第20話


 綺瀬くんと会った翌日、私は登校してすぐに先生の元へ行った。

 おそるおそる、修学旅行に参加したいということを告げると、先生は最初驚いていたけれど、すぐに嬉しそうに笑って、「そうか、分かった。一緒に楽しもうな」と言ってくれた。


 そして、私はその場で先生に不安に思っていることを相談した。


「実は、海や水族館に行くのが怖いんです。私、事故のあと一度も海に行っていなくて……だから、それが少し心配というか」

「そうか。そうだよな。それなら、放課後時間あるか? 先生とちょっと話そう」

「……はい」


 放課後、先生は相談室に私を呼ぶと、さっそく旅行の計画を話し始めた。


 飛行機は大丈夫。あぁでも、できるなら窓際じゃないほうがいいか。学校全体で海に入る予定はないが、自由行動のときにそれぞれでマリンスポーツを選ぶ班もある。だから、それは同じ班の奴らと話し合おう。班決めはこれからやるつもりだが、揉めないよう、班を決める前にみんなの前で言うか……いや、でもそれはそれでちょっと辛いよな。班はだれとがいいとか決めているか?


 嫌な顔ひとつせずに真剣に向き合ってくれる先生を、

少しだけ意外に思った。


 そして、先生と相談した結果、私は班決めをする前に朝香たちに相談してみることにした。


 修学旅行には行きたいと思っているけれど、ただ、海や船に乗るのは怖い。だからきっと、同じ班になると迷惑をかけると思う。


 正直に胸の内の不安を吐き出すと、朝香は「なんでもっと早く言わないの!」と少し怒って私を抱き締めた。


「ご、ごめん……みんな楽しみにしてたようだったから、ちょっと言いづらくて」


 歩果ちゃんと琴音ちゃんも、

「もしかして、前に修学旅行の話をしたときに少し変だったのって、そのせい?」

「気付かなくてごめんね。そうだよね……怖いよね」


 三人の反応は私の予想と少し違った。もっと張りつめた空気になるかと思っていたのだが、三人はぜんぜんそんなことはなく、むしろ私の気持ちに気づかなかったじぶんに対して落ち込んでいるようだった。


「海が怖いなら、食べ歩きとか買い物に徹すればいーんじゃない?」

「そうだね。海はダメでも、動物園とか探したらあるかも。沖縄って、固有種とかたくさんいるんでしょ?」

「たしかに。沖縄の観光地とかぜんぜん知らないけど、これからたくさん調べるんだしなにかしらあるでしょ。とりあえず海と関係ない候補を上げていって、みんなで行けそうなところ中心に回る計画立てよう」

「えっ……ちょ、ちょっと待って。みんな、本当にそれでいいの?」


 さくさくと計画を立てていく三人を、私は慌てて止めに入る。


「いいって、なにが?」


 朝香も歩果ちゃんも琴音ちゃんも、みんなきょとんとした顔をして、私を見た。


「なにって……だってせっかくの修学旅行だよ? 沖縄だよ? それなのに海にも行かないなんてみんなに申し訳ないし……だから」


 私なんかのために我慢することになるなら、班に入るのはやめようと思う、と言おうとしていたのだ。先生が、友達同士で気を遣ってしまうようなら、先生が一緒に回ってもいいと言ってくれたから。


 と、本心を告げる。すると朝香は、ちょっと待ってよ、と少し声を鋭くさせた。


「これってそんな気にすること?」

「え?」

「だれにだって苦手なものくらいあるでしょ?」


 続けて琴音ちゃんも、

「そうそう。海行かないっていうの、実は私もちょっとホッとしてる」と言う。

「え?」

「私、実は泳げないんだよねぇ」

「えっ!? うそ!? あの運動神経抜群の琴音ちゃんが!?」


 朝香が驚いた顔をして身を乗り出すと、琴音ちゃんは少し恥ずかしそうに舌を出した。


「ははっ! 陸の上では無敵なんだけどね〜」と、琴音ちゃんはおどけたように笑った。

「あ、あのね、水波ちゃん。私も実は、水着着るのちょっとやだなって思ってたから、よかったな、なんて思ってて……えへへ。実は今年、ちょっと太っちゃったんだよね」

 歩果ちゃんは頬を染めて、はにかんだ。もしやと思う。

「……みんな、もしかして私に気を遣ってくれてるの?」


 訊ねると、朝香たちは顔を見合わせて黙り込み、どっと笑った。


「違う違う、水波ってば考えすぎ! 私たちはそんなできた友達じゃないよ。私も勉強は苦手だし、琴音は泳ぐのが苦手で歩果は身体の露出が苦手。苦手なものがあるのはぜんぜん変なことじゃないし、むしろふつうだよ」

「ふつう……」

「そ、ふつう。だからそんなに気にしないでよ」

「そうそう。考え過ぎだよ、水波」

「水波ちゃんは、私たちのことを気遣ってくれたんだよね。ありがとう」


 ようやく気付く。

 『被害者』であると特別視していたのは、周りではなくほかでもない自分自身だったのだと。

 優しい声に、心がじんわりとあたたまっていくようだった。


「みんな……ありがとう」

「もう。だから、お礼を言われるようなことじゃないってば」

「うん……うん」


 私は手で目元をごしごしと拭った。


「水波は泣き虫だなぁ。まったく、そんなことで悩むなんて」

「……泣いてないもん」

「水波ちゃんてば可愛い」


 琴音ちゃんにくすくすと笑われて、歩果ちゃんにきゅっと抱き締められて。恥ずかしいのにすごく嬉しい、不思議な気分になる。


 知らなかった。

 私は、いつの間にこんなあたたかい世界にいたのだろう。この間まで、右も左も分からない真っ暗闇の中にいたはずだったのに。

 ずっとひとりぼっちで暗闇の中を彷徨っていたはずだったのに。


 綺瀬くんに出会って、綺瀬くんがはるか遠くにあった光のほうへ導いてくれて。


 今はこうして、たくさんの光に包まれている。

 私は涙を拭って、笑う。


「私、みんなと修学旅行行きたい。思い出作りたい」


 素直な言葉を、心からの言葉を告げる。喉はつるつるとして、なにも引っかからない。


「じゃあ、決まりね。班はこの四人で!」

「うん!!」

「修学旅行、楽しもう!」


 こうして、私たちは高校で一度きりしかない修学旅行への準備を始めた。



 その日の放課後、家に帰ってお母さんとお父さんに修学旅行に参加したいと言うと、ふたりともすごく喜んでくれた。くれぐれも無理だけはするなと言って私を抱き締め、もし苦しくなったらすぐに先生か友達に言いなさいと言った。


 私は素直にその忠告を聞きながら、ふたりにひとつ、頼みごとをしたのだった。

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