ピクニック
ベルが鳴る。果たしていつからそうなったのか、じっさいの鐘ではなかった――録音したものを再生しているだけの、ノイズの多い割れた音。
時計塔のなかには本物の鐘があるらしいのに、もう誰もそれを撞いたりはしない。
「それでけっきょくどうなったの」
うしろ向きに座って、椅子の背に顎を載せながらフェレドは言った。細くやわらかな灰色の髪が、動きにつれてはらはらとゆれた。
「なにが?」
教科書を揃えていた手を止め、ノーンが瞬きをする。
ちょうど昼の授業が一段落したところだった。みんなめいめい授業の後始末をしている。何人かは、持ちこんだ弁当を引っ張り出して食べ始めていた。弁当を持ちこんで学校で腹ごしらえを済ませる生徒もいれば、そのまま帰って家で昼食をとる生徒もいる。
フェレドもノーンも今日の分の課題は終えてしまっているから、あとは残るも帰るも、ふたりの自由だった。
「なにが? じゃない。海だよ。海。もしかして忘れてた?」
「ああ、いやいや。まさか」
ノーンは声をさせて笑う。
「いまも考えてたところだよ。そもそも、僕が見せたいって言ったんだから、忘れっこないだろ。あのあと先生に訊きに行って、地図だって作ってきたしね」
教科書を鞄にしまい、代わりにひらりと紙切れを取り出した。
厚みのある硬い紙。絵葉書の裏面を使ったようだった。角が折れて汚れ、灰色の線がついている。
「ほら、なかなかいい出来じゃないか?」
ノーンが指差す先には、インク溜まりの多い線でうねうねした線がいくつも描きこまれていた。どうやら道と、何らかの目印を示したものらしい。そこにちらほらと、×印がつけられている。……。
「なんかてきとーに×がついてるだけじゃん」
「お、言ったな? でもたぶん、目印がなくちゃ見つけられないと思うよ。じっさい着けば一目でわかる気もするけどね」
「例のおじいちゃん先生にきいたの?」
「そう」
地図を上着の胸ポケットにしまい直しながら、ノーンがうなずく。フェレドも椅子を立って、上着の袖に腕を通す。
「じゃ、今日はピクニックだな」
「いいね。海辺でピクニックなんて最高だよ」
ふたり並んで教室を出る。それから校舎を。そのまま真っ直ぐ森へ向かうことはせず、いったん町のほうへ出て、飲み物を買うことにした――食べるものはあった。フェレドの鞄にもノーンの鞄にも、それぞれずいぶん内容の違うサンドイッチが入っている。それから小さなりんご。
「そういえばきみ、掘るものって何か持ってる? スコップとか、シャベルとか」
店で買ったジュースのビンを鞄に詰めながら、ノーンが言った。
フェレドが首を傾げる。
「どっちも似たようなもんじゃないの?」
「スコップは先が平らで、シャベルは鋭い」
「ははあ……」
「だからまあ、できればシャベルがいいんだろうけど」
「掘るの? 海を?」
「いやいや、まだわからないけどね」
上着のポケットから取り出した地図とにらめっこをしながら、顎に手をあててノーンが言う。
「昨日の今日だからね。そんなに詳しい話はできなかったんだ。地図を作ったらもう時間がなくなっちゃって……おっと、たぶんここを左だな。地図に柊の茂みを左って書いてある」
「柊なんて、わりとどこにも生えてるんじゃないの?」
「どうもそうじゃないらしい。先生によるとね……『潰れた蛙の岩を右』だから、こっちだ」
「どういう目印なわけ、それ」
「先生が言ってたんだ。思ってたよりずっと潰れた蛙だったね」
ふたりがやってきたのは町のすぐそばにある、子供が遊び場にするような森だった。森と呼ばれてはいるものの、そう深いものではない。犬の散歩に来る住人もいれば、それこそピクニックにやってくる住人もいる。
「こんなところに海ねえ」
フェレドは薄っすらと目を細めた。昨日父親に聞いた海のイメージと、目の前に広がる森はどうにも結びつかないように思えた。黄金に輝く銀杏、赤い小鳥の群れでもとまっているかのような桜、燃えるような楓……。緑はどこにも見当たらない。青いのは、ただ空だけ。
「今日のところはどのみち下見だよ」
「ノーン、ちょっとおれにもその地図見せて」
「どうぞ」
「ふ~ん、けっこう細かく書いてあるんじゃん――なになに、『地面がケーキみたいに切り分けられてるところ』……?」
「そういうところを探すんだってさ。地層が見えてて、きれいな縞模様になってるところを探すんだ。で、灰色とオレンジが混ざったみたいなあたりを掘ると」
「そこに海がある?」
「うん。海というより、海の思い出がね。……」
海を探しに 十戸 @dixporte
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