泥水と泥

@tamaking0616

苦味

 「好きだよ、君のこと」口からタバコの煙を出しながら君がはにかむ。しかし、何十回と聞いたそれは真冬の、刺すような冷たい空気で冷え切った僕の顔や指を暖めることはなかった。「知ってる」そう返して僕も息を吐き出す。タバコの煙なのか、白い息だったのか、僕にはわからない。落胆と情欲が熱く爛れて灰皿に落ちた。

 「お前、また俺の予定すっぽかして他の男に会いに行ったろ」静かに、簡潔に、低い声で。しっかりと目を見据えて、顔には怒気が浮かんでいるように見せるために眉間に皺を寄せる。しかし、そんな僕の努力を見透かしたかのように笑い、「んー、全く疑う様子がなかったから今回はちゃんと隠せたと思ったんだけど。君、パパラッチに転職した方がいいんじゃない?今の職場、つまんないんでしょ?」と全く気にも留めない様子でコーヒーを仰いだ。「今はそんなこと関係ないだろ。この前も全くおんなじことで話し合ったよな。何回言ったら」と言いかけたところで、すっと、彼女の端正な顔が目の前に迫ってきた。言葉が、彼女の垂れた茶色の瞳に吸い込まれる。一瞬の沈黙の後、僕の口は彼女の、すこし色の薄い唇で塞がれた。口腔がコーヒーの香りと、少しの唾液で満たされる。呆気に取られたが、すぐに突き放そうとする。が、するりと腰に手を回された。力が入らない。結局1分ほど口の中を蹂躙され、やっと腰から手が離された。「…クソ女」息も絶え絶えに、腕で口元を拭う。「それじゃ、そろそろ時間だし行ってくるね。コーヒー、おいしく淹れられたから君も飲んでみて」と、まるでただ挨拶をしただけと言わんばかりの爽やかな顔で飲みかけのコーヒーが入ったマグカップを机に置き、颯爽と玄関に向かっていく。僕は何も言わずに手に取って、少し眺めてからぐいっと飲み干した。苦くて不味い。思わず、今度は本気で眉間に皺を寄せる。何回飲んでもこの泥水は美味しくならない。こんなものの何がいいんだ、と思いながら空になったマグカップの底を睨みつけていると、ピロンとスマホがなる。『右のほっぺたについてるやつ、洗ったほうがいいよ』と、通知が来ている。右の頬を手のひらでぐりぐりと擦ると、ルージュがべっとりとついていた。「…クソ女」ぼそりと呟く口からコーヒーの香りがした。

 

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