Daredevil・FINE

 ――乗り込む? あの貨物列車に?

 窓代わりに身体を乗り出せるくらいの大きさで、壁に穴が開けられている。その隣には、人が入れそうなドアらしき空白。コンテナではなく木製の車両で、貨物列車かと言われれば決してそうではないような形をしている。しかし、人が乗る車両の形をしているかと言われればそうでもない。何というか、列車がまだ電気でなく石炭で動いていた頃の形状というか――どこか古めかしさを感じる。

 貨物列車は普通の列車と同じレールを通るが、荷物の流通を滞らせないように非常時のみ使う路線のルートが用意されているらしい。


 ――で、ホントに乗り込むつもり?


 聞き返す暇も無く、アミスは私の手を掴み、その車両の中へ押し込んだ。不意なことで対抗する力も無く、されるがまま。そこに押しこまれて直ぐに、アミスの小さな身体がなだれ込んできた。


「危なっ! 何してんのアミス?!」

「これで帰れる……幽霊が出る前に帰れるぞ! よっしゃあ!」


 やってやったと、アミスの高笑いが薄暗い車両内に響きわたる。見た目通り相当古い車両のようで、アミスの大声で天井がミシミシ軋んだ。


「タイミングがずれてたら死ぬところだったじゃない!」

「ん? 死んでないから大丈夫じゃろ? それに、ワシが時分を見誤ることはない。安心せい!」

「そういうことを言いたいんじゃなくて!」


 車両が大きく揺れた。列車で感じることのない振動に、アミスは私の口の前に人差し指を置いた。


「静かにしとくれ。線路から脱線したら一巻の終わりなんじゃぞ?」

「あっ、ごめん……って、私の所為なの?!」

「まぁ、このまま行けば学校に着く。10分も乗ってれば渡れるじゃろ」


 そう言ってアミスは腕を組んで座り込んだ。……なんだか釈然としないけど、帰れるのならよかった、のかな?

 私は車両のそこら中に置いてある荷物にもたれかかり、外の景色を何となく眺めていた。

 海抜7000m、自然の景色を妨げるのは様々なところに林立する空中都市しかない。小高い所や今のような何もない場所からは地平線がよく見える。昔……と言っても、私の幼少期頃の記憶は殆ど無いが、昔じゃ考えられない景色だ。時刻は7時20分、景色は日没同然、星が大きく見える。

 お互い黙りこくっているのを解消するため、私は適当に話題を振ってみることにした。


「明後日のオリエンテーション、どうなるかな」

「さっぱりわからん。訓練で全員の射撃の腕は知っているつもりじゃが、それが戦いとどう組み合わさるかは見当も付けられん。じゃが……」


 何か詰まるところがあるみたいだ。


「アテネも知っているとおり、ポアロは他の連中より強い。ワシの野生の勘がビンビン反応しとる。そいつとアテネがぶつかるのは確実じゃろうなぁ」

「確かに……はぁ、あんなのと戦わなきゃいけないのか……」

「それに、じゃ。他にもワシの野生の勘が働いている奴が居る。オリオン、という男なんじゃが……」


 オリオン。オリオン・スパルタクス。話したことはなくて、名前だけ知っている。あっちも、おそらく私の名前しか知らないだろう。


「あいつ、よくポアロとつるんでおったわ。ポアロとバディというわけであれば、警戒した方がよいじゃろうな」

「……そっか」

「まぁそう案ずるな! 射撃はワシが一番上手い! アテネがワシの護衛と索敵に回ってくれれば、ワシがぶち抜いてやる!」


 いきり立つアミス。気合い十分、私もそれに応えなければアミスに失礼だ。


「ねぇ、アミス」

「? 何じゃ?」

「……勝とうね、オリエンテーション」

「もちろんじゃ! 泥船に乗った気持ちで居れ!」


 私はアミスとグータッチを交わした。

 正直……その言い間違えはやめてほしかったな。




 想像していたより倍くらいの時間がかかって、停車駅から徒歩で行かなければならないときも多かったが、なんとか学校の寮に戻って来られた。寮の管理の人には、私が傷だらけになっていて、アミスが満身創痍になっている理由をしつこく問われたが、それとなくはぐらかしておいた。事実を言っては、私とアミスは学校にいられないと思った。

 私もアミスももう身体の限界が来て、お互い肩を貸しあって、何とか部屋に辿り着いた。アミスは服も着替えずベッドに飛び込んだっきり眠ってしまったので、私もシャワーを浴びてしまったら早々に寝てしまおうと思った。

 脱衣所で駄目になってしまったレザージャケットとジーンズに別れを告げ、防水加工の音楽プレーヤーを持って寮のシャワールームに入る。音楽プレーヤーの電源を入れ、シャッフル再生に任せると、ゆったりした曲調のポップミュージックが流れてきた。頭の中は心地よい感じでいっぱいなのに、身体はシャワーの栓をひねって出てきた熱い湯が、傷口に染みてきてぴりぴりしてくる。


 鼻歌で痛みが紛れるだろうかと、歌詞の1番目のサビを歌ってみたが、どうしても包帯を突き抜けて入ってくる湯が気になってしまう。早いところ洗ってしまおう。

 シャンプーとリンスのディスペンサーを二回ずつ押し、出てきた2種類の液体を纏めて髪を洗ってしまう。一端の女性なんだからこんなことはしたないとは思ってはいるが、今日の私は一刻も早く眠りたい。一日ぐらい問題ないだろう、と誰にも漏らさない言い訳をつらつら心の中で並べた。

 身体も石鹸で清めて、頭も身体も一気に流した。泡が湯に溶けて痛みが増してくる。痛みに耐えながら全身の水気を拭き取り、歯もその中で磨いて、ようやく寝られる――そう思って、シャワールームの扉に手を掛けた。



「――――♪ ――♪」


 誰かの鼻歌が、外から聞こえてくる。足音も聞こえてくる。普通の歩く足音ではない。もっとこう、のろのろとした、薄気味悪いような。文字に起こすならば『ヒタ……ヒタ……』といった足音が、シャワールームの外から微かに聞こえてくるのだ。私は扉に耳を押し当て、もう少しよく聞いてみようと試みた。


 声が――低い。男の声だ。もしかしたらアミスかもしれないという希望は打ち砕かれてしまった。そのうえ、何か探しているようだ。ゴソゴソ音がする。一体誰なのだろう?

 ポアロだったらまぁ妥当か、と考えて先日の嫌な思いをぶつけてやればいいのだが、そうでなかったら動機が謎で思考が固まる。せめて見知っている男であってくれと、寝間着に着替えて、脱衣所に備え付けてあったドライヤーを引っ提げて、恐る恐るドアを開けた。

 ――そこで、アミスの話を真に受けなかった私は馬鹿だった。そう思い知らされることになる。



 アミスの言っていた『幽霊』。その特徴をまんま模した人型がそこに居た。ボロボロの黒衣を被り、裸足。アミスが眠りこくっている横で、棚のものを引っ張り出し、まだ解いていない荷物や段ボールを引き裂いて、あれでもない、これでもないとベッドの上に投げ出している。

 私は怖ろしさで叫びたくなった口を片手でぐっと押さえた。知らない男が除し部屋に忍び込み、下着でも漁っているのかと思うと、こうでもしなければ発狂してしまいそうだ。

 息を殺し、脱衣所と寝具のある部屋を繋ぐドアをゆっくり、ゆっくり開く。肩にコードを引っ掛けているドライヤーを右手に持ち替え、男の後ろへ一歩一歩、音を立てないように近づく。男の方はというと、背中へ近づいてくる私を気にも留めず、ベッドにまで潜り込んで部屋を物色している。


 ベッドの下でもぞもぞ動く黒衣にめがけて、ドライヤーを振り下ろした。



「――さて、そろそろ君には話をしておかないといけないな」


 そうぼそぼそと呟いたのが聞こえると、黒衣はベッドの下からバネで弾かれた様に飛び出してきてこちらに向き直った。腰辺りまで振り下ろしたドライヤーは、男の手によってがっちり固定され、上に振り上げることも、そのまま頭頂部に落とすことも出来なかった。

部屋の空気がどす黒く変わった。今までは灰色の、せいぜい不安感で黒ずんでいた空間が、まるで黒いペンキを滴下したように真っ黒になった。

 ただごとではない。私はそう実感した。下着泥棒の方が幾分マシだと思えるような苦しい雰囲気を、黒衣の男は醸し出していた。


「――でも、ここじゃ君も話しづらいだろうし、何よりもが持たない。――少し揺れるけど……あぁ、君はそうそう酔わない体質か、それじゃ配慮はいらないね」


 そう言って男は空いた左手で指を鳴らした。


「待って、それはどういう……っ」


 言葉を発し終える前に、頭に不快感が走った。痛いというより、何か得体の知れないものが頭の大事な部分を這いずっているような気持ち悪さ――例えるなら、芋虫やシャクトリ虫といった気色悪いものが棲み着いているようなものを感じた。

 どうにもその不快感に耐えきれず、私は嗚咽を撒散らしながら床を転げ回った。床の感触も気味悪い。木のフローリングの硬さを感じたあと、泥沼のような粘着質を経て、より硬い床へ移ったのを背中が感知した。自分でも何を感じているのだろうと思った。だけど、感じたものを表すそれ以上の表現を、今の私では表現することは出来なかった。




「――もう立っていいよ。ここが本体の住処、いうなれば聖域サンクチュアリだよ」


 男のくぐもった声が聞こえだしたときには、私は部屋には居らず、監獄らしき部屋の中に居た。

 ふらふらと私が立ち上がると、男は黒衣のフード部分を脱ぎ、小皿付のティーカップ(真っ黒で装飾のなく、趣味が悪く見えた)に入れたカフェラテを勧めてきた。

 さっきから気味悪いというボキャブラリーしか出てこなくなってしまっているが、男の風貌は奇妙そのものだった。肌は病的に白かった。首の付け根辺りまである藍紫色の髪の毛、手入れを知らないのかと言いたくなるほどボサボサで、男が首を動かす度に揺蕩っている。VRゴーグルのようなものを付け、ゴーグルの液晶にはハート型だとか顔文字だとかが、右から左へ流れていくのが見えた。


「――なんだ、飲まないのか。は200ml分飲んでいたのに。君とは多少なり趣味が合うとは推定していたんだけど、残念だ。……今日は紅茶の気分かな」


 男はカフェラテを床に注いで、紅茶を入れ直し、私の目の前に置いた。


「――お紅茶は嫌い?」

「……いや、訳わかんないんですけど」

「――そうか、じゃあこれは頂こう」


 男はコーヒーの絵柄を液晶に移し、私の前から取り上げた紅茶を一口で飲み干した。

 私は訳が分からず、部屋をもう一度見渡す。背後には鉄格子、六畳一間程度の牢獄の壁際に、二段ベッド、勉強机、空っぽの大きな本棚が鎮座している。床には本が散乱している……片付ければいいのに。

 壁には『ライサルトに、希望を』、『持たざる者よ、前へ進もう』、『映画公開記念』といったポスターが乱雑に貼り付けられていた。一部映画のパンフレットが画鋲で留められていたが、殆どが政党のポスターだ。


「――さて、君の名前を聞こう。アテネ・ユリウス」

「……は?」


 今、しかと耳を疑った。『名前を聞こう。アテネ・ユリウス』だって? 名前を知っているのに、名前を聞こうだなんて……。

 この男は何を考えているのだろう、発言の意図が読めない。


「――君という存在をここに繋ぎ止めている名前だよ。成りたい君を、君は知っているはずだ」

「名前って、さっきから自分で……」

「――そうだ、君はアテネ・ユリウスなんだ。だけど真ではない、心の底からアテネ・ユリウスだと確定していないんだ。――だから聞くんだ。アテネ・ユリウスの、真なる名前を」


 阿呆らしくなって、私はすっくと立ち上がって言った。


「……意味が分かりません。真なる名前とか、確定だとか……私はアテネ・ユリウスです。それ以上でも、それ以下でもありません。早くここから出してください」

「――OK。物語の主演リーディングアクターは君で決まりだ」


 男は嬉しそうに言うと、床に散乱している本の中から、分厚いのを一冊手に取った、人名辞典、とのことだ。男はページを繰りながら言った。


「――さて、君に質問したいことがある。君は今まで、『ネヴィル・アンヴァリッド』という人間に会ったことはあるかい。もしくは、見かけた、聞いた。本で読んだだけでもいい。君の答えを聞かせてくれ」

「……いや、全く」

「――はは、それはそうだ。今思いついたんだからね」


 ……ふざけている。


「――でも、その人間にはドラマがある。彼は2600年の7月生まれ、星座はキャンサー、血液型O型、服屋の息子、頭は……大して良くないみたいだ。彼は親の仕事を継ぐことになるだろうと考え、いつも遊び呆けて、借金を作り、女を三人捕まえて寄生していた。三十代になって戦争が始まって、服屋は経営が傾き破産。無論彼には能力も資格もなーんにも無い。路頭に迷った彼は運河に飛び込んで、誰からも忘れられてしまった。――どうしてこんな話するのか、分かる?」


 私が黙っていると、男は続けた。


「――ドラマだよ。人の名前にはドラマがある。君にもだ。アテネ・ユリウスという名前の中に、何生分のもストーリーが植え付けられているんだ。1年前と最近で、君の名前のドラマが何本も書けた。既存のアテネ・ユリウスのストーリーも4回は見直した。非常に面白かったよ、今のところはね。――だから全部知っている。アテネ・ユリウスの生い立ち、人間性、交友関係、天命、来世、その他。ところどころ違うけれど、ストーリーの基盤だけは全く一緒だ」

「結局何が……」


「『結局何が言いたいんですか?』――君がそう聞くのも知ってる。台詞を覚えちゃったから。まぁ、前座も導入も全部端折って言えば――君は直ぐ先、『最悪』を迎えることになる」


 

 

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