第18話


 その日の放課後。


「やっとテスト終わったぁーっ!」


 ホームルームが終わり、帰り支度をしていると、朝香が自席で大きく手を伸ばしながら清々しい声を上げた。


「ねぇねぇ水波! 今日このあとどっか行かない?」

 突然振られ、反応に遅れる。

「えっ、あ、うん。いいけど……」

「やった! それじゃ……」

「はいはい、賛成っ! 私、ドーナツ食べたいっ」

「今日は部活もないしねぇ。私も行こっかな」

 ふたりで話していると、すかさず歩果ちゃんと琴音ちゃんが話に混ざってくる。さすが、反応もフットワークも軽い。


 文化祭のあと、私たち四人はぐっと距離が縮まって、学校で一緒に過ごすようになった。


 歩果ちゃんは、ちょっと天然だけど人見知りで琴音ちゃんが大好きな女の子。

 一方琴音ちゃんはクールビューティでさっぱりしているけれど、裏表がなくきっちりとした性格の、文武両道の優等生。


 ふたりとも、話してみるととても気さくでいい子たちだ。私はふたりを歩果ちゃん、琴音ちゃんと呼び、歩果ちゃんは私を水波ちゃん、琴音ちゃんは水波と呼んでくれている。


 ふたりとも、私の新しい親友だ。


 学校を出ると、私たちは駅前のドーナツショップに入った。


「文化祭が終わってー、テストが終わってー、あぁー今年もどんどん終わってくねぇ」

「もう十月なんて、あっという間だよね!」

「十月と言えばハロウィンだよ!」と、チョコレートがたっぷりかかったリングドーナツを食べながら歩果ちゃんが言った。

「ハロウィンかぁ。じゃあ、今度うちで仮装パーティーでもする?」

「いいね! したいしたい! いっそのこと、学校でもハロウィンのイベントがあればいいのになぁ」

「ははっ、無茶言うなぁ。でも、もしそんなイベントがあったらお菓子食べ放題の日ってことだよね。いいかも」

「それだけじゃないよ、イタズラもし放題だよっ!」


 楽しげにはしゃぐ歩果ちゃんたちを、私は一歩引いて見つめた。


「そういえば、来週から修学旅行の話始めるとか言ってたよ」

「マジ?」

「マジ! 今年も沖縄だって!」

「やったぁ!」

「沖縄……」


 朝香たちと一緒にいる時間は、文句なしに楽しい。だけど、楽しいと思えば思うほど、心は反対に暗くなっていく。


 まるで、呪いにかかったように。毒が全身に回っていくように、身体が重くなっていく。


 私はみんなと同じように、こんなふうに人生を楽しんでいいのだろうか。自問自答したところで答えは出ないけれど、問わずにはいられない。


 だって……。


「――水波? どうかした?」

 ぼんやりしていると、朝香が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。ハッとして、顔を上げる。


「ううん。なんでもない」

「そ? あ、そういえば、先生の話なんだった?」


 朝香が振り向く。


「あぁ、あれね。なんていうか、えっと……あれはただ、ホームルームではちゃんと先生の話を聞けって説教だった」


 突然聞かれ、私は咄嗟に誤魔化してしまった。


「なぁんだ。そんなことでいちいち呼び出さなくてもいいのにね!」

「……それで、なんの話だっけ?」

「あぁ、修学旅行ね! 今度買い出しに行こうかって話! 水波、来週の日曜日空いてる?」

「あぁ……そうなんだ。うん、大丈夫だけど」


 頷きながら、ドーナツと一緒に買ったぶどうジュースを飲む。声を弾ませて話の続きをする三人を見つめる。


「必要なものってなんだろうね?」

「水着? あ、あとローファー以外の靴とビーサン!」

「自由行動はたしか私服でいいんだよね?」

「そっか!」

「あ、それなら私、下着もこの際新しいの買いたいなー」

「だね! あーもう修学旅行楽しみ過ぎる! 来週のホームルームはまず班決めからするって言ってたよね!」

「ねぇねぇ、修学旅行の班って四人で一班なんでしょ? それなら私たち一緒になろうよ!」

「いいね! そうしよ!」

「やったー! めっちゃ楽しみっ! ねっ! 水波!」


 朝香に話しかけられ、ハッとする。


「あ……うん、そうだね」


 わいわい盛り上がるなかで、私はただ曖昧に微笑む。テーブルの下で、私は震える手を押さえるようにして握り込んだ。



 ***



 家に帰ると、お母さんが夕食を作っていた。玄関の扉を開けるなり、カレーの匂いがふわりと香る。カレーは私の好物だ。

 リビングに顔を出すと、キッチンにいたお母さんが振り向いた。


「あら、おかえり水波」

「ただいま。カレー作ってるの?」

「そうよ。水波好きでしょ?」

「うん! 着替えてくるね」

「手洗いうがいも」

「分かってる」


 一度洗面所に行き、楽な部屋着に着替えると、私はもう一度リビングに降りた。


「……ねぇ、お母さん」

「んー? どうしたの?」


 お母さんは今度は炒め物をしているらしく、カレーの匂いの中にバターの甘い匂いがした。


「……あれ、なに作ってるの?」

「キノコバターよ」

「わっ、やった!」


 キノコも、バターソテーもどちらも私の好物だ。


「たくさん作ったから、いっぱい食べてね」

 お母さんが微笑む。私は笑顔で頷いた。

「……お母さん。今日ね、先生に呼び出されたんだ」

 お母さんが火を止め、こちらを向く。

「……あら、どうして?」

 心配そうな眼差しが向けられる。

「修学旅行、今年も沖縄に決まったんだって」

 静かに言うと、お母さんの手がぴたりと動きを止める。

「……そうなの」

 私はお母さんに訊ねた。


「……あのさ、沖縄じゃない場所にしてほしいって言ってくれたの、お母さんでしょ?」


 私の問いに、お母さんは眉を下げてかすかに笑う。


「……ごめんなさい。でも、そのほうが水波も心置きなく楽しめるかなって思って……」


 私は首を振る。


「うん、分かってる。……ありがとう。今日ね、先生に辛いなら行かなくていいって言われたんだ。もちろん、その期間は欠席扱いにはしないって」

「そう……」


 お母さんは私の正面に座り、まっすぐに私を見た。

「水波はどうしたい?」

 少し考える。

「……分かんない。お母さんとお父さんは、私が沖縄に行くって言ったら、やっぱり心配?」

「……そうねぇ」

 思い切って聞くと、お母さんは困ったように微笑み、私を見た。


「本音を言えば、そうよ。心配」

「そうだよね……」

 それなら、やっぱり私は行かないほうが……。


「でもね、お母さんたちは水波の気持ちを一番に優先したい。だから、水波がどうしたいかを尊重するわ。もちろん、親としてはどうしたってあんなことがあった場所には近づいてほしくないと思ってしまう。……でも、事故を理由に、あなたの自由を奪うことも正しいとは思ってないから」


 ふっと息が漏れた。

 目を伏せる。


「……ありがとう。私も、沖縄に行くのはちょっと怖い。でも、朝香たちと楽しみたい、思い出を作りたいっていうのも思ってて……まだ悩んでる。……少し、考えてみてもいいかな?」

「もちろんよ」


 お母さんは柔らかく微笑み、腰を上げた。


「さて、お父さんもそろそろ帰ってくるでしょうし、晩御飯の続きしなくちゃね。水波、手伝ってくれる?」

「うん!」


 お母さんのそばで手伝いをしながら、私はどうするべきなのか一生懸命考えた。

 でも、いざじぶんで決めるとなるとどうしても事故のことが脳裏を過ぎってしまって、答えは一向に見えなかった。

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