鳥籠《カフェス》に響くは囚人の歌
悠井すみれ
楽師は語る
ええ、
なぜなら、皆様は目で見たものだけがすべてだと思っておいでなのですから。
仰る通り、この両目は確かに開いております。
この私、卑しい楽師が申すのは、嘘偽りかでまかせか、と──疑い怪しむ貴方様の
ですが、ご存知でしょうか、
なぜなら
何度となく私の目を封じた
目隠しをして、黒人宦官に腕を取られて歩む私は、傍目には満天の星空を仮面にしたように見えたでしょう。
もとより、ただの楽師に、宝石の輝きが相応しいはずもないのですが。ただ、
ただの楽師ではない、と──光栄なお言葉でございます。そうですね、過剰な謙遜は
確かに私は一定の価値を認められた存在ではありました。見目良く機知に富んだ宦官のように。
あるいは、海や砂漠を越えて献上された奴隷たちの価値をいっそう高めるためにこそ、私は
歌舞音曲に優れた奴隷は珍重されるもの。私の声が紡ぐ歌、この指が奏でる調べを学びたい、学ばせたいと考える方がいらっしゃったということです。
優れた音を生み出すためには、むろん、優れた耳を持っていなければなりませぬ。そして、武人でいらっしゃる貴方様には計り知れぬことかもしれませんが、音は耳だけで聞くものではございません。肌や呼吸を通して感じ取るものでもあるのです。
薄絹だけが奏でる衣擦れの音はどこまでも滑らかで春風の囁きさながらでした。それでいて、異国の鳥が鳴き交わす声が耳に入れば、南国の密林に紛れ込んだ心地でした。
目に鮮やかな
そして、何より私の胸を騒がせたのは、
手探りで弦を抑える位置を伝え、手を重ねて楽器の丸い胴の支え方を示すのです。触れ合う指先の滑らかさには心震えましたし、鼻先に漂う
弾き語りを教えた時に頬をくすぐった吐息も甘くて熱くて、調子を狂わせないようにするのにたいへん苦労したものです。けれど、あの甘美を知ったからこそ私の声にもいっそうの艶が増したようにも思います。教えることによって教わるということもあるのでしょうね。
そうだ、せっかくですから一曲歌ってみましょうか。
この
話をはぐらかそうとなどしておりません。昔の話を聞かせろと命じたのは、ほかならぬ貴方様ではありませんか?
私は楽師。歌を
隠しごとなどございません。目が塞がれていたのですから、語れることも限られるのは当然のこと。あえて伏せたり捻じ曲げたりといったことはございません。
やましいこともございません。決して、何も。昔のこととはいえ、
もしや、
私は、彼女たちの顔も名前も、肌の色さえ知らぬままなのですから。知っているのは、声と香りと手指の滑らかさだけ。身体の柔らかさは──そう、まったく知らぬ振りをするというわけにも参りませんが。それでも教えるのにやむを得ず触れ合ったというだけのことです。
いいえ、
何しろ目を塞がれておりましたので、息を潜めて声を殺していた
帝位争いを避けるため男の皇族がたを幽閉する──言ってしまえば牢獄のことでしょう? ごくわずかな宦官のほかには会う者もなく、常に監視されて。高貴な血を引く方々だというのに、酷く痛ましいことです。
果ての見えない幽閉生活の中、心身に異常を来たして、
このていどのことは、下々もまことしやかに語るものでございます。ご存知でしょうか、高貴な方々の恐ろしい噂はたいへん好まれるものですから。
なぜ私にそのようなことを問われるか分かりかねます。私は時おり
ただ、
山も川も花も鳥も、愛の喜びも恋の悩みも戦いの興奮も。何も知らぬはずのあの御方の声は、けれど何もかもを描くことができるかのようでした。
限りなく澄んでのびやかで、抑揚に富んで。肉体は囚われながら、心はどこまでも自由であるかのように。
私の歌を、おそらくは聞き覚えてくださったと思うのですが。果ての知れぬ囚われの日々の無聊を慰めるために、戯れに真似てみたのでしょうが。
それだけで、あんなにも見事な歌を紡げるだなんて。
できることなら、あの御方に教えたい、と──思わなかったと言えば、嘘になります。
ですが、決して叶わぬことです。その御方ももう生きてはいらっしゃらないでしょう。
新しく立たれた
貴方様が遣わされたのは、
それとも。貴方様のお疑いは
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