記憶する

 自分の家のように慣れてしまった家の階段を上がる。

 自分の部屋よりも入っているかも知れない部屋のドアを開ける。


「おい、朝だぞ。遅刻するぞ」


 何年も言い続けたその言葉を言う日がもう二度と来ないかもしれないと思うと、寂しくなる。


 部屋の墨で、親より一緒にいる女の子がただ呆然と泣いている。

 もう、泣いている理由を聞く必要もないくらいの日常風景。


「また、忘れたのか」


 ーー今日は、今日こそは。

 そんな期待は、やっぱり一瞬で消え去る。

 俺を見て少し震える女の子に気付かれないようにため息を吐いて、ポケットの底で探し物をする。


「君の好きなものだよ」


 そう言って伸ばした手の中にひとつ、昔から変わらないものを女の子に渡す。

 涙を流しながら笑ってそれを口に入れる表情も、もう何回見たかわからない。

 頬に流れた涙を手で拭って、彼女はもうひとつ、笑う。


「君の名前は、なんていうの?」

「その質問、聞き飽きたよ」


 そのやり取りも、数えたくないほどバカみたいに繰り返したもので。

 また、明日こそは、なんて考えてしまうんだ。

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飴玉 ものくろ @MonoIro

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