第10話

『蝦夷地の開拓、琉球の領土化、そして李氏朝鮮を属国化すべきだ』 吉田松陰



       10


 大手の動画サイトで、KSAMをさがした。

 鳴橋の言うとおり、いくつかの動画を投稿しているようだ。サムネイルは英語とハングルで、日本人に向けた動画ではない。

 そのうちの一つを閲覧した。日本語字幕をつけることができたので、意味は理解できる。

「まさしく、無条件愛国主義者ですね」

 鳴橋の口にした意味がわかった。

 動画では、ミンジュンとキム・ユジュンの二人が、韓国人がどれほど優秀かを語りあっていた。もちろん、その根底にあるのは反日意識だ。

 日本を貶めて、韓国をあげる。

 日本とくらべて、韓国をもちあげる。

 韓国とくらべられないときは、べつの有利な国と日本を比較して蔑む。

「……」

 場所は、病院の食堂だった。最上階にあって、病院職員や見舞い客だけでなく、病院とは関係のない一般人も利用することができるようになっている。規模もなかなかのもので、食堂というよりはファミリーレストランといったおもむきだ。

 キム・ユジュン、ミンジュンの二人はいずれの動画にも出ているが、あの女性だけは出演していない。撮影しているのがそうなのかもしれないが、いつもきまった部屋で、きまったアングルからの映像しかないから、固定カメラをつかっているのではないだろうか。

「これを観て、あの鳴橋という人は、あの韓国人男性たちを犯人だと……」

 まだお昼前なので、空いているテーブルが多い。二人はそのなかでも近くに客のいないテーブルを選んで座っていた。

「これは、どこで撮影されたものですかね?」

「韓国だと思います。ミンジュンのほうはわかりませんけど、キム・ユジュンのほうは日本に来たばかりです」

 新井の疑問に、英吾が答えていく。

「どうして日本に来たんでしょうか?」

「そうですね……。日本でも動画を作成しようとしていたのか、それとも……」

 騒動をおこすために──という言葉はのみこんだ。まだ彼らが犯人と確定したわけではないが、現に佐川ジョーが襲われ、その報復と思われる事件が連続している。

 動画の再生数は、どれも数万はある。こういう内容では多いほうだろう。ただし、それは日本での感覚だ。韓国人にとって反日愛国コンテンツは集客力があるのではないだろうか。

「でも、わたしはこの仕事について、こう言われたことがあります」

 そのことを伝えると、彼女が反論を投げかけた。

「日本の書店には嫌韓書籍コーナーがあるけど、韓国に反日書籍コーナーはないって。だから日本のほうが反韓はひどいって」

 それはそうだろう。国家として反日を主導してる韓国で、反日書籍が売れるはずがない。英吾は専門家ではないので、明確な内情を知っているわけではないが、それでも常識的にわかる。

「本というのは、もっていない知識を得るために読むものです。国民の全員が反日の韓国で売れるわけがない。それにかわるものが教科書なんでしょう」

「……」

 英吾の言葉に納得していないことは表情からあきらかだった。

「わたしがこれまで会った韓国人は、思ってるよりも日本のことが嫌いではありませんでした」

 英吾もいまの部署に配属されてから、まだ浅い経験とはいえ何人かと交流をもったことがある。

 親日もいれば、反日もいる。人それぞれ。きっと、それはどこの国籍でも同じなのだろう。だが韓国人の反日感情は、やはり特別なものがあるような気がする。

 警察官である自分と、外務省職員であり、入管に出向している彼女とは出会うタイプがちがうということもあるはずだ。

「こういう動画を配信しているからといって、傷害をおこしたとはかぎりません。とにかく韓国人グループを発見して、直接話を聞くしかないでしょう」

 韓国人の特性について、ここで討論しあっていても仕方がない。

「これから、さがしに行くんですか?」

「いえ、それはべつの係がやってくれます」

 たった二人で潜伏をはじめた外国人をみつけることは難しい。しかもうち一人は、警察官でもない。

「ではわたしたちは、なにをすれば……」

「佐川から話を聞きましょう。もしこの二人が犯人なら、覚えていることがあるかもしれない」

 有力な証言は得られないかもしれないが、もう一度だけ会っておくべきだろう。

 佐川の入院している病院は、こことはべつだ。すぐにタクシーをつかって移動した。

 しかし、無駄足になった。すでに退院したあとだったのだ。

「警察では、そういうの把握してないんですか?」

 彼女は素朴に質問したのだろうが、失態ではないかと糾弾されたようだった。

「事件が立て続けにおこりましたから……」

 英吾のところまで、情報が来ていなかった。英吾の失態というよりは、単純な連絡ミスだ。

 看護師から話を聞いたが、刺し傷は浅いようで、本人の希望で退院になったそうだ。警護の警察官もいたはずだが、彼らにそれを止める権限はない。あくまでも佐川は被害者だ。

「こういう場合、警察はどう対処するものなんですか?」

「ここでは警護をしても、退院後になにかするということはありません。佐川本人が保護を希望すればべつですが……」

 それを求めるぐらいなら、そもそも自らの意思で退院することはないだろう。

「じゃあ、いまどこにいるかは……」

「警察は把握していません」

「そんな……」

 ため息のようなものにのせて、彼女はつぶやいた。

「どうするのですか? 佐川さんをさがしたほうが……」

「そうですね。また事件が続くかもしれない」

 うまくいけば、さがさなくても、おとなしく家にもどっているかもしれない。住所は高田馬場だから、直接たずねることにした。もしそこに帰っていなければ、姿を消したということになるかもしれない。

 あずま荘というアパートについた。かなり古い建物だった。俗にいう「ボロアパート」だ。

 部屋をノックしたが、応答はなかった。居留守をつかっているような雰囲気でもない。

「帰ってませんね」

 まだついていないだけかもしれないが、病院との距離を考えれば、ここにもどるつもりはないのかもしれない。

 そうだとすると、考えられる理由は二つだ。

 命を狙われていると思って身を隠した。もしくは、佐川にもことがある……。

 報復の連鎖を続けるつもりなのかもしれない。

「どこに行ったと思いますか?」

 英吾は、思わず新井に聞いてしまった。警察官である自分がそれを判断しなければならないのに……。

 だが、こういうヘイトトラブルに慣れている彼女なら、なにかヒントをくれるのではないかと考えてしまったのだ。

「仲間のところか……復讐するつもりなら……」

 ためらうように、彼女は口を開いた。

 仲間のところなら病院だ。しかし鳴橋は容疑者であるから、警察官の見張りがついている。のこのこそんな場所に行くだろうか?

 そうなると、あの韓国人グループを狙うかもしれない。とはいえ佐川にだって居場所はわからないだろう。

「たぶん、新大久保なんでしょうけど」

 新井の言葉に、英吾もうなずいた。韓国人の多いエリアに潜伏することは予想できる。おそらく、佐川もそう考えるはずだ。

 が、新大久保もそれなりの広さがある。

「とにかく、行ってみましょう」

 新井の言うとおりだった。ここで考え込んでいても仕方がない。これでは彼女がリーダーシップをとっているようなものだ。

 新大久保でも韓国人の店が多いエリアへ向かった。

「あら、新井さん」

 イケメン通りから一本路地に入ったところで、彼女に声がかかった。

「あ、どうも」

 知り合いのようだが、しばらく進んだらべつの人物からも声がした。

「顔なじみが多いですね」

「いえ、仕事で知り合った人たちです」

「韓国の人たちなんですか?」

「そうですね」

「あの……」

「はい?」

 英吾は、聞こうかどうか躊躇した。

「新井さんは……」

「? どうしました?」

「もしかして……韓国の……」

 そのとき、携帯が音をたてた。

 英吾のではない。彼女が携帯に出た。

「はい、新井です。あ、どうも……その後、なにかありましたか? え? ……わかりました、いま近くにいますので、すぐにうかがいます」

「どうしました?」

「落書きの被害にあった店からです。なにかすぐに伝えたいことがあるそうで……」

 すぐに向かうことになった。

「深刻なことなんですか?」

 彼女は、首をかしげていた。用件を聞いていないのなら、それこそ行ってみなければわからない。韓国人グループをさがすにも、佐川をさがすにも、あてがあるわけではないので、英吾も彼女についていくことにした。

 以前にも店の前までは行ったことがある。パルガッタの情報をくれた韓国人二人組にあった場所だ。

「こんにちは……」

「あ、来てくれたのね!」

 店主の女性に新井が話しかけた。店内には何人かの客がいたが、テーブル席をすすめられたので、二人は腰をおろした。女性店主は立ったまま話をするようだ。

「……なにがあったんですか?」

「また落書きがあったのよ!」

 興奮をおさえようともせずに、女性店主は口を開いた。イントネーションに少し不自然なところがあるぐらいで、ほぼ完璧な日本語だ。

「シャッターにですか?」

「うちじゃないのよ。近くにある店。インドネシアの」

「インドネシア……ですか?」

「そうよ、レストラン」

 どうやら韓国のお店ではなく、インドネシア料理店のシャッターに落書きされたようだ。

「そうですか……」

 新井の表情は、釈然としていなかった。インドネシアというところに引っかかっているらしい。

 いまや新大久保はコリアタウンという側面だけではなく、東南アジアをふくめたエスニックタウンと化している。韓国以外の店も多い。

「なんとか犯人をさがしてよ。このままじゃ、安心してシャッターを閉められないわ」

「そのお店について教えていただけますか?」

 店の場所を説明してもらった。

「『ayam』っていう名前よ。意味はチキンだって。店の前に出てる看板はハングルで書かれてる」

「え? ハングルですか?」

「そうよ。ほら、韓国チキンが流行ってるから、それにあやかってるんじゃないの」

 それを耳にして、彼女の眼の色が変わっていた。

 すぐに韓国料理店を出て、その店へ向かった。

 三分ほどで到着した。たしかに店の前に出されている看板にはハングル文字が書かれていた。これでは知らない人が眼にしたら、韓国の店かと思うだろう。

 ここに来るまでの短い時間で、韓国語ではそのまま「チキン」と発音するということを彼女から教えてもらっていた。日本語しか話せないということだが、やはり職業柄、自然に身についてしまうものなのだろう。

 英吾自身も、いまの部署についてから、外国語がそれなりにわかるようになっている。環境が人を育ててくれるものらしい。

「すみません」

 彼女が先導して声をかけた。さきほどよりも、エスニックな香りが強かった。開店時間をむかえたばかりのようで、まだお客は一人もいなかった。

「ドチラサマ?」

 外国人独特のイントネーションだった。

 東南アジア系の顔立ちをした女性だ。おそらく、国籍もそのままインドネシアなのだろう。

「あの──」

 新井が事情を説明した。

「ラクガキのことね」

「シャッターですか?」

「そうネ」

 そこで全員でいったん店の外に出て、女性従業員がシャッターをしめてくれた。

「なんてかいてあるのか、よくワカラナイけど……」

「わからなくて大丈夫です」

 とてもではないが説明する気にもならないような文言だった。社会人が口にすべき内容ではない。

 この店を韓国人が経営していると勘違いしたのだろうか。それとも外国人であれば、どこの国でも関係ないのだろうか……。

「これまでに差別されるようなことはありましたか?」

「そんなことない。日本人ミンナやさしいよ」

 もちろん、善良な日本人も多い。しかし少数かもしれないが、外国人に対して差別──そこまでいかなくても好ましくない感情をもっている人間は、それなりにいるものだ。

「この看板に、韓国の文字が書かれていますよね?」

「あ、ソウです」

「これでトラブルになったことはありませんか?」

「トラブル?」

「たとえば、韓国の店じゃない、みたいな」

 英吾は、彼女たちの会話を黙って見守っていた。こういう聴取は、新井のほうが適任だ。

「ナイヨ、一度も」

 店のなかに入ってちがうと気づいたら、そのまま出ていくものかもしれない。そのトラブルから落書きをされたとは思えない。

 やはり、韓国人とのヘイト報復に巻き込まれたとみるべきだ。

「犯人に心当たりはないですか?」

「……ナイよ」

 自信なさげな声が返ってきた。

「なんでもいいんです。思い当たることがあったら、話してもらえませんか?」

 英吾が助力した。

 まだ少ない経験しかないが、こういう反応のときは、なにかしら心当たりがあるのだ。はっきりと断定できるようなレベルではないから言いよどんでしまう。

「これかかれたの、キノウだとおもうケド……かえるとき、あったヒトいる」

「どんな人物でした?」

「……」

「安心してください。ここであなたが証言した内容は、他人にはもらしません」

 英吾は、たたみかけた。

「オマワリさん」

「え?」

 英吾だけでなく、新井も声をあげていた。

「おまわりさん……制服警官ということですか?」

 女性の首は縦に振られた。

「警邏……見回りをしていたんだと思うんですけど」

 英吾は言った。この女性が、警察官を疑っているような気がしたからだ。

「なにか不審なところがあったんですか?」

 質問したのは、新井だった。

「眼が……ナンだか……」

 とても曖昧な表現だった。

 要約すると、眼つきが悪かった……そういうことだろうか?

 しかし職業柄、悪人のような容貌になってしまう警察官も多い。大半は英吾のように、どこの役所にもいるような、ごく普通の見た目をしている者がほとんどなのだが……。

 そこからの会話は身が入らなかった。

 インドネシア女性の証言が頭から離れなかったのだ。

「どうしました?」

 レストランを去って、しばらくしてから彼女に心配された。

「あ、いえ……」

 不吉な予感がさきほどから消えない。

 あのインドネシア女性のこれまでを知っているわけではないが、外国人がこの日本で生活していく場合、一般の日本人よりも公器の眼にさらされやすい。

 警察はもちろん、入管もある。

 実際には、外国人だからといって警察官が特に注視しているわけではないし、入国管理局──現在の出入国在留管理局にしても、絶対数が少ないから気にするほどではないはずだ。

 それでも、そういう視線を日本人よりも普段からうけているのは確かだろう。警察官の眼つきが悪いからといって、いちいち意識しているのも過剰反応のような感じをうける。

 インドネシア女性には、彼女なりの違和感があったのではないか……。

 それはつまり、あやしむべきにあたいする不自然さがあった。

 だが、警察官が落書きの犯人という可能性はあるだろうか?

 常識的にはない。とはいえ、警察官だからといって犯罪をおこさないという性善説をとなえるつもりもない。ナショナリズムにはしった警官がいても不思議ではない……。

 職業の性質上、右傾化しやすいのも事実だ。とくにレーダー照射問題以降の日韓関係に怒りをもつ警察官があらわれても、なんら不思議ではないだろう。

 飲食店への落書きという行為が、腑に落ちない部分ではあるが……。

「川嶋さん?」

 再び彼女に心配された。

 とにかく考えているだけでは答えにいきつかない。

 もしもの推論は頭のすみに置いておくことにして、このまま捜査をすすめていくしかないだろう。

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