第4話
「
最近〝よしかず〟なんて呼ばれてないせいか。
話しかけられていることに気づくまで、ほんの少し時間がかかってしまった。
同時に。
すっかり〝ミワ〟が自分自身に定着してしまっていることを、はっきりと認識させられて。
俺は深くため息を吐く。
「うん、まぁ」
「なんだよ、ずいぶんお疲れだな」
俺の横で、涼しげな顔をしている同期の
そして、クールミントガムを彷彿とさせる、清く爽やかな笑顔を俺に向ける。
装束をパリッと着こなすイケメン神主。
そこだけ冷風が吹いているのか!? とツッコミたくなるくらい。額に汗一つ滲ませず、職位昇級の研修に従事している。
一方、俺はというと。
あいかわらず、タミーとわちゃわちゃしているせいで、爽やかさという言葉を失ってしまったほどに、
いかにコイツが、人間離れした完璧な神主であったとしてもだな。
決して、嫉妬や驚きなどはしない。
だって、人間っぽいけど神様なヤツと、常々交流しているからな。
ビビりだが、俺はもう何があっても動じない、はずだ。
「親父以外にも、色々あってな」
「あぁ! 名代だろ? 世の中、世知辛くなってきてるもんな」
「それは、まぁ。当たらずともなんだけど」
「ここまで暑いと、疲れも倍増だろ?」
「確かに」
空は幾分高くなり、秋らしくはなってはきているものの。
いつになく厳しい残暑は、容赦なく熱波を大地に落とす。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」なんて言うけど、いくら滅却を試みたとて、茹ってしまいそうな暑さは変わらない。
職位昇級のためとはいえ、こんな暑い日に研修なんて。なんであるかな、マジで。
「そうだ! 美和ん
「変わったこと?」
普通に、史門の言葉を
変わったこと?
そんなの、いっぱいあるに決まってる!!
田の神が御祭神代行とか。
その田の神を〝タミー〟なんて呼んで、たまに暴言らしきことを吐いてるなんて。
そんな、そんなこと!
史門には、口が裂けても言えるわけないし!
一人、挙動不審な俺を尻目に。史門は整った顔立ちを曇らせた。
「いや、先日のことなんだけど。近所の小学生が
「えぇ!?」
「ビックリするだろ?」
「だって! あのセキュリティ、どうやって突破したんだよ、小学生!?」
「加えて言うなら、奥宮で石投げしてたんだよ、あの悪ガキども」
「ッ!?」
史門が御仕えしている一石神社は、全国屈指のパワースポットとしてかなり有名な所だ。
特に奥宮にある〝
大地に落ちた衝撃で真っ赤な石になったという言い伝えがある。
一石神社の奥宮に座す、
つい二年ほど前。
雷石が国宝に指定されてから、一石神社の参拝客が二倍三倍に膨れ上がってさ。
奥宮のセキュリティが強化されたって、親父が言っていたんだ。
そんな国宝のある奥宮に、小学生が侵入って……。
タミーより劣るが、なかなか、ないぞ? そんなケッタイなこと。
史門の発した信じられない言葉に。
俺の体中から吹き出していた汗が、一気にどこかへ消えてなくなった。
「〝雷石〟大丈夫だったか?」
「うん。雷石は大丈夫だったんだけどさ」
「なんだ、よかったじゃないか」
「それが、そんなに良くもないんだよ」
「え?」
史門の憂いを帯びたイケメン顔が、さらに哀愁を帯びる。
「あの悪ガキども。よりにもよって〝
「〝細石〟?」
「
「そりゃ、知ってるよ。腐っても神主だし」
「それが封印してあったみたいなんだ」
「えー!?」
「なかなかすごいだろ」
「た、高々! 石が割れただけの話なんだろ? もちろん」
「いや、それがマジな話みたいでさ」
「またまたぁ」
「一石神社の
「……えぇ?」
「美和が管轄している神社も近いし、気をつけてな」
「……」
「ま、気をつけろって言っても。気をつけようがないけどな」
「お、おう」
お化けとか、心霊とか。
本当、そういうの信じてないんだけどさ。
その時、妙に胸騒ぎがしたんだ。
茹だる暑さも忘れるほどの鋭い冷気が、刃となって胸を突き刺すような。
タミーと出会った時とは、全く違う。変な感覚。
タミーの件もあったりなんかして。史門が語る、俄に信じ難い話に。
背中がゾワゾワするのを感じていた。
「あぁ、あれかな? 以前、
タミーに〝細石事件〟のことを言った瞬間、俺は自分の軽率さに激しく後悔した。
ちょっと待てよ。
いや、さ。なんだよ、そのマミーって。
なんなんだよ。俺に分かるように説明してくれよ、タミー。
今、俺が目下、気になること。
神話によると、だな。
黄泉から帰った
穢れから生まれた神とされていることから、『古事記』でも『日本書紀』でも、災厄を司る神とされている。
災厄を司るって……なんだか、最強で最恐そう。
だって!
この辺一体が凶作とか不幸に見舞われてみろ!
それこそ「やっぱり、新しい神主さんは若いからねぇ」なんて、影でコソコソ言われたりするんじゃないか!?
やだよ、そんなん!
絶対、貰い事故すぎるだろ!
「あの細石に封印されているのは、禍津日神って言われてるけど。実は違うんだ」
一人、青くなったり白くなったり。
七面鳥みたいになっている俺に、タミーは静かに言った。
「違う?」
「うん。昔、禍津日神等の荒神信仰をしていた宮司が、何らかの理由で方向性を誤っちゃったみたいでさ。自らを禍津日神の化身だのなんだのを名乗って、さらには色んな呪術を駆使して。人々を苦しめていたようなんだ」
「ヤバいな、それ」
「だろ? 色んな悪鬼悪霊が宮司に取り憑いちゃってたみたいで、瓊瓊杵命が自ら降りてきて宮司を浄化させようとしたんだけど。ブチギレた宮司が、荒神に進化してしまったそうだ」
「……厄介だな。元・宮司の荒神かよ」
「仕方なく一石神社に封印して、細石を置いたんだ。雷石は、細石を守るための石として作られたんだ」
「雷石より先なのか。しかし、荒神信仰が転じて、自らが荒神になるとか……すげぇ、ブーメランだな」
「所詮、禍津日神の偽物だろ」
「荒神に偽物とかあるのかよ」
「恐れ多くも、〝マジ神〟の名を語る荒神なんて。偽物通り越して、罰当たりこの上ないよな」
「……まぁな」
「だからかな? 荒神を封印された瓊瓊杵命はヤツの事〝マミー〟って呼んでた」
「マ……マミー???」
え、ちょっと待てよ?
タミーの言葉を聞いた瞬間、妙に合点がいった。
俺の頭の中でふわふわしてた疑問が、パチンとハマるパズルみたいに解消される。
「ひょっとして、お前の〝タミー〟っていうのも……」
「瓊瓊杵命に、つけていただいたんだ。かわいいだろ?」
「……マジかよ」
嬉々として語るタミーに、俺は言葉を失った。
いやいや、安易すぎんだろ瓊瓊杵命!
マミーだか、タミーだか。
曲がりなりにも神様が神様等に、妙にかわいいあだ名なんかつけやがって。
親父がつけたあだ名ではなかった、というのは安心材料になるとして。
しかし、ここ三週間くらいで起こった出来事があまりにもヘヴィな上に、規格外すぎて。俺は一気に脱力してしまった。
なんだか、今のままじゃ。
ゆっくり生涯を終えることができないような気がしてしまう。
「はぁ〜、畳の上で死ねるかなぁ」
「畳なら、そこにあるぞ」
心底叶えたい、思わず吐露した言葉。
それに脊髄反射的に反応したタミーが、社の奥にある畳を指差した。
「いや、そういう意味じゃないし……」
「田の神である儂に看取られるとか、この上ないことだぞ?」
「いや、そういうのいいから」
「そういうのとはなんだ! そういうのとは!」
「うん。そういうの、もうおなかいっぱいだし」
「あぁもう! 何も食ってないのに〝おなかいっぱい〟とはなんなんだ!? 最近の人間の言葉遣いは面妖すぎる!!」
頭から湯気を出しながら、一人怒りまくるタミーを尻目に。
俺はホッと軽く息を吐いた。
普通じゃない日常なのに、普通だった日常より気持ち的に、なんとなく暖かくて明るい。
普通だけど世知辛く、俺にみたいに弱いヤツには生きにくい世の中と。
ありえないくらい非現実で非日常な、タミーと過ごす時間と。
対象が違いすぎて、比較にはならないかもしれないけど。
俺はこの田舎のこの時間が、凄く居心地良く感じていることに気づいたんだ。
大丈夫、きっと。
マミーだかなんだか知らないけど、きっ大丈夫。だなんて。
剣平神社の木々の枝が、丸く切り取っていて高く澄んだ空を仰いで。
根拠のない自信を、より強く心に刻み込んだ。
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