第2話
──結局、年齢を重ねても、僕は色々なモノを見続けた。
時には人の姿をしたモノ、また時には絵本で見たことがあるような小人や妖精と呼ばれるようなモノ。
そういえば、じいちゃんが見たはずの
その辺りは本当に田舎で、民家が点在し、あとは広い田畑が占める場所だ。
ずっと変わらず、この辺りを住みかにしていたのだろう。
ほんの一瞬、川からあがり山へ帰って行く様子を見た。思わずこそこそと隠れながら観察し、完全に見えなくなるのを見届けると、急いでじいちゃんに報告にいったものだ。
じいちゃんは「元気でやっているんだなぁ。この辺りはやっぱり変えないようにしないとなぁ」と言いながら、嬉しそうに僕の話を聞いていた。
そんな生活だから、いつしかそれらが存在することが、僕の日常になっていて、それでもあくまでも、他の人には見えないのだ、と割りきっていた。
それを除けば、僕は凪のような平穏な人生を送ってきた。
両親は明るく、時に厳しくも優しい。僕が悪さをすれば、叱りながらも、僕の言い分も聞いてくれた。
中学、高校へと進んでも、僕はこれといった反抗心も沸き上がらず、それなりに清く、正しく生きてきたと思う。
高校三年生のある日、隣の家に住む幼なじみの女の子の、見慣れたはずの横顔が心底、美しいことに気がつき、初めて恋を知った。
大学に進学した時に、彼女──菜々子に告白をした。
菜々子は、「私は小学生の頃からあなたのことが好きだった」と言って、僕たちは付き合いはじめた。
社会人生活数年目、菜々子との結婚を決意すると、変わらず農業に精を出しているじいちゃんの喜びようは凄まじかった。
「お前の結婚式まで、元気に生きることがじいちゃんの夢だったんだよ」
じいちゃんの家で酒を酌み交わしながら、じいちゃんは同じ台詞を何度も言っていた。
◇
──お経は大きく響いているはずなのに、僕はじいちゃんとの思い出で頭がいっぱいになり、しばらく思考を巡らせ続けた。そのため、いつお坊さんが退席したかも分からなかった。
その時だった。
「本当に申し訳ございませんでした!」
室内に入ってくるなり、僕の両親に向かって土下座する男性がいる。
それは、ほんの数日前まで僕の義父になるはずだった人。
「今日はもう帰ってくれ」
男性に対し、父さんが冷やかな声音で告げる。
その様子を、僕はどこか他人事のように見つめていた。
皆、席を立ちそちらの方へ行く。
気がつくと僕とじいちゃんは二人きりになっていた。
「菜々子のじいさんと、仲が悪かったんだね。初めて知ったよ」
僕がそう言うと、じいちゃんは不思議そうな表情を浮かべながら、こう答える。
「悪くないさ。生まれてしまった誤解を解くことができなかっただけだ」
じいちゃんはいつもの穏やかな笑顔を見せた。
誤解が生まれた、と言ったって、随分と一方的で強引な幕の引かれ方をしたもんだ。じいちゃんの人生を、他人からそんな終わらせ方をされる筋合いはない。
僕は心臓を揺らすかのように、上半身を前後に動かす。
結局、そんなことで抑えることが出来るはずもなく、涙は咳をきって溢れはじめた。
途方もない苦しみをこれから先、味わうことが心底、嫌になった僕はじいちゃんに向かって呟いた。
「僕も、連れて行ってくれないか……」
「いいや、ダメだよ」
じいちゃんは終始、穏やかな笑顔を浮かべている。
死にたい、と言っている人間を相手にしているとは、到底思えない、優しく落ち着いた声音だ。
僕はまじまじとじいちゃんの顔を見つめた後、ふぅ、と深く息を吐いた。
じいちゃんの中には、恨みや怒りの感情は存在しないのだろうか?
考えてはみたが、なんだか無性に馬鹿馬鹿しくなってしまった。
僕と菜々子の結婚はきっと、なかったことになるだろう。それにこの先、どれだけの時間が経っても、じいちゃんの死に様を忘れることはできやしない。
それでも。彼がこの状況で今もなお、朽ちることなく笑っているのなら、きっとそれでいいのだろう、と唐突に府に落ちた。
それに、思い残すことはないと言わんばかりに、キラキラと輝きながら天に昇っていくじいちゃんを見ていると、ただただ救われたような気持ちになった。 遠い先にある終着地を迎えて、また新しい出発を向かえた時。その時には、やり残したことも、人間関係も、また一から始められるような気がしてくる。
そして、一人になり、僕は涙を拭うと、最後に見たじいちゃんの真似をして笑った。
今日はじいちゃんの家の裏山にある、祠に行こう。
彼はきっと今でも、あの祠の上に腰掛けている。
そして、しばらく来なくてごめん、と言えば、きっとまた、あのくしゃりとした屈託のない笑顔を見せてくれるのだろう。
〈完〉
じいちゃんの菊の花 鹿島薫 @kaoris
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