1=1を証明せよ

ツーチ

1=1が成り立つ世界を生きたくて


 小学生のころ、1+1が2であることを初めての算数で学ぶ。そしてその間にある等号、=は等しいという記号であると。



 であれば以下の数式は成立し得るはずだ。



 1=1



 しかし、いざ学校から出て社会に出てみると現実は非情なのだ。こんな数式が成立しえないものが存在する。



 死刑制度だ。



 現在、日本において死刑制度は存在している。先進国の多くでは死刑制度が人権に反しているという主張から死刑を廃止する国が数多くある。その点において日本はいまだに死刑制度を取り入れている。



 しかし、1=1の数式は成立し得ない国だ。なぜなら、日本において犠牲者が1名である場合、死刑になるということはそうはない。





 何故なのだろう?





 小学生のころあれほど学ぶことを強要した数式。1=1がなぜ成立しない社会なのだろうか?

 何故、犠牲者が複数人になった場合になってからようやく死刑の量刑の余地を持ち出すのだろうか。

 1=1という数式を無視して。

 答えは簡単だ。1というかけがえのない命が書き換えられるのだ。司法によって。



 1という大事な命を0.3に値踏みする。1という大切な存在を0.6という数字にすり替える。

 そして加害者はその司法によって書き換えられた0.3や0.6という歪な数字の分のみ、刑務という減価償却に服する。

 そして、その値が0になったとき、罪は消え、社会へと戻っていくのだ。命を失うこともなく。



 誰が大事な命を値踏みするのか。誰が大切な存在の数字を書き換えるのか。勝手なことをするな。



 命は1つだ。その1と対等に数式を成立させるためには1が必要なのだ。前例にならって踏襲し続ける司法制度はそろそろ見直しが来ているのではないだろうか。1=1という当たり前が成り立つ世界を。









 





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