第5話
「はぁ……」
いつもなら全身全霊を込めて掃除をするタミーが、はたきを覇気なく振り回す。
ポツリと溢した息でさえ、なんとなく元気がない。
俺は
「どうしたタミー、腹減ったのか?」
「うーん、腹は減ってない」
「なんだよ、さっきから!」
「へ?」
心ここにあらず、といった感が否めない。
ぼんやりとしたタミーに、つい俺は。
語尾を強めに言い放ってしまった。
だって!
いつもなら、俺がこんな状態だったら……主に、二日酔いとかだけど!
とにかく!
ぼんやりと使い物にならない状態だったら、凄ェ勢いでドヤしてくるくせに。
だから、なんだか俺は。
こんな状態のタミーを心配するどころか、腹が立って仕方がなかったんだ。
「辛気臭い顔で、ため息ばっかつきやがって! 腐っても神様なんだろ!? シャキッとしろよ、シャキッと!」
「あ……すまん。悪いことをしたな、ミワ」
「……」
そうじゃない、そうじゃないだろ!?
いつもなら「はぁ!? お前、誰に向かってそんな口を!! 儂は神様だぞ! 神様をなんだと思って、そんな口をきいている!!」なんて、突っかかってくるのに。
あまりにも素直にタミーが謝ってくるもんだから、俺は言葉を失うくらい思考が停止してしまった。
へ……変だ! なんか、変だ!
変な病気とかじゃないよな!?
いや、絶対にどこか病気だ!!
俺は居ても立っても居られず、箒をほうり投げて、タミーの腕を掴んだ。
「おい、タミー! お前、どっか具合悪いんじゃないか!?」
「え??」
「辛かったらちゃんと言え! 病院行くぞ!! 病院でちゃんと診てもらうぞ!」
「びょ……病院??」
「ほら! 早く!」
「あはは……!! あはははは!!」
必死で、余裕すら微塵もない俺を尻目に。
タミーが顔を真っ赤にして笑い出した。
しかも、笑いすぎて涙まで流してやがる……。
タミーは目尻の涙を指で掬い、俺の手に小さな手を重ねた。
「儂は神様だ。病気なんかにかかるわけないだろ」
「うるさい! いつもと様子が違ったら、神様だろうと人間だろうと、病気なんじゃないかって心配するだろ!」
「あはは! それは、すまないことをした」
「笑って謝られてもだな!!」
「ありがとう、ミワ」
「え?」
「少し気になることがあって、鬱々としていた。ミワのおかげで、だいぶ和らいだ。礼を言う。ありがとう」
「いや、別に、そんな」
いきなりのお礼。
しかも!
今まで見たこともないほどの、癒し感満載なとびきりの笑顔で言われたお礼に、俺は。
不覚にもドキリとして。
全身から湯気が出そうになるくらい、照れてしまった。
神様のツンデレの破壊力、半端ない。
「いや、少し気になることがあって」
「気になること?」
タミーは申し訳なさげに苦笑いして、小さく呟いた。
「白金地区の田の神が、嘆いていたのでな」
「白金地区って、隣町の?」
「あぁ、昨夜ふらっとあらわれてな」
「え!? 田の神様って動くの!?」
「白金地区の田の神は、由緒ある徳の高い神様だからな」
「なるほど」
いやいや、俺!
感心してる場合じゃないし!
俺は軽く咳払いして、心の揺らぎを悟られぬよう、慎重に言葉を続ける。
「で、その田の神様は、なんで嘆いてたんだ?」
「それがなぁ」
浮かない表情。タミーはため息混じりに言った。
「収穫間近の稲穂が、軒並み奇妙な病気になってしまったらしい」
「え?」
「実をずしりと蓄えた金色の稲。白金地区の
「
「儂もそれを考えたんだが。一夜につき一畝。綺麗に黒変してしいくから、どうもそれではないらしいぞ」
「どういうことだよ、それ」
「白金地区の田の神がいうには、な」
はっと、息を短く吐いて。
悔しげに下唇を噛んだタミーは、眉間に皺を寄せる。
「前日までなんともなかった黄金色の田が、翌朝には燃やされたみたいに黒くなっているんだそうだ」
「放火か!?」
「……ミワ、お前馬鹿だろ」
「はぁ!?」
「収穫前の稲がびっしりと植っている田んぼが、夜中になんか燃えてみろ。あっという間に延焼して大惨事だ」
「確かに」
「お前、本当に学校行ってたのか? ちゃんと勉強していたのか?」
「うるさいッ! 可能性の一つを言っただけだろ!」
「まぁ、事が事なだけに。白金地区の田の神は、近隣の田の神に事情を説明しに回ってるんだそうだ」
「大変なんだな、田の神も……」
タミーは、俺の言葉に頷きもせず。
茶色い大きな建物を眺め、ポツリと呟いた。
「なんだか、胸騒ぎがする」
「え?」
タミーと一緒になって、茶色い建物を眺めていた俺は。
意外なタミーの呟きに、思わず冠りを振ってタミーを見てしまった。
「変に、胸のあたりがモヤモヤするんだ」
「タミー?」
「ミチやミワと、長く関わりすぎたのかもしれん」
「……」
「胸騒ぎなど、なんだか人みたいだな、儂は。瓊瓊杵命の代行なのに。田の神なのに。原因もわからず、何もできないなんて。神様失格だな」
そう言って力無く笑うタミーに、俺は微かに胸の苦しさを覚えた。
俺が神主という職務や、親父の偉大さを目の当たりにして無力を感じているように。
タミーはタミーで。
己の無力を感じているのだと。俺は汗ばんだ手をグッと握りしめた。
「大丈夫だよ、タミー」
「ミワ……?」
「神様だって、どうにもできないことだってあるんだよ。その時は、俺たち〝人〟がいる。俺たちの力なんて、タミーの神通力には到底及ばないけどさ」
「まぁ、そうだな」
「おい。そこは否定しろよ、タミー」
「すまん」
「兎に角だな!」
話の腰をパキンと折られて。
半ばイラながらも、俺は大きく息をすった。
「俺たちには特殊な力はないが、団結力と知力がある。そして、互いに思いやる心もある。だから……その」
「だから? なんだ?」
「神様も俺たちも、関係なく問題に対処すればいいんじゃね? ってこと!」
正直、自分でも自覚しているほどには、珍しく。
いや、一生のうち、一度か二度あるかないか、ってくらい。
熱い、熱すぎる俺の言葉に。
今の今まで〝青菜に塩〟状態だったなかったタミーが、目をまんまるに見開いて俺を見ている。
その表情を見た瞬間「ヤッベ! 恥ずかしい!」なんて後悔したけど。もう、後の祭り。
だって、だってさ!
普段落ち込まない
平凡でややこしいことが嫌いな俺だって、心配になるじゃないか!?
もう、こうなったら!
最後まで熱くて恥ずかしいヤツになるしかない!
俺は腹を括った。
瞬間、饒舌に澱みなく俺から溢れる言葉に、より一層力が入ったようだった。
「困ったらお互い様だ! だから、タミーも一人で悩むなって!」
思わぬ啖呵を切って。
一日分のエネルギーを使い果たしたかのように。
何故か息切れする俺を、タミーは大きく目を見張る。
「ミワ、お前」
「な、なんだよ」
「お前、意外と熱い奴だったんだな」
「う、うるさい! タミー、タミーが凹んでたからだろ!」
「嬉しいぞ、ミワ」
「え?」
「なんだか、元気がでた」
「えぇ!?」
あ、あれで?
あんな元テニスプレーヤーの足元にも及ばない程、薄っぺらい熱弁でか!?
日頃しない言動に恥ずかしさで、言葉を失う俺に。
タミーは見たことないくらい、キラキラと楽しげに笑う。
タミーははたきを握りしめると、もう片方の手で俺の腕を引っ張った。
「ほら、休憩はおわりだ! 掃除して邪気を払うぞ!」
「お、おう」
泣いた
俺の予想の遥か向こうで、勝手に元に戻ったタミーに。
動揺しながらも、俺の口元が自然と緩むのを感じた。
なるように、なる。
大丈夫。俺は、俺たちは、一人じゃない。
見上げれば、青くどこまでも高い空と。
剣平神社の木々を吹き抜ける、秋の風と。
いつも後ろ向きな俺の気持ちを、前に向けるように背中を押してくれているように感じた。
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