じいちゃんの菊の花
鹿島薫
第1話
「菊の花が綺麗だねぇ」
目の前の人物、僕のじいちゃんにそんなことを言われたら、「そうだね」と応えるしかない。
だが、あくまでも小声だ。周りに気づかれないように、と思いすぎて肝心のじいちゃんにもその声は届いていないのかもしれない。そう気がついて、じいちゃんの顔を確認すると、全くそんなことはなく、くしゃりと皺を寄せて笑っている。
座っている僕の前に広がっているのは、白色の菊の花々。
それより三歩程、手前に立っているじいちゃんに声を掛けられたのだが、何故、開口一番にそんな台詞が出てくるのか、理解に苦しむ。
だって、菊の花が飾られている祭壇と、目の前に立っているじいちゃんの間には、棺の中に寝かされて、微動だにしないじいちゃんがいるからだ。
目の前に立っている、じいちゃんは少し透けていて、いかにも、ステレオタイプな“幽霊像”を体現している。
お経と、人々のすすり泣く声が響き渡っている室内に、ふ、と舞い降りるように現れたじいちゃんを確認した時、僕は声も出ず、かちり、と身体を固めるばかりだった。
しばらくした後、目線だけを動かし、周りに座っている家族や、親戚、じいちゃんの友人、と順番に視線を向けるが、誰一人としてじいちゃんのことを気にする人はいない。そこでようやく、ああ、やっぱり僕にしか見えていないのだと気がついた。
僕はふぅ、と短く息を吐いた。
──決して怖い訳ではない。だって、相手は僕のじいちゃんだ。
じいちゃんはにこやかな微笑みを浮かべ、立っている。
白状すると、僕は昔から他の人には見えないモノが見えていた。
きっと物心ついた頃から色々なものが見えていたのだろう。
今になって両親から、赤ちゃんの頃は「よく、誰もいない所を指差しては笑ったり泣いたりしていた」と教えられたことがある。
最初に自覚したのは、小学校に入学したばかりの四月。
近所の五年生の子と一緒に、登下校が出来るようになると、母さんはパートを始めた。
母さんのほうが帰りが遅くなることもあるため、僕は学校を出ると、毎日のように自宅より幾分手前にある、じいちゃんの家に寄り、宿題をしたりじいちゃんばあちゃんに遊んでもらったりして、迎えにきた母さんと一緒に帰っていた。
その頃のじいちゃんは会社勤めを一年前に引退し、それからはばあちゃんと一緒に農業に勤しんでいた。
広々とした畑や田んぼ、更には小高い山まで格安で所有できるのが、ドのつく田舎に住む者の特権だ。
この日はじいちゃんに、「筍掘りをしよう」と誘われ、じいちゃんの家の裏山に行った。小高いその山は、じいちゃんの所有地だ。
山に入るとすぐに、盛り上がった土から、にょっきりと出ている筍の頭を見つけた。駆け寄り、必死で筍を掘り起こす。
すると、ふ、とあるものが視界に入った。それは、山の中にひっそりと佇んでいた。
「これ、何?」
「この
“祠”というものが、何かも分からず、ただ子どもながらに不思議な雰囲気を感じとった。
だが、僕が聞いたのは祠のことではなかった。
「この建物じゃなくて、これ! 人がいるよ」
僕が指差したのは、祠の上。
今なら、絶対に口に出したりしないが、なにせ幼かった僕は、見たままの光景を口にした。
「小さな人がいるよ!」
僕には祠の上に腰掛ける老人が見えていた。
その老人は白い着物を着ている。くしゃりと笑っているせいで、目は三日月のように弧を描いている。
本来なら、恐怖心を感じるはずだ。だって、その老人はあまりに小さく、僕の筆箱に入っている十五センチの定規と同じ程度の身長しかないのだから。
だが、僕は彼に対して少しの恐怖心も感じることはなく、むしろ人の良さそうな笑顔を見ると、全てを預けてもいいような、不思議な安心感を覚えた。
じいちゃんはというと、僕の指差す方を見て、一瞬だけ驚いたような表情をみせたが、すぐにまたいつもの穏やかな微笑みに戻った。そして、こう言った。
「そうか、見えているんだね……じいちゃんも、子どもの頃は見えたんだがなぁ……」
僕はその時、子どもながらにじいちゃんの微笑みの中に僅かな寂しさを感じとった。
──大人になると見えなくなるのだろうか?
祠の手前には、綺麗な花が供えられていた。毎日ばあちゃんがまるでご先祖様の仏壇と同じように、供えられた花の水を替えているらしい。
じいちゃんに促され、僕は祠に向かって手を合わせた。
祠を後にする時、もしかしたらあの人は消えているかも、と思い、何度も後ろを振り返った。
老人は消えることなく、嬉しそうにニコニコと笑いながら、僕に手を振っていた。
それからというもの、じいちゃんは、自分が子どもの頃に見たモノを色々と教えてくれた。
「河童も見たことがあるんだよ。小学生の時にね。学校の帰り道、川の向こう岸をふと見ると、裸で緑色の、人間のような姿だけど、人間ではない生き物が立っていてね。慌てて家に駆け込んで、母さんに言ったら、『そんなこともあるかもねぇ』なんて、変わった返答をされたよ」
話を聞きながら、僕はこの辺りに河童がいるのだということよりも、じいちゃんにも子どもの頃があったのだ、ということに、頭を突かれたような衝撃を覚えるのだった。
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