第7話

「なんか。忙しい割には、美和って溌剌はつらつとしてないか?」

「そんなことないよ? 十分疲れてるってば」

「そっちも大変だなぁ」

「いやいや、史門も大変なんだろ? 今日も遅れてきたし」

「いやぁ、美和ほどじゃないと思うよ?」

「またまた」

「しかし、本当収束しないなぁ」

「まぁなー、祈祷するのも限界だもんな。目に見えて状況が良くなるわけじゃないし」

「失礼しまーす!」


 ボソボソと呟く俺の言葉を一瞬で掻き消すように。

 店員の元気な声が頭に落ちると、サガリの串焼きがテーブルの上にドンと置かれる。


「え、頼んでない……」


 俺が動揺して視線をあげると、店員は史門に向かって満面の笑顔を向けた。


「あちらのお客様からです!」


 店員の手のひらの先には、若い女性が二人。

 史門は「ありがとう」といって、女性たちに軽く会釈をした。

 同時に、きゃーと店内に黄色い悲鳴が上がる。

 史門は串焼きを運んできた店員に、耳打ちするように顔を近づける。


「すみません、店員さん。あの女性たちにレモンサワーをお願いします」

「かしこまりました〜」


 あっという間で、一瞬の出来事。

 ぼんやりと言葉を失う俺に、史門は苦笑いしてジョッキのビールを飲み干した。


 目の前でビールを煽るイケメン神主・佐々史門は、オフの時でさえイケメン度が下がる気配がない。

 ハイネックのTシャツに仕立ての良さげなジャケットなんて着てさ。

 まるで、メンズ系雑誌から飛び出してきたかのような、爽やかで淡麗な容姿は。

 安い居酒屋で串焼きを頬張る女性の視線を、独り占めしていた。


 一方、俺はというと。

 白Tにネルシャツといった、完全にオフなスタイルなわけで。

 おそらく、この居酒屋では。

 史門だけに見える透明な存在と化している筈だ。

 その証拠に、声を張り上げた俺の「すみませーん」には反応しないくせに。

 史門のはにかみながらの小さい「すみません」には、秒速で店員が反応する。


 別に、慣れてるし。

 全然平気ですよ? 

 というか、俺は常にこんなポジションだからね。

 どうってことないですよ、はい。

 どうってことは、ないんだけど。


 最近は、タミーや田の神たちに認知・承認されていたからか。

 慣れている筈のこの状況に一抹の寂しさを感じていた。


「たまには、酒など飲んで気晴らしをしてこい!」


 と、タミーたちのこと様に甘えて。

 久しぶりにやってきた、とてつもなく賑やかな居酒屋。

 楽しいはずの時間なのに。

 どこかに身の置き所を探す自分がいて。


 タミーとか、田の神たちは今頃また得体の知れない米の病と戦っているんだと、思うとさ。

 胸がぎゅっと苦しくなって。

 俺はいたたまれずに、ジョッキに半分以上残っていたビールを一気に飲み干した。


「いい飲みっぷりだなぁ、美和」

「まぁ、な。たまには飲まなきゃ。誘ってくれたヤツの奢りだろうし」

「いやいや、まてって。割り勘にしてよ〜」

「いや、だって俺。サガリもらってねぇし」

「あぁ、ごめんごめん! あの子たちのレモンサワーは払うからさ」

「当たり前だっつーの! それまで割り勘にしたら、友達辞める」

「あはは! するわけないじゃん!」

「……まぁな。俺は史門を信じるからな。からな?」

「ありがとう、美和」


 そういうと、史門は邪心のかけらもない笑顔ではにかんだ。


「そういや、史門ん管轄とこはどうなんだ?」

「何が?」

「田んぼだよ、田んぼ」

「あぁ、うちん管轄とこはまだ大したことない感じだよ?」

「そうかぁ。俺ん管轄とこはもう四割強に達してんだよ」


 俺は深く息を吐いた。終わりが見えない。

 次第に膨らむ不安は、氏子のみならず周辺の人々まで伝播して暗く影を落とす。


「しかし、大変だな。ほぼ毎日どこかで祈祷してんだろ?」

「祈祷も所詮は気休めだって、皆思ってるし。正直、もうどうしたらいいか分かんねぇよ」


 これは本当に、本当の。

 俺の本音だった。

 田の神たちの頑張りも、もう限界に近いだろうし。

 俺は黒い穂を垂れる稲の波が広まっていくのを、ただ何もできずに見守るしかないのだろう。


 俺は頭を抱えて、テーブルに肘をついた。

 その時--。


「所詮は、だろうな」


 何だ? 今の? 史門の声のはずなのに。

 普段とは違う、史門の言葉のニュアンスが厭に冷たく聞こえて。

 背中にいい知れぬ寒気を感じた俺は、ハッとして顔を上げる。


「え?」

「何?」


 俺は余程、驚いた顔をしていたに違いない。

 形の良い眉をひそめて、史門苦笑いをした。


「あ、ごめん、今の。よく聞こえなくって」

「え? オレ何か言ったっけ?」

「いや、大丈夫。空耳だったかも」

「やっぱ、美和疲れてんだろ?」

「久しぶりに飲んだしなぁ」

「ま、今日はゆっくり飲もうぜ」

「あぁ」


 飲み過ぎた、というわけではないように思う。

 それでも連日の疲れとか。

 田の神アベンジャーズのお世話とか。

 通常にないことが重なって、余計に酔いが回ってしまったのかも知れない。


 たった二、三杯。

 アルコールを煽っただけなのに。

 史門との会話が、その時からプツリと途切れてしまった。


「--え? 今……何時?」


 目を覚ますと、真っ青な空が視界いっぱいに広がった。

 大分小さくなった太陽が射抜くように、瞳孔を刺激する。


 え? 

 なんで、空? 

 つか、俺。

 どこにいるんだ??


 俺は飛び上がるように体を起こした。

 瞬間、視界がグラグラと揺れだし、同時に殴られてような頭痛に襲われる。


「っ! 痛ぇ……」


 思わず頭を抱えて。

 痛みに抗って、僅かに開いた視界がとらえたのは。

 どこまでも真っ直ぐに伸びる、見慣れた田んぼの畦道。


 ここ!? 

 えぇ!? 

 何? 

 何なんだ!?


「え??? なんで??? えぇ!?」


 昨夜は……そう! 

 史門と飲んで。

 他愛無い近況報告なんかして。

 そうだ、女の子たちや店員さんが史門に熱い視線を送ってて。

 そんなに深酒なんかしてなかったはず! 

 いや、むしろあれだけの酒量で、泥酔して地べたで爆睡するはずもない! 

 

 なのに、なんで? 

 俺は、剣平神社へ続く畦道なんかで寝てるんだ!? 


 俺は不自由な頭と四肢を懸命に奮い起こして、立ち上がった。

 最低な思考と、最低な体調をひきづって。

 剣平神社へと歩き出す。


 絶不調、なのに。

 厭に胸騒ぎがした。


 剣平神社に急がなきゃって。

 タミーに早く会わなきゃって。

 そうしなきゃって、その気持ちが強く、俺の体を押す。


「な……なんだ、これ!?」


 いつもなら。

 俺の気配をいち早く察したタミーの元気な声が、境内中に響くのに。

 シン--と静まり返った剣平神社の非日常な状況に、俺は思わず息を呑んだ。

 変な、妙な、胸騒ぎがする。

 急いた気持ちが。酔いが抜けず、ままならない足取りを早くした。

 そして、俺は思いっきり剣平神社の祠の扉を開ける。


「ミワ……」


 か細い、今にも泣きそうなタミーの声が。

 静かに、そして重たく俺に突き刺さる。


「タミー、どうしたんだ!」


 小さく体を丸めて蹲るタミーに駆け寄ろうとした、その時。

 爪先にカツンと何かが当たる感触がした。


「え?」


 ゴロッと。鈍い音が床を伝播する。

 俺は薄暗い祠の床に目を凝らした。


「い、石!?」


 結構な大きさの石が、何個も床の上に転がっている。

 暗さに目が慣れたせいなのか?

 祠の扉から差し込まれた陽光のおかげか? 

 足元に転がる石の。それに刻まれた柔和な表情浮かび上がる。


 しゃもじと、にこやかな石像の、これって。

 これ、これって……もしかして!?


「た、田の神さま!?」

「ミワ……儂は、どうしたら良いんだろうか」


 目に涙をいっぱいに溜めて。

 タミーは俺を見上げて言った。


「何……何があったんだ!?」

「昨夜は……」

「昨夜は!? 何があったんだ!! タミー!!」

大蛇おろちが出たんだ」

「は?」

「大蛇が、でた」

「大蛇って。何言ってんだよ、タミー」

「熱く……湿った風が吹いた」


 タミーは、震える声で小さく呟く。


「黒い大蛇が風とともに現れて。田の神たちをあっという間に飲み込んでしまった」

「……まさか、そんなことって」


 嘘をついているとは思えないタミーの、嘘みたいな話に俺は完全に思考が停止してしまって。

 ガクンと膝の力が抜ける。


「本当にあっという間だった。飲み込まれた田の神たちは、石になってしまって」


 ポタッ--と。

 畳の上に、水滴が一つ。

 また一つと落ちて波紋が丸く浮かびあがった。


「儂は、どうしたら良いのだろう。どうしたら……どうしたら」


 タミーが声を詰まらせて、咽び泣く。


 何て、声かけていいのか。

 ひよっこの俺の祈祷が、気休めだ、とか。

 面妖で弱っちいガキみたいだけど神様だから、とか。心のどこかで、きっと〝どうにかなる〟って。

 そういう風に、たかを括っていて。

 本当に二進も三進もいかなくなって、いざとなったら何にもできない。

 何の言葉もかけられない。

 己の無力さが、こんなにも苦しいことだなんて。

 今まで考えもしなかった。


 でも、でも--!

 このままじゃ、いけない!!


「タミー!! 仇を取るぞ!!」


 仇とか、このままじゃいけない、とか。

 日頃の俺なら決して! 

 本当に決して言わない。


 自他ともに認めるやる気のなさと、ビビリな性格なんだよ、俺は。

 にこやかなまま石になった田の神達や、タミーの打ちひしがれた姿が。

 あまりにも、胸に刺さってしまって。

 つい〝仇を取るぞ!!〟なんて、俺は大それたことを言葉にして発していた。


「ミワ……お前」

「な、なんだよ。タミー」

「お前、馬鹿なのか?」

「はぁ!?」

「優秀で徳の高い田の神達が、一瞬で石に変えられてしまったんだぞ!! 何の神通力も使えぬお前に何ができる!!」


 へたり込んでいるにも拘らず、口だけは啖呵を切る俺を。

 涙を孕んだ瞳で俺を睨みながら、胸ぐらを掴んでくってかかる。


「人、人だから!!」

「人だから、なんだ!!」

「人だからできることがある!!」

「はぁ!? お前ふざけるのも大概にしろよ!!」

「ふざけてないんかない!! 俺には神通力なんてないけど!! 可能性だって無くはないんだ!!」

「ッ!! 口からでまかせばかり言いやがって!!」

「でまかせ!? おい、タミー! でまかせとか言ったな!?」


 うん、俺だって。

 口からでまかせってことぐらいわかってる。

 わかっているけど、わかっているんだけれども。


 何故か、口が止まらない。

 まさしく、タミーの言い得て妙なツッコミ。

 俺は多分、それが許せなかったんだ。

 いつもは俺にあーだこーだ言うくせに。


 何で……俺を頼ろうとしないのか? 

 何故、俺が無力だと決めつけるのか。


 冷静に考えたら大いに無力で、頼り甲斐なんてこれっぽっちもないんだけど。

 まだ抜けきれない酔いが俺を大胆にさせているのか? 

 兎にも角にも、勢いに任せて啖呵を切ってしまった俺は。 

 顔を真っ赤にしたタミーと、真っ向からぶつかってしまう状況になってしまった。


 タミーは涙を拭くこともせず、拳を振るわせていい放つ。


「あぁ、言ったさ!! 言いましたとも!!」

「俺を舐めるなよ! ビビりでも、半人前でも! やるときゃやるん男なんだよ!」

「じゃあ! やれるもんなら、やってみろ!! 何の力も持たないくせに! そこまで言うなら、お前! 大蛇を倒してみろッ!!」


 言ったな? 

 言いやがったな? 

 タミー、そこまで言うなら、目に物見せてやる!!


「あぁ、やってやる!! 人類の叡智の結晶を、目ぇひんむいて見やがれ!!」

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