第21話


 そして、十二月の初め。念願の修学旅行の出発日がやってきた。


 南高の修学旅行生一行を乗せた飛行機は、無事沖縄の那覇空港なはくうこうに到着。


 空港から出ると、十二月とは思えない初夏のような爽やかな空気が私たちを出迎えた。

「暑っ!」

 朝香が驚いた声を上げる。


「うーん、長袖はちょっと辛いかもね」

 私も頷きながら制服のブレザーを脱ぎ、脇に抱えた。

「さすが沖縄だ。南国って感じ〜」

「半袖シャツ持ってきててよかったね」


 手をうちわ代わりにして顔を仰ぎながら、琴音ちゃんが晴れた空を見上げる。


「おーい、お前ら。もうバス来てるから集合しろー。出欠取るぞー」

「はーい」

 初日は平和記念公園へ行って、その後ひめゆり平和記念資料館へ行く。


 当時の資料や実際に経験した人の話を聞き、戦争の無惨さと平和の尊さを学ぶ校外学習だ。


 記念館の人の話を聞きながら、となりで朝香が「悲しいね」と小さく呟いた。資料を見上げたまま、頷く。


 ジオラマや当時の女学生たちの白黒写真、実際に使われていた道具などの展示品を見ていると、彼女たちが実際に生きていたという生々しい実感が湧いて、どうしても気分が沈む。

 きっと、この時代に生きていた人たちは、悲しいなんてたった四文字の言葉では表せないくらいに辛い経験をしたのだろう。戦争を知らない私たちでは、想像できないくらいの絶望を味わったのだろう。


 資料からは、親を亡くした人、恋人を亡くした人、子供を亡くした人、目の前で死んでいく人を助けられない虚しさ、孤独感……当事者たちの悲しみすべてが溢れてくるようで、胸がちりちりと焦げたように痛んだ。


 展示の自由観覧時間。流れに沿ってひとつひとつ展示品を見ていると、同級生たちが楽しげに会話をしながら私たちの横をすり抜けていく。


「てかさ、暗くない? ここ」

「あー雰囲気出すためじゃない?」

「いつまでここにいるんだっけ?」

「せっかく沖縄まで来たんだから、もっと楽しいとこ行きたいよねぇ」

「ね、明後日晴れるって! 海楽しみだね」

「私新しい水着買ったんだ!」

「マジ? いいなぁ」


 ほとんどの生徒たちは、資料なんてほとんど見ていないようだった。


「…………」

 たぶん、彼女たちの反応はふつうだ。

 まだたった十七歳である私たちの多くは、死なんてものは概念的で、目の当たりにしたことのない年齢だ。それに、今戦争の渦中かちゅうにいるわけでもない。

 もしかしたら私だって、あの事故がなかったら、彼女たちと同じような反応をするだけで見向きもしていなかったかもしれない。


 でも、今は……。


 この人たちの悲しみが、ひしひしと伝わってくる。

 いなくなってしまったあの子に会いたいという叫び声が聞こえる。助けを呼ぶ声が聞こえる。


 私もそうだったから、分かる。


 ある日突然奪われた平穏。どこにぶつけたらいいか分からない怒り。悲しくて泣きたくても、あまりの絶望に泣き方すら分からなくなってしまう。呼吸の仕方すら忘れてしまう。


 これは物語などではない。

 本当に起こったできごとなのだと、他人事のように笑って通り過ぎていく人たちに、当事者は声を上げて訴えたくなる。


「……水波、大丈夫?」


 ふと視線を感じ、ハッとする。気が付くと、琴音ちゃんがそっと私の手を握ってくれていた。私は微笑みを返し、「ありがとう、大丈夫」と告げる。

「そっか」

 琴音ちゃんは優しく微笑んだ。


「水波はすぐぼけっとするから、迷子になりそうで心配」


 そう言って、琴音ちゃんは私の手を握ったまま、ゆっくりと歩き出す。繋がれた手から伝わる体温は、泣きたくなるくらいにあたたかい。


「ぼけっとって……そんなことないけどね。でも、ありがとう」


 心がぽかぽかと陽だまりに包まれたような心地になる。私は琴音ちゃんの手をぎゅっと握り返し、微笑みを返した。


 その日の夜。大広間での夕食を食べ終えた私は、ひとりホテルのロビーにいた。


 今日泊まる部屋は四人部屋で、メンバーは班と同じ朝香たちだ。

 きっと今頃、部屋ではお菓子を広げながら女子トークやらトランプ大会やら、怖い話大会が行われていることだろう。


 私にとって、修学旅行の最大の問題は夜だった。

 夜は、どうしたってうなされる。夢を見ずに眠れるのは、綺瀬くんがとなりにいてくれるときだけだ。これだけはどうしようもない。


 ロビーの時計を見る。とうに消灯時間は過ぎていたけれど、今はまだ部屋に戻る気にならない。

 みんなが寝た頃に戻って、みんなが起きる前に起きればいい。

 自動販売機で買った水をちびちび飲みながら、スマホをいじって時間を潰した。


 スマホの連絡先一覧をスクロールしながら、とある名前のところで手を止める。


 ――穂坂ほさか陽太ようたさん。


 今回、修学旅行に来る前に両親に頼んで教えてもらった恩人の連絡先だ。


 修学旅行へ行く前に連絡しようと思っていたのだが、ごちゃごちゃと悩んでいるうちにあっという間に修学旅行になってしまったのだった。


 もう一度時計を見る。

 もう夜遅いけど、連絡してみてもいいだろうか。いや、でもさすがにこの時間に電話するのは不謹慎……いやいや、でも今を逃したらきっと、沖縄に来ることなんてないかもしれない。

 またずるずると悩みの沼にハマりそうになり、いけない、と頬を叩く。


 きっと、連絡するなら今しかない。

 しばらくスマホ画面とにらめっこしてから、えいっと発信ボタンを押した。

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