求婚
「リーナ。
……怪我はないか」
こちらを振り向いた王子が、ゆっくりと尋ねてくる。
あれだけの戦いを経た後だというのに……。
その顔は涼しげで、見る者を安心させる包容力に満ちていた。
「……はい。
……はい。
リーナは、無事でございます。
あなた様のおかげで」
「そうか。
なら、よかった」
王子がにこりと笑う。
邪神の攻撃を受けた全身は、ぼろぼろの状態であり……。
髪も大いに乱れ、見る者によっては眉をひそめるような有り様だ。
しかし、リーナはその姿に、神聖さすら感じられたのである。
だが、エニク王子は不意に横を向く。
そして、ばつが悪そうな顔で語り始めたのである。
「怖い思いをさせたな。
ハロネクめを怪しんではいたが、確証がなかった。
また、あやつを観念させるために、あえて終盤まで儀式を止めることもしなかった。
全ては、おれの都合……。
大義のためと、お前を囮にしてしまったのだ。
愛想を尽かされたとて、文句は言えぬ」
頭をかきながら、夫となるべき人物が白状する。
それに対し、リーナが返したのは、言葉ではなく行動だった。
まるで、幼子がそうするように……。
全力で駆け出し、王子の胸へと飛び込んだのである。
「――ん?
おっと……」
邪神の攻撃をことごとく無効化した勇者にも、これは予想外だったか。
エニク王子が、慌ててリーナを支えた。
「殿下……。
わたしの鼓動が、聞こえまして?
わたしの体温が、感じられまして?」
「ん? んん……。
……ああ」
剣を振るう時とは、打って変わったどぎまぎとした態度で……。
王子が、そっとリーナの背中へ腕を回す。
それは、まるで、優しく触れなければ壊れてしまう玩具を扱うような……。
慎重さと慈しみに溢れた動きである。
「この鼓動も、体温も、あなたが守ってくれたものなのです。
そして、あなただけのものなのです。
お分かりになりますか? エニク殿下?」
自分でも、驚くほど大胆な言葉が、すらすらと口をついて出た。
そのまま、エニク王子の顔を見上げる。
頬が上気し、瞳も潤んでいるのを実感できた。
「……分かる、と、言ってしまえば、それはきっと嘘になるのだろう。
おれは、お前が向けてくれた言葉を万分の一も理解していないに違いない。
言い訳がある。
青春の全てを邪教団壊滅に費やし、他へ回す目など持たなかった。
だが、所詮は言い訳に過ぎぬ」
エニク王子が、あらためてリーナの瞳を覗き込む。
そして、一言ずつ、噛み締めるようにしながら言ったのだ。
「リーナ・フロレントよ。
おれの嫁となってくれるか?
恋だの、愛だのというものはよく分からぬ。
ただ一つ確かなのは、この先、おれに待ち受けているのは、剣の腕だけではどうにもならぬ苦難の連続であろうということ……。
それを乗り越えるために、お前という支えが欲しい。
どうかな?
どうだ……?」
それは、神聖なる告白の言葉である。
リーナはこれに応えるべく、そっと、目をつぶろうとしたが……。
「殿下!」
「おお! 殿下はご無事だ!」
「リーナ様もご健在であるぞ!」
突如として響いた声の数々に、それは中断させられることとなった。
ハロネク公爵邸の二階から上は、マズダーの恐るべき攻撃により吹き飛んでしまっているわけだが……。
その、元は階段があったと思わしき箇所から、次々と騎士たちが駆け上がってきたのである。
「遅くなり申し訳ありません!」
「階段が瓦礫で塞がれ、撤去するのに時間がかかってしまい……!」
「公爵家を守っていた兵たちは、ことごとくを倒し、捕らえてあります!」
破壊の跡地と化した元広間へ上ってきた騎士たちが、次々とこちらへ集結した。
彼らは最初、自らに課せられた使命を果たすことへと一生懸命になり、周囲の状況に意識を向ける余裕がないようであったが……。
「それにしても、これは一体?」
「二階から上が、無くなっているとは……」
「階下から、恐るべき轟音や衝撃を聞いておりましたが、一体、何があったのです?」
やがて、この状況を見ながら、そのようなことを口にし始めたのである。
「そうだな……。
さて、どのように説明してやるべきか……」
顎に手をやったエニク王子が、そう言って考えあぐねた。
「はっはっは……。
ハロネクめが恐るべき存在を降臨させ、我らが殿下は、それを見事に討ち取られたのですよ」
助け舟が出されたのは、騎士たちの上ってきた階段からである。
――カツリ。
――カツリ。
……と、杖を突きながら上ってきたのは、痩せぎすの老人であった。
ただし、その腰には細身の剣を携えており、彼もまた、戦うために参じたのであろうことがうかがえる。
しかも、決して傍観者へ徹していたわけではない証拠に……まとった衣には、敵のものであろう返り血がいくつも付着していたのだ。
「ザノス。
今回は、おれの代わりによく兵を率いてくれた」
片手でリーナを抱いたまま、エニク王子がこれなる老人へと声をかけた。
――剣聖ザノス。
その名は、王都から遠い辺境伯領にも轟いている。
若き日は、現国王ローハイム十六世と共に、様々な武勲を立て……。
引退した今となっては、王家剣術指南役として後進を育てているのが、この人物であった。
悪魔神官らと戦う際、王子は彼の名も口にしていたが……。
老い衰え、杖を頼りとするようになった今でも、その実力は確かなものであるということだろう。
「まったく……。
このようなことは、これっきりにして頂きたいですな。
老いたる身で、飛んだり跳ねたりはこたえまする」
「はっはっは……。
たまには、ボケの防止によかろう?
おれには、お前のついている杖が、伊達としか見えておらぬぞ?」
老眼なのか、眼鏡をいじりながらの言葉に、王子は笑みを浮かべて答える。
「戯れを。
今日は、たまさか足の調子がよかっただけです」
剣聖はそれに、苦笑いして応じた。
「時に殿下。
ハロネクめは、やはり……?」
「うむ。
あやつと、それにむらがいし貴族共は、邪教団と通じ王家転覆を目論む反逆者たちであった。
もはや、死体も残っておらぬが……。
最後の瞬間、自分たちの命を犠牲に、悪霊たる神の一柱を呼び出したのだ」
――おお!?
王子の言葉に、馳せ参じた騎士たちが叫ぶ。
彼が口にしたのは、神話伝承でしか目にかかれぬような出来事であるのだから、それも当然だろう。
「ならば、我らは丁度良き具合で一階を制圧し終えたのですな。
あとわずかでも、それが早ければ、あなた様の戦いを邪魔してしまったことでしょう。
もっとも、素晴らしきその戦いぶりを目にできなかったのは、いささか残念でありますがな」
「何が素晴らしいものか。
おれはただ、がむしゃらにやっただけだ。
それに、本当の戦いはこれからよ」
エニク王子が、戦いで乱れた髪を夜風になびかせながら続ける。
「ハロネクと、それに従った貴族たちは、王都でも高位に位置する者たちだ。
いかに悪根だったとはいえ、それが抜けた以上、
また、邪教団の残党がこれだけとも、おれには思えぬ」
「いかにも……。
ですが、今宵くらいは勝利の余韻に浸ろうではありませぬか」
眼鏡をいじりながら、ザノスが答えた。
そして、次の瞬間には、老人と思えぬ茶目っ気のある笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「それに、エニク殿下におかれましては……。
今夜は、お楽しみであると愚考致しまする」
彼が目線を向けたのは、王子の――左腕。
たくましき勇者の左手は、いまだリーナのことをしっかりと抱き寄せたままだったのである。
「馬鹿め。
それは、本当に愚考だ」
勇者は、苦笑いと共に答え……。
リーナは、赤面するしかないのであった。
辺境伯家令嬢(15)のわたしが、繰り上がりの王子(36)と婚約いたしまして…… 英 慈尊 @normalfreeter01
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます