第5話 エピローグ

 目の前の老夫婦が手を繋ぎ、同じ速度で歩を進めている。ゆっくりと、のんびりと。長い年月をかけて積み重なった、二人だけの思い出が、何層にもなって、時を越えて見えてくるようだった。


 もしかしたら、一度離婚を経験した者同士の熟年結婚かもしれない。もしかしたら、70年一緒にいるかもしれない。目の前にいる、話をしたこともない人のことを見て想像し、勝手に温かな気持ちになっている。


 京子さんは、変わらない。ずっと自分の気持ちを探している。同じ景色を見ている京子さんに、目の前の老夫婦はどのような意味を持って見えているのだろう?


 異なる時間を過ごした人と自分の思考を、勝手に重ねあわせてはいけない。いつだって自分の考えが間違っているかもしれないと俯瞰することが大事だ。とはいえ、自分の考えすべてを否定するのは違うと思う。


 嬉しいのはどんなとき?悲しいのは?楽しいのは?


 人間という枠組みの中にぎゅうぎゅうに詰められて、特出した何かに心奪われ、何者かになりたがる。何でも調べればすぐに出てくる世界で、両手いっぱいに情報はあふれ出し、壊れたドリンクバーのように止めどなく流れ、床にこぼれ落ち、誰の喉も通らず無駄となる。


「好き」の定義はなんだろうか?

「好き」は人によって変えられるべきなのだろうか?

「好き」が間違うことがあるのだろうか?

「好き」ってなんだ?


 この世に生まれて「好き」を主張したことがない人は存在するのだろうか。僕の二十年ちょっとの経験値からは知る由もない。


 そのうえで色々考えて、思ったんだ。


 答えなんて見つけなくていいんじゃないかって。


 理由なんて立派じゃなくていい。


「好き」な理由も、沢山じゃなくていいと思うんだ。


「好き」は自分の中にあるもの。


「好き」は自身の本質。


 愛しい貴方と、一緒にいたい。

 美味しそうにご飯を食べる君を、眺めていたい。

 一緒に来年も、桜を見たい。

 季節を巡り、思い出の場所にまた行きたい。

 何年経っても、僕らが出会えた奇跡を抱きしめたい。

 僕を選んでくれてありがとう。


 そんな未来を想像したくなるのは君だけ。


 僕の「好き」はいま、最大限、君に向けられている。


 そんな愛しい気持ちを、ずっと大切にしていきたい。

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桜前線、鯉のぼり 室前 春 @muro_5

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