第6話

 しかし、事態は俺の薄っぺらい熱弁を薙ぎ払うかのように悪化した。


 今更ながら、言わなきゃよかったなんて。

 俺は人知れず後悔してる。


 何をどう尽力したか。

 俺には詳しく分からないけど。

 タミーや白金地区の田の神の尽力も及ばずで。

 得体の知れない稲の病気は、徐々にそして、確実に広まりを見せていた。


 剣平神社が管轄する田んぼの、すぐそこまで迫っている。


 西に傾いた太陽が、黒く変色した異様な田んぼを照らし出す。

 何度見ても、やりきれない光景。


 その光景を横目に見ながら。三段重ねの重箱を四つ、風呂敷に包んだ俺は、砂埃の舞う田舎道を早足で駆け抜けた。


 後もう少しで、剣平神社だ。


 早足に移動しているだけなはずなのに、息が上がる。

 これは、俺の基礎体力の無さだけが原因じゃない。


 重箱にパンパンに詰められた、おむすびの負荷重量のせいだ! 

 腕がちぎれそう! 

 その前に、空気が足りない! 

 つーか、もう限界だ……ぶっ倒れそう。


「おーい! ミワァ!」


 意識が遠くなりかけた、その時。

 剣平神社の入り口から、あの小生意気な声が響いて、俺の胸に突き刺さる。


 ハッとして顔を上げると、剣平神社の鳥居の下に小さな白い影が浮かび上がった。

 鬱蒼と茂る木々を背景。白い水干すいかんをきたタミーが輪郭をはっきりとなす。

 体力の限界を突破して、ヨボヨボの俺に。タミーは全力で俺に向かって手を振っていた。


「おーい、ミワ! 握り飯は!? 握り飯を持ってきてくれたか!?」

「あ、ったり前だ!!」

「途中で捨てたりなんか、絶対にしてないだろうな!?」

「はぁ!? 俺を舐めんな!!」

「助かった……!! ミワ、恩にきる!!」


 鳥居から先には出られないタミーは、俺を待ちきれないと言わんばかりに足を交互に動かしていた。


 タミーがこんなに莫大な量のおむすびを欲しているには、ワケがある。


 連日連夜。

 他の地区の田の神と寄合をして、謎の病気を食い止める手立てを講じていた。

 まさしく、田の神大集結。

 田の神アベンジャーズだ。人々が寝静まった頃、神通力を駆使し変色した稲を元に戻そうと死闘する。


 しかし、田の神アベンジャーズが死力を尽くしても、一向に良くならない現状に、田の神達の疲弊度が増していって。

 そうこうしているうちに、意外と早めに田の神達の限界がきてしまった。


 そりゃそうだ。

 元々は極端に平穏で、柔和な神様だもんな。


 おそらく、戦士や勇者並みの体力なんて、持ち合わせてないだろう。

 狭い祠に敷き詰められた畳。

 その上に、なんと。

 何十いう数の田の神が、柔和な笑顔を歪め、苦しげに横たわっているのだ。


 ただ今、剣平神社は。

 疲弊し倒れた田の神達の、野戦病院と化している。

 うん、絶対に。野戦病院って表現は正しい。 


「皆!! 握り飯がきたぞ!!」


 タミーは俺から重箱をひったくると。サッと重箱を広げて、手際よくおむすびを田の神達に配りはじめた。 

 俺だって倒れそう。 

 おむすびを運んだだけだろ! と突っ込まれたらそれまでだけどさ。

 俺だって、勇者じゃないし。

 異世界に転生なんかしたら、真っ先にヤられるモブキャラ確定だよ。


 あぁ、俺も畳に横になりたい。

 そんな超絶に切羽詰まった願望をひた隠し。

 俺は、プルプルする足に鞭打った。

 見よう見まねで、タミーがしているように、横たわる田の神におむすびを渡す。

 震える田の神の手が、力無く俺の手からおむすびを取った。

 ゆっくりと体を起こすと、田の神達は無心でおむすびを頬張る。


「こりゃあ、美味ぇなぁ」

「体に力が蘇るようじゃあ」


 田の神達は口々に、そう呟くと。

 重箱に手を突っ込み、次々とおむすびを平らげていった。

 みるみる、と。

 パンパンに重箱を埋め尽くしていたおむすびが、なくなっていく。

 家族総出で、汗だくになりぎら握ったおむすびが。

 腕がちぎれるんじゃないか、ってくらい思い重箱を運んだ苦労が。

 一瞬にして、目の前から消えていく感じがした。


 あぁ、こういうのっていうんだな。

 四字熟語って、たった四文字で色んなことを集約しているな、マジで。


「いやぁ、美味かった! 美味かった!」

「これで神通力も万倍じゃ!」

「……」


 田の神達のおむすびを消費する速さに、俺は文字どおり言葉を失ってしまった。


「よーし! 今日は早速〝光の消毒作戦〟でいこうぞ!」

「あい、わかりもうした!」


 あの大量のおむすびで、体力を完璧に回復したのか。

 田の神達は、足取り軽やかに剣平神社から出ていってしまった。


「おにぎりで瀕死状態から復活するのかよ。めっちゃ効率のいい体してねぇか? 田の神って……」

「まぁ、田の神だからな」

「答えになってねぇよ、タミー」

「あはは」


 半ば呆れた感の強い俺の言葉に。

 苦笑いしたタミーは、散乱した重箱を片付けながら言った。


「あれ? タミーは食わないのか?」

「儂はいい。いらない」

「え? そんなことないだろ!? コンビニからおむすびを買ってこようか?」

「大丈夫だ、ミワ。儂は平気だから」

「いやいや、いつもおむすびめっちゃ食ってんじゃんか」


 タミーは俺と目を合わすことなく、力無く笑う。

 いつもとは違う、タミーのテンション。

 俺は少し胸がチクリとした。


「儂は、他の田の神達みたいに徳も高くないし、依代もないから。あんな強力な神通力は使えない」

「タミー……」

「正直、見ているだけってのが、こんなに辛いことだとは思いもよらなかった」


 日もすっかり落ち、薄暗い空をバチバチと雷のような閃光が走る。

 田の神達の力なんだろうか。

 暖かい気を含みつつも、ピリピリと静電気のような鋭さを宿したした光。

 飛び散った光の粉が、俺の頬をスッ掠めて消えていった。


 きっと、タミーも一緒に〝光の消毒作戦〟に加わりたかったに違いない。


 依代もない、若い田の神のタミーは、何もできぬまま。 

 歯痒さと不甲斐なさを抱えているのだろう。

 パッと。

 闇を走る閃光が、タミーの穏やかな横顔を照らし出す。

 その度に、俺は。

 タミーに声をかけたかったのに、そうすることができないでいた。

 なんとなく、タミーの気持ちがわかってしまったから。

 なんとなく、タミーに慰める言葉なんて、かけてはいけないと感じだから。


 俺とタミーは、しばらく。

 何も喋らないまま、祠の隙間からその鋭い光を眺めていた。





『美和。今そっち、大変なんだって?』


 電話の向こう側にいる史門の声が、いつになく神妙に聞こえて。

 俺は、でかけたため息をグッと飲み込んだ。


「うん、まぁな。祈祷依頼も増えてるし」

『そうか。何か手伝える事、あるか?』

「いや、大丈夫だよ。史門、ありがとう」

『少し落ち着いたら、飲みにでも行こうか』

「あぁ、わかった」

『また、連絡するよ。美和』

「うん、ありがとう。史門」


 スマートフォンの画面に触れて、史門との通話切断した俺は。

 さっき飲み込んだため息を、無理やり外に押し出した。


 なんで、なんだ? 

 なんで、何にもできないんだ、俺は!?


 手のひらスマートフォンを、力を込めてグッと握りしめた。

 手に込められた力はあるのに、それは何の役にも力だと。


 俺は再びため息を吐くと、高く真っ青な空を見上げた。

 夜な夜な繰り返される、田の神アベンジャーズのサポート役として携わって、かれこれ一週間。

 事態は相変わらずで。

 徐々に田んぼを進行する謎の奇病と、食い止める田の神アベンジャーズは、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 次第に田の神アベンジャーズにも焦りが見え始めている。

 その焦りが伝播したのか。

 田んぼを管理する人も、変色する稲がただの病気ではないと勘づきはじめていた。

 どんな対策等も無力に。

 一向に田んぼを黒変は良くなる兆候を見せない。

 そうなると、いつの時代も人が縋るのはやはり〝神様〟だ。


 ここ二、三日で、俺に祈祷を依頼してくる氏子が増加している。

 田の神アベンジャーズやタミーの努力とか、さ。

 俺は全て知っているのに、知らないふりして祝詞のりとを読み上げる、なんて。


 俺にはそんな力なんかないのに、俺なんか何の役にも立たないのに、って。


 そう思うと心の中がモヤモヤした。


「神主さん、これを」


 祈祷が終わり、一人悶々と帰り支度をする俺に。

 氏子さんが申し訳なさそうな顔で、俺に紙袋を差し出した。

 そこを支える手からも分かる、ずっしり感。俺は頭を深く下げて、紙袋を受け取った。


「ありがとうございます」

「と、いうか。神主さん、いいんですか?」

「え?」

「祈祷料、でよかったんですか?」


 そりゃそうだよな。

 祈祷料の代わりにおむすびを、なんて。

 氏子さんじゃなくても疑問に思うよな、普通。


「えぇ、こっちの方が助かります。今は」

「今は、ですか?」

「はい。今はなんですけど……」


 俺の不信極まりない言葉に、氏子さんの申し訳なさげな顔が怪訝に変わっていく。

 しかし、そんなことで萎縮している場合ではない! 

 俺は精一杯、口角を上げて不信感を吹き飛ばした。


「これで暫くは!」

「戦う、ですか?」

「はい!」


 戦うって、何? 

 と、言いたげな氏子さんは。

 生温く「はぁ、そうなんですね」と返事をして、深々と頭を下げる。


 俺は一礼すると、ずしりと思いおむすびの包みを手に、畦道を歩き出した。

 たまに吹く、冷たい気を孕んだ風が。

 黒く変色した稲穂を揺らし、畦道の砂を巻き上げる。


 戦う、戦っている--。


 それくらい、仄めかしてもいいじゃないか。

 毎晩毎晩、小さな体の田の神が。

 全身全霊を持って田を、氏子を守ろうとしているんだから。


「さてと。俺も自分の役目を頑張んなきゃ、だな!」


 俺は草履で畦道を強く蹴った。

 巻き上がる砂埃も、黒く揺れる稲穂を不気味な波も。

 弾き飛ばす勢いで走り出す。


 俺自身、全くもって役には立ってる気はしないし。

 その自覚もあるけど。

 見えない何かに立ち向かう、ヒーローの一員になったんじゃないかって思えて。

 ただ跡目を継ぐという、ふわふわした気持ちで神主になったけど。

 タミーと出会えて。

 田の神たちと出会えて。

 俺は初めて、神主になってよかったって思えたんだ。

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