修学旅行、記憶の欠片
第17話
文化祭と後夜祭が終わって、それからクラスのみんなで打ち上げをして、家路に着く頃にはすっかり陽は山の向こう側に落ちていた。
腕時計を確認しながら歩いていると、見上げた空の先に赤い提灯の光が滲む。
綺瀬くんのことを思い出すが、うちの門限は八時だ。今日はもう寄り道をしている時間はない。
綺瀬くんは今頃、なにをしているだろう。あの広場にいるのだろうか……。
ふぅ、と息を吐く。
綺瀬くんのことを思うだけで、不思議と強ばっていた心がほどけていく気がする。
まさか、文化祭の今日会えるだなんて思わなかった。
……一緒に回れたら楽しかっただろうな。わざわざ会いに来てくれただけでも贅沢なのに、もう少し話したかったなんて思ってしまうのは、わがままだろうか。
朝香を紹介したかったなんて言ったら、笑われるだろうか。
でも、朝香と友達になれたのも、歩果ちゃんと琴音ちゃんが仲直りできたのも、ふたりと友達になれたのも、ぜんぶ綺瀬くんのおかげだ。
だからだろうか。
綺瀬くんには、今日あったできごとを、なんでも話したくなってしまうのだ。
明日、会いに行くときには冷たい飲み物でも買って行こう。
そんなことを思いながら、私は家路を急いだ。
***
文化祭が無事幕を閉じた、十月の初め。
衣替えをしたといえど、まだまだ陽は高くて暑い日が続いている。日中は暑くてブレザーは着ていられないので、私は今のところ登下校時以外では長袖シャツにリボンだけの格好でいる。
それにしても朝から暑いなと思いながら、片手をうちわ代わりにして文庫本のページをめくっていると、教室に先生が入ってきた。
いつものようにホームルームが始まり、私は机に頬杖をついたまま、窓の外の中庭へ視線を流した。
つむじ風が色褪せた落ち葉を巻き上げて、小さな嵐を起こしている。
「榛名」
秋風と落ち葉の軽やかなピルエットを眺めていると、不意に名前を呼ばれて我に返る。教卓を見ると、先生が手招きをしていた。
「悪いんだが、昼休み、お昼食べ終わったらでいいから、ちょっと職員室に来てくれるか」
「あ、はい」
呼び出しだ。なんだろう。
課題はちゃんとやっているし、思い当たる節がない。
私は朝香と顔を見合わせ、首を傾げた。
昼休みになり、早々に昼食を済ませると職員室へ向かう。職員室の扉をノックして中に入ると、四方から先生たちの視線を感じて肩を竦めた。
「あぁ、榛名。こっちだ」
私に気付いた先生が手を上げる。
私を見る先生の表情はどこか固い。その視線は、最近忘れかけていた『事故の被害者である』という意識をぶり返させた。
「最近、学校はどうだ?」
気を遣うような視線に少し居心地が悪くなるけれど、私は気にしていない素振りで「楽しいです」と当たり障りなく返す。そんな私に、先生はにこりと笑った。
「そうか。それはよかった。最近はよく志田たちと一緒にいて笑顔を見るようになったから、先生も安心してたんだ」
「はい。朝香……えっと志田さんには、いつも仲良くしてもらってます。文化祭も、最初は出る気なかったんですけど、志田さんが誘ってくれて」
おかげで私は、かけがえのない思い出を得られた。
「……そうか」
先生は穏やかに微笑んだものの、そのあとすっと表情を曇らせた。穏やかじゃないその顔に、どきんと胸が鳴る。
なんだろう。
そわそわと両手を擦り合わせて次の言葉を待っていると、先生が、
「実は十二月にある修学旅行の話なんだけどな」
と、話を切り出した。
ぴき、と全身の筋肉が凍りつく感覚があった。先生はどこか言いづらそうに私から目を逸らし、続ける。
「榛名も知っていると思うんだけど、昨年までうちの学校は沖縄に行っていたんだ。だけど、その……榛名の事故のこともあって、今年は職員会議で沖縄以外の場所も候補に上がっていたんだ。ただ、保護者会で候補地を変えるという話をしたとき、思ってた以上に反対の意見が多くてなぁ」
先生はかりかりと頭を掻きながら、やるせなさげに私を見ていた。私は黙ったまま、先生の胸元辺りをぼんやりと眺めてその話を聞いた。
「……それで、理事長の最終判断で今年も通年通り旅行先が沖縄に決まったんだ」
沖縄。
……沖縄、かぁ。
その地名を、じぶんではないだれかの口からは久しぶりに聞いた気がする。
「せっかくの修学旅行だからさ、先生もなんとかひとりも欠けることなく全員で行ければと思ってたんだけどな……でも、無理強いはしたくないからさ。榛名が辛いようであれば、当日は休んでもらってもかまわない。その場合、学校側としては欠席扱いにはしないようにするという判断になった。もちろん、一緒に行けるならそれが一番ではあるんだが……くれぐれも無理はしないでほしい。榛名の親御さんには電話でもう伝えてあるから、榛名自身もよく考えてみてくれるか」
「…………」
先生の声が少しづつ遠くなっていく。それに合わせて、頭ががんがんしてきた。ひどい目眩を覚えて、思わずぎゅっと目を瞑る。
「……榛名? 大丈夫か」
ハッとして、顔を上げる。頭はまだ痛むけれど、とりあえず「分かりました」と頭を下げて、私は足早に職員室を出た。
そのまま私は教室には戻らず、自販機がある購買部に行った。その場で佇んだままパックのトマトジュースを飲む。ストローを苦々しく噛みながら、晴れやかな空を見上げる。
「沖縄か……」
呟いてみると、それはどこかよそよそしい響きを持って空気に解けて消えていく。
事故以来、私は沖縄には足を踏み入れていない。
もし、あの場所に行ったら、どうなるのだろう。ふつうでいられるのか、それとも発狂するのか、じぶんでもぜんぜん分からない。
ただ、行くと言えばお母さんとお父さんには反対されるのだろうな、ということだけは分かった。
事故後の飛行機は、特に恐怖はなかった。だからきっと、ただ行くだけなら大丈夫。でも……。
海は、どうだろう……。
膝を抱えてうずくまる。
あの事故のあと、私はまだ一度も海を見ていない。
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