第2話

藍崎あいさき、あの娘の取って付けたような立ち居振る舞い、滑稽だっただろう?」

「まぁ……おしゃまで可愛いもんだとは思いやしたが」

「たとえ一時でもあれ、良家の暮らしを手に入れてからの転落。その絶望に歪む表情は、もっと見物だぞ。そのための養子は、あれの他に11人いる」

「良いご趣味なこって」


 瑠々子が込めたあからさまな皮肉の響きも、嘉村には届いた様子もない。



「ぎゃわん! 転びましたわ!」


 雪駄やサンダルで歩くには少々険しすぎる山道。派手に転んだほなみの膝は擦りむけ、血がにじんでいる。


「やれやれ。案内はここらで結構ですよ。ひとりで帰れますかい?」


 腰のポーチに入れておいた絆創膏で応急処置を施し、瑠々子は水を向けてみた。嘉村の依頼は前任者である拝み屋が失敗しこじらせた『ゆぐ』との契約解除。ほなみの同行の意図は説明されるまでもなく明白だったが、捧げものを供すること自体は本筋ではない。


「イヤですわ! いちど任されたおしごとは、最後までやりとげますの!」

「……さいで」


 ほなみの手を引き歩くうち、程なく朽ちかけた白木の鳥居が見えてきた。その先には、何年も取りかえていないであろうしめ縄を渡された、洞窟が控えている。


「いつもは入っちゃいけないって言われてますの。このチャンスはのがせませんわ!」


 なるほど、帰されるのを嫌がるわけだが――


「ま、なるようにしかなりませんわな」


 懐手でうそ寒げにひとりごちる瑠々子を後目に、ほなみはずんずん奥へと進む。


 洞窟は自然にできた物にしては床面壁面ともに滑らかで、登ってきた山道より歩きやすいくらいだった。強力な懐中電灯で照らす先は、緩く下り続けている。


「きっと海に続いてるんですわ!」


 じわりと湿る岩壁と微かに漂う潮の香りに、ほなみが歓声をあげた。

 行き止まりだ。足元は切り立った崖になっており、はるか下から波の音が響く。開けた天井は、懐中電灯の光が届かないほど高い。

 波が穿った巨大な地下空洞らしい。潮が満ちれば水没する空間だろう。


 呼び掛けるまでもなく、遠い足元の波間から異様な気配が伝わる。

 懐中電灯の光が届かない水底に、巨大な存在がたゆたっている。


「お控えなすって。あっし姓は藍崎名は瑠々子と申す見鬼を生業なりわいとするもので。粗忽者そこつものゆえ、前後間違いましたる節はご容赦願います。縁あって、当主嘉村豪三の名代申し付かりました。先だっては未熟の駆け出し者の使いの無礼、平に平に御寛恕ごかんじょ願いたくまかしました」

「お、お? るる子なに言ってますの?」


 唐突に仁義を切る瑠々子に驚くほなみ。

 じわじわとそれが崖を這い上がる気配がする。


 思った通りだ。この大きさこの神気では、なまじの術など効くものではない。できれば対面せずに済ませたいが、そううまく事が運ぶものか。

 元来気まぐれで与えられた加護。取り止めるのも向こうの気分次第。こちらからどうこう指図するのが筋違いというもの。前任者は最初から間違っていたのだ。


 赤い捧げもの――生贄を捧げる際、嘉村は必ず同行し、犠牲者の最期の表情を楽しんでいたという。絶望。懇願。激怒。哄笑。諦念。狂気。慟哭。その嘉村が今回屋敷に籠っているのは、成功する目が限りなく低いからに他ならない。契約の破棄どころか、怒りを鎮めることさえ難しい。養女であるほなみだけではなく、瑠々子の身さえも生贄のお代わりのつもりだろう。万々まんまんが一成功すれば御の字。失敗しても次を手配するのみ。初対面時の口ぶりで、瑠々子もそこまでは見抜いている。


 足りない頭で考えろ。この地に定着するものなら、嘉村の父の代の不在で大きなさわさわりになっているはず。少ないながらも地域の住人は健勝で、死に絶えるようなこともない。ならば、この地は回遊する大きな縄張りの一部でしかなく、赤い捧げものはあくまで賜りものを拝領はいりょうする際の対価ではないのか。


「ざっくばらんにお頼申たのもうします。今日こんにちこの日を持ちまして、当主嘉村、御主様とのご縁を終わらせたく存じます。平に平に御願い申し上げ奉ります。以後、万事万端、宜しくお頼申たのもうします」


 びしゃりと。ひと抱えもあるぬめるものが崖の淵に掛かり、腐った潮の臭いが立ち込めた。

 2本、3本。次々と現れるそれは触手でしかなく、咄嗟とっさにほなみを背に庇うだけで身をすくめた瑠々子に、覆いかぶさるように『ゆぐ』はその身を晒した。


 粘液に覆われた蒼白いナメクジのような身体。

 何本もの触手の中心には、細かい歯がびっしりと生え揃った、丸い口が開いている。


「でっけーウミウシですわ!!」


 瑠々子の背後から、ほなみの歓声が上がる。


『ゆぐ』はしばし、ふたりを探るように粘液を滴らせる触手を揺らめかせていたが、巻き戻すように崖を滑り降り、姿を消した。


「すっごいですわ! でもよく見たら、ウミウシともゴカイとも違いましたわ! ……るる子、どうしましたの?」

「……情けない話ですが、腰が抜けやして……」



 行きの倍ほど時間を掛けて洞窟を出るやいなや、瑠々子のスマホに着信があった。


『お前……何をした! 失敗したな!? 地下から、奴が、『ゆぐ』が!!』


 取り乱した嘉村の声。背後では悲鳴や物の壊れる音が響き、ずいぶんと騒がしい。


「いえいえ。ちゃんと契約は反故ほごにして頂きやしたぜ? 今後『ゆぐ』が撥波美はねなみに居付くことも、捧げものを求めることはありやせん。ただ、あちらさんがこれまでの不始末の落とし前を求められるってのは、あたしのしのぎの埒外らちがいの話。退魔祓魔たいまふつまは手に余るって言ったでしょう。御身を護るご依頼まで受けちゃあいやせん」

『きッ……貴様! 藍崎あいさきぃイイイ!!』

「あぁ、言いそびれてましたがね、あたしの名はあいさきじゃなくらんざきってぇ読むんですよ?」


 絶叫のあと、反応のなくなった通話を切り、瑠々子は秘書の坂本に掛け直した。


『あ……藍崎様、い……今、屋敷に化物が――』

「ですか。こっちの仕事は終わりましたんで、残金の振り込みはお願いしやす。あ、ほなみさんも無事です。お屋敷へはお送りしますんで、あとは良しなに」


 なおも言い募る秘書に構わず、瑠々子は通話を切り上げた。

 瑠々子に肩を貸すほなみは、未だ興奮冷めやらぬ様子で頬を染めている。


 正式な書類が揃っているという話だ。悪いようにはしないだろう。

 ただ、それでも12人は多すぎる。それはそれで騒ぎになりそうだが、そっちは瑠々子の仕事とは関わりの無いこと。


「ま、こんだけ肝が据わってりゃ、たいがいのことはへいちゃらでしょうがね」

「なんですの?」


 何ひとつ状況を理解していないほなみが物問い顔を向ける。


「ああ、ひとつ言い忘れてやしたほなみさん。あたしは脚の無いのも苦手なんでさぁ」


 了

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藍崎瑠々子の渡世の流儀 藤村灯 @fujimura

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