勇者エニク

「は、破壊神様を破壊しただと!?

 たかが人間が、大ボラを吹きおって……っ!」


 邪神マズダーが、狼狽しながらそう叫ぶ。

 無理もないだろう。

 王子が言っているのは、それほどにあり得ないことであった。


 人間は、どこまでいっても――人間。

 いかに強力な武具で身を固めようが、魔法を極めようが、神たるものに届くはずがない。

 そんなものは、子供でも分かる物の道理である。


 だが……。

 だが、たった今、王子は実際に悪霊たる神の一柱へと、痛打を与えてみせたのだ。

 しかも、攻撃された側である当のマズダーは、これに一切の反応をすることができなかったのであった。


(ハッタリじゃ、ない……!)


 武芸に縁のないリーナであるからこそ、むしろ、明瞭にその事実を感じることができる。


「大神官ゴーハが治めし邪教の神殿は、あやつが召喚せし神々によって各階層を守護されていた」


 剣を構えたエニク王子が、ゆっくりと告げた。

 そういえば……。

 悪魔神官たちとの戦いでも、王子は邪教団の首魁が潜伏していたという地について語っている。

 おそらく、それこそが、彼の真実……。


 エニク・ローハイムという男は、放蕩の武者修行へと出ていたのではない。

 実際は、十七年もの年月を邪教団追撃に費やし、ついに、それを果たして帰還したのだ。


「また、ゴーハめは、いよいよ決着がつこうという直前……自らの命を引き換えに、破壊神の顕現を願った。

 丁度、御身が呼び出されたのと同じように、な」


 エニク王子の全身から放れるのは、何とも力強く……それでいて暖かい闘気……。

 それは、邪神から漂う怪しき気配を完全に打ち消し、ばかりか、飲み込むことへと成功していた。


「破壊神は……恐るべき相手だった。

 おそらく、十度戦えば、九度おれが負けよう。

 兜も鎧も盾も失い、残されたのはこの剣のみ……。

 薄氷の勝利だったと、そう言うしかない。

 それに比べれば……」


 ふっ……と。

 エニク王子の肩から、力が抜ける。

 笑っているのだ。


「無礼を承知で申し上げよう。

 御身の実力は、破壊神には遠く及ばない。

 ゆえに、恐れる必要なし」


「……舐めおってえええええっ!」


 邪神が、怒りに顔を歪めた。

 そして、手にせし魔槍を、巨体からは想像もつかぬ俊敏さで突き出してきたのである。

 リーナは、モズの早贄がごとき姿となるエニク王子の姿を幻視したが……。


「――な、何ぃっ!?」


 マズダーの顔に、驚愕の色が浮かぶ。

 それも、そのはず。

 必殺を期して放たれた刺突は、突き出された王子の左手によって掴まれ、ぴたりとその動きを止められているのだ。


「ぬぐぐぐ……っ!

 があああああっ……!」


 ただでさえ巨大な邪神の両腕が、みりみりと筋肉を隆起させる。

 全力で槍を押し込もうとしての結果であるが、しかし、穂先は掴み止まれたまま、一寸たりとて進むことはなかった。


「ふううううう……」


 片手で神なる存在の一撃を受け止めたエニク王子が、深く……それでいて、鋭く息を吐き出す。


「――はあっ!」


 吐き出し終えた瞬間、両目がくわと開かれた。

 同時に右手の剣で、渾身の斬撃を放つ。


 ――バギンッ!


 オリハルコンを鍛えて生み出された刃が、邪神の生み出した魔槍を半ばから切断する。


「ばっ……!

 馬鹿なーっ!?」


 もはや単なる棒と化した槍を見て、マズダーがまたも驚愕の叫びを上げた。

 その声音は、どこか情けなさすら感じる性質のものである。


「返すぞ」


 悪霊たる神に向かって、王子が気安く呼びかけた。

 そのまま、敵から奪った槍の片割れを投擲する!


 ――ズゴウッ!


 ……否、これを投擲の二文字で片付けていいものか。

 王子の手から突如として消失した槍は、瞬きする間に、マズダーの腹から生えだしていたのである。

 まるで――瞬間移動。

 投げ放たれてから獲物に命中するまでの間というものが、あまりの速度によって消失してしまっているのだ。


「ぐふうっ!?」


 内蔵を貫かれた激痛に、マズダーが顔を歪めた。

 その口から吐き出されたのは――鮮血。

 悪霊たる神の一柱も、身の内に流れるのは人間と変わらぬ赤い血である。


「くっ……ふっ……。

 ――こおおおおおっ!」


 だが、それでもマズダーから戦闘意欲は失われない。

 爬虫類じみた口から吐血しながらも、深く息を吸い込み……。


「――かあああああっ!」


 吐き出したのは、きらきらと輝く息だ。

 かようにおぞましき存在から吐き出されたとは、思えぬほどに美しい吐息……。

 だが、その正体は、触れた対象を完全に凍てつかせる冷気なのだ。


 あまりの凍気に、美しくきらめく吐息……。


「――むうんっ!」


 これに対し、王子は剣を風車のごとく回転させた。

 これは――吐息返し。

 今まさに、直前まで迫っていたきらめく冷気の塊が、そっくりそのまま邪神へと返っていく。


「おおおおおっ!?」


 自らが生み出した攻撃とはいえ、効かないということはないらしく……。

 邪神の全身が、粉砂糖でも浴びたかのように凍りついた。


「ぐうっ……!

 ぐうおおっ……!?」


 もはや、打てる手は全て打ったか……。

 マズダーが苦悶の叫びを上げる。


 ――好機!


「――はあっ!」


 怯んだ邪神に対し、王子は果敢に飛びかかった。

 そこから放たれるは――横薙ぎの一閃。


 ――ザンッ!


 マズダーの首が、ゆっくりと落ちていく。

 リーナの胴体ほどもある頭は、ごろごろと床を転がり、横向きのまま静止した。


「人間よ……。

 貴様、何者だ?」


 その状態でも、まだ喋れるのか……。

 悪霊たる神が、着地したまま残心するエニク王子に問いかける。

 だが、泣き別れとなった身体も、転がった頭部も端から塵になりつつあり……。

 決着がついたのは、明らかであった。


「かの破壊神は、決着の間際におれを指してこう言った……」


 オリハルコンの剣を鞘に収めながら、王子が邪神に振り向く。

 そして、こう告げたのだ。


「――勇者エニクと」


「勇者……。

 勇者か……。

 くっはっは……」


 肉体は完全に塵となって消え去り……。

 頭だけを残したマズダーが、口元を歪める。

 その姿にだけは、神らしい威厳を感じざるを得なかった。


「恐るべし……。

 恐るべし、勇者エニク!」


 その言葉を残して、マズダーの頭も塵となって消え去る。

 完全なる勝利だ。


「悪霊たる神よ。

 御身が再び顕現せぬ世にすることを、あの月に誓おう」


 勇者が、夜空を見上げながらつぶやく。

 夜天に座す満月は、次代のローハイム王を祝福するかのように照らし出していた。

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