえようと考えたとしても、それも思いつきによるものだ。

「では、行きそうな場所に心当たりは?」

「……ない。あいつの部屋しか知らない」

 これも嘘ではないようだ。

 英吾は、思わず深呼吸をしていた。あのことを本格的に尋問するつもりだ。

「鳴橋さんは、嫌韓の思想をもってるんですよね?」

「……」

「これは、あなたがおこしたかもしれない傷害事件の捜査とは関係ありません。これからの質問で、あなたの罪が重くなるということもありません」

「……」

 鳴橋の眼光は挑戦的だった。それのなにが悪いのか、と主張しているようだ。

「嫌韓思想……それは、あなたと佐川さんだけなんですか?」

「言っている意味がわからない。朝鮮人が嫌いなやつなら、いっぱいいるだろう?」

「そういうことではなくて……あなたたちの仲間は、ほかにもいるんですか?」

「仲間?」

「あなたたちは、二人だけなんですか?」

「そうだ」

「でも、そういう嫌韓のネットワークがあるんじゃないですか?」

「だから、そういうやつはいっぱいいる」

 もっと具体的な質問をしたほうがよさそうだった。

「警察官を知りませんか?」

「あ?」

「ですから、嫌韓をしている警察官をご存じないですか?」

「……そんなのは、自分たちのほうがわかるだろ?」

 ごもっともな指摘だった。

 しかし警察官のそういう思想は、同僚という立場ではわかりにくいものだ。

「……まあ、心当たりがないわけでもない」

 その言葉に、どれほどの期待をこめていいものか、まだわからない。続きを待つしかないだろう。

「どんなことですか?」

「愛国ポリスだ」

「? なんですか、それは?」

「検索すれば、わかる」

 ネットで、ということだろう。

 英吾が動き出すまえに、新井が携帯を取り出していた。

「これ、ですか?」

 画面をかかげながら、彼女は言った。

『愛国ポリス』というのは、ハンドルネームのようだ。

「どんなことが書いてありますか?」

 彼女が画面をもどし、スレッドへの書き込みを読み上げていく。

「朝鮮人をこの世から──」

 すぐにやめてしまった。どうやら声に出すのも、はばかられる内容のようだ。

「これが、どうして警察官だと思ったのですか?」

 単純に答えを導きだせば『愛国ポリス』という名前からだろう。しかしポリスと名乗っていても、本物であることは、まずないはずだ。佐川ならいざ知らず、この鳴橋という男が、そんな浅はかな推理をするだろうか?

「ところどころ、そんな感じがした……本物じゃないと書けないような」

 具体的な箇所を指し示したり、例をあげるつもはないようだ。

「なるほど……」

 それだけで納得できるものではなかったが、英吾はそう相槌を打っておいた。

「もう一度、確認しておきますが、警察官の仲間はいないんですね?」

「……なんで、そんなことを聞く?」

 訝しむような視線が返ってきた。警察官が襲撃されたという事件は、まだおおやけになっていない。たとえなっていたとしても、この病室に軟禁されている彼に知るすべはないだろう。この個室は重病者用のものであるらしく、テレビも設置されていない。

「なにかあったのか?」

「いえ……」

 英吾は、言葉を濁した。捜査本部にも入っていない人間が、警官襲撃のことを暴露するわけにはいかない。

「ジョージが、なんかしたのか?」

 佐川ジョーの本名は、佐川譲司という。普段は、そう呼んでいるようだ。

「いや、ちがうな……やつらか」

 つぶやくように、鳴橋は続けた。

「なるほどな……やつらが、警官をやったのか」

「まだ、そうときまったわけではありません」

「愛国ポリスをやったんだな……」

 鳴橋のなかでは、襲撃された警察官と『愛国ポリス』が同一人物であると決定してしまったようだ。

 話し方がまずかったのだと、英吾は責任を感じた。

 そのとき、扉が開いた。

 見たことがある光景だと思った。さきほどは部屋の外だったが、状況が似ている。

「また、おまえらか……」

 しかし横山の表情は、むしろおもしろそうに歪んでいた。もう一人の同年代のほうは、不快な顔つきをしている。

「すみません……」

 とりあえず、あやまっておいた。

 横山は、英吾と新井のあいだをすりぬけるようにして、鳴橋と正対した。

「鳴橋忠司、傷害の容疑で逮捕する」

 逮捕状をかかげながら、宣告した。

「担当医からは、退院の許可をもらっている」

 鳴橋に抵抗する素振りはなかった。もし逃げようとしても、部屋の外にも捜査員が配置されているだろう。窓からの逃走も計算しているにちがいない。

 被害者が行方不明の状況で鳴橋の身柄をおさえたということは、警官襲撃の背後にヘイトの応酬合戦があると捜査本部も考えはじめたということだ。争いの芽の摘んでおくつもりなのだ。

 その後、鳴橋が着替えるのを待ってから、横山が時刻を読み上げて、若手のほうが手錠をはめた。

 退出をうながされなかったので、それまでの様子を、英吾と新井は見守った。

「おまえさんたちの話を、上も重要視したんだ。なにか情報をつかんだら、本部にあげてくれよ」

 そう言い残して、鳴橋を連行していった。

 自分たちも病室を出ようとしたのだが、新井がうかない表情をしていることに気がついた。

「どうしました?」

「いえ、べつに……」

 彼女は嘘がつけないようだ。

「心配事があるのなら言ってください」

 いまのは、かなりオブラートに包んだ言い回しだった。

 とはいえ、隠していることがあるのなら白状してください──とは口が裂けても言えない。

 新井の様子がおかしいのは、今朝からだった。

「大丈夫です。なにも問題はありません」

 なにか問題が発生している、と言っているようなものだった。

「そんなに、ぼくは信用できませんか?」

 英吾には、そう語りかけることしかできない。彼女が話したくないのなら、どうすることもできないのだ。

「ごめんなさい……」

 その反応は、正直ショックなものだった。

 が、いまはのみこむしかない……。

「もし話したくなったら、いつでもいいので……」

 彼女は、顔をそむけるようにうなずいていた。

 おたがいが気まずさを感じていたので、今日はここで別れることになった。

 英吾は、署にもどった。

 通り魔事件にくわえて、警察官襲撃事件の特別捜査本部もたったので、とてもにぎやかだ。刑事組対課に入室したところで声をかけられた。

「川嶋だったよな?」

 横山だった。コンビを組んでいる若手はいない。

「どうも……」

「まだ軽く取り調べただけだが、鳴橋から『愛国ポリス』の話を聞いた」

「は、はあ……」

「おまえさんは、それが岸だと疑ってるんだろ?」

「まだ、なんとも……」

 それについては、まったく裏付けをとっていない。

「捜査本部は、どう見立てているんですか?」

「それは管理官にでも聞いてくれ。まあ、だいぶ迷ってるんじゃないか。優秀な人なんだけど、慎重すぎる人だから」

「横山さんは……」

「おれ? どうだろうな……でも、おまえたちにかけてもいいと思ってる」

「え?」

「おまえさんと、入管だか外務省の……」

「新井さんです」

「あの、モデルさんみたいな女性なら、このヘンテコな事件をどうにかしてくれるんじゃないかとね」

 それは、かいかぶりもいいところだ。

「横山さん!」

 若手の刑事がやって来た。

「これから、臨時の会議ですって」

 横山は、深く息を吐きだした。

「捜査方針を変えるのかもな」

 そうつぶやきながら、立ち去っていく。

 上も混乱しているようだ。

 英吾自身も、正しい方向を見極める岐路に立たされているのかもしれない。

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