Daredevil・THIRD

 エルネストはとんでもないものを遺していった。……いや、遺したというより、消し飛ばしたと言うほうが正確かもしれない。


 ミニバンの後部座席のドアを開いた瞬間、無情にもゼロになった時限爆弾のタイマーがこちらを覗いていた。刹那、熱風が自身の両脇を吹き抜け、爆弾の外殻が散り散りの破片になって四方八方へ飛び抜けた。咄嗟に後方へ飛び退けられたお陰で、片腕を切断する羽目になったとか、眼帯を四六時中着ける羽目になったとか、そのような事態には陥らなかった。

 ただ、爆発した瞬間。その一瞬だけ、心の何処かでは理解していたものの、納得したくなかったことを覆っていたものが消し飛び、中身が露わになった。




 爆発はたった1、2秒程度の事象だった。その時間で、目の前のあらゆるものが消し飛んだ。

 中年はいない。エルネストという男もいない。ミニバンは原型を留めて居らず、時代遅れのガソリン車はぐちゃぐちゃの黒ずんだ鉄塊になり、めらめらと炎上している。着ているレザージャケットは胸の部分と襟が消失、ジーンズはダメージを入れたと嘘をつくには笑えないほど損傷している。

 顔を手の甲で拭うと、その殆どが削れたアスファルトの一欠片だとか、爆弾の破片が掠って出来た出血だとかでグロテスクな色に混色されていた。

 涙を流す余裕は私になかった。目の前で起きたことを整理するのに脳が使われて、その情景をぞくぞくとした目で眺めていることしか出来なかった。

 さっきまで生きて悪態をつき合っていた人間が居なくなっていたことには言うまでも無い。どちらかというと、爆発を間近で見て、受けた私が、爆心地から5メートル程離れた所で佇めていることに恐怖を覚えた。どうして私は生きている? 死にたかった訳じゃなく、あれで死んでいなかったら私はどうしたら死ぬんだろうといった、自分の頑丈さに、異常な生命力が恐かった。


 爆発音を聞きつけたのか、ネメシスに駐在しているらしい機動隊車両がサイレンを鳴らして近づいてきた。四人小隊の迷彩服、小銃を担いだのが車両から降りてくると、私は直ぐに爆発の被害が少なかった通りまで避難させられた。




「君! オリエンテーション前はネメシスに寄るなと連絡されなかったのか?!」


 包帯やら絆創膏やらで応急処置を施された後、機動隊のひとりにこっぴどく叱られた。ついさっきまで敬語を使っていたのに。


「見ての通り、オリエンテーション前はああいった活動家が何個も湧いて出てきて、私達ですら手を焼いている。その中に嫌っている士官学校生――とくに特殊兵装科生徒が入っていけば、現場が荒れるのは明らかだ。……なんでまた、こんな時期にネメシスへ来たんだ?」

「……友達と一緒に、オリエンテーションの会場下見をしたくて、それで……」

「……そうか、そうだとしてもあまり感心は出来ないが。目立った怪我がないようなのが幸いだ」


 それだけ言い残して機動隊の人達は先を急ごうとした。気がかりなことが残っていた私は声を上げてそれを引き留める。


「友達、友達はどうなったんですか……!」

「友達? さぁ、士官学校生からの通報は来ていないが……電話してみたらどうだ?」


 言われるがまま私は腕の端末を操作し、通話を開始した。


『もしもし、アテネ。 どうしたんじゃ?』

「…………」

 よかった……。アミスはいつも通りの声色で応対してくれた。


『おい、アテネ。どうしたんじゃ?』

「今、どこにいる?」

『今か? あぁ、えーと……ネメシスの北西部の、F5地区なんじゃが、――地図かなんかあるとやりやすいんじゃが』

「わかった、直ぐ行く」

『アテネ、なんか変じゃぞ? アテネの方こそ今どこに……』


 通話終了。集合場所から時刻までまるっきり違ったお陰で最悪の事態は免れた。少し安堵する。


「生きてました……! F5地区に居るって……!」

「そうか、なら直ぐに合流して学校に戻った方がいい」


 端末で地図を調べてみると、今到着した列車が近くにあるらしい。列車は爆発の被害を受けなかったようで、通常通り運行していて幸いだった。


「すいませんっ……ありがとうございました!」


 私は機動隊の人達に頭を下げると、駅の方へ駆けた。去り際に機動隊の一人が何か言っていたような気がしたが、はやる気持ちにかき消されて、立ち止まるには至らなかった。

 

 駅構内は人で混み合っていた。五、六両編成の列車から続々と人が降り、一目散に駅を出ようとして、改札の所で詰まっている。それにしても、向かう方向が偏っている。何故だか皆、爆心地の方へ寄っていく。

 人の波が過ぎ去った数十秒後、ようやく改札を通り抜けようとした頃、停車している列車からスーツの男が降りてきた。他の乗客とはうってかわって、遅い足取り――というより、ふらついていた。病的な、不気味な雰囲気を醸しだし、こちらへ向かってきている。

 まぁあの人混みではああなるのも不思議ではない、と男を素通りしようと思った。その瞬間だった。


「その男に近づくな!!」


 腕を掴まれて、私は駅の入り口まで引き戻された。つかまれた腕の方を見ると、迷彩服の機動隊が尋常じゃない顔をして、あの男から遠ざけんとばかりに引き込んでいた。腕を掴んでいる機動隊の人の影から、何人か透明な盾を構え、小銃を握っている人が改札を乗り越えていく。身につけているものはやはり迷彩柄だった。

 何事かと思う暇も無く、私の腕はぱっと離された。引き寄せられたのにつられ、駅のタイルを三周かそこら転がり、ようやっと勢いが止まった。

 状況が整理できないまま、自分がさっきまでいた方を見やると、スーツの男を機動隊が取り囲んでいた。スーツの男は降伏するように両手を掲げていた。スーツの男の背中側に居た人が拘束しようとすり寄っていくと、男はにやりと嗤い――。




 やむを得ず、私は歩きでF5地区に向かっている。というのも、駅構内も先程の爆発事故のように地獄へ変貌したからだ。

 駅の自販機や、ゴミ箱、至る所に爆発物の類いが仕掛けられており、それらが一斉に起爆された。選挙カー爆発事故の通報のせいで、巧妙に隠されていたそれらまで手が回らなかったらしく、敢え無く起動を許してしまう事態となった。


 ――そして何より恐ろしかったのが、スーツの男も爆発物の一部だったことだ。男が爆弾を積んだアンドロイドだったのか、生身の身体で胃の中に爆弾を隠し持っていたのか全く不明だが、男がニヤリと嗤ったその時、男の身体が膨らみ、爆炎を噴き出して破裂した。近くに居た機動隊の人間は爆発をもろに受け、ネメシスの駅は地獄に変貌した。他の駅を探そうとその場を後にしても、後ろへ下がっていた野次馬も全部吹っ飛んでいた。きっと、あの人だかりの中に我が身を省みない鉄砲玉が居たのだろう。あのスーツの男は列車内に居た数分前から危険人物として監視されていたが、爆発する寸前までその情報が列車外に全く漏れなかった。生還した人がそう話しているのを聞いた。

 ここの近辺以外にも爆発事故の通報があったらしく、視界の横を忙しく機動隊の車両が通っている。車道は爆撃を受けて大きな亀裂が入り、街路樹は焼け焦げ吹っ飛び、お洒落に飾り立ててあるショーウィンドウのあった店はガラスの破片が散乱し、見るも無惨な形になっている。爆発事故の少なかった路上には負傷した人々、なんとか死を免れてきた人が各々遺体を弔ったり、衣服を破いて止血に急いでいた。


『士官学校オリエンテーションまであと一日! 守ろう我々のネメシスを!』

 

 情報が漏れなかったのはこの所為か、と私は察した。

 ビルの外壁にあるホログラフィックでは標語じみた文面が垂れ流されている。スーツの男が何十人も並んでいる映像付で、士官学校の特殊兵装科がどれだけ邪悪か、それを野放しにする大本営がどれだけ愚かかをぺちゃくちゃ吹き込んでいる。爆発事故から思想の流布まで繋がっていたのだ、ここまで来ると選挙活動というよりただのテロリズムだ。映像ジャックだけでは大本営から検閲が入ってお終いだと踏んで、爆撃を混ぜ込んでネメシスの人間を扇動、実行犯は吹き飛んで粛正不可能。活動家の責任は全部、同時多発自爆テロを阻止できなかった機動隊、つまり国に向けられる。推測される連中のストラテジーに気色悪さを覚えた。



 腕の端末のバイブレーションが動く。アミスからの通話だ。


『アテネ、聞こえるか? ついさっき駅で爆発テロがあって運転見合わせじゃと……』

「あぁ、間近で見てたよ」

『何?! 大丈夫なのか?』

「乗り物全部止まってるから歩きで向かってる。 そっちは? 爆発とか起きてない?」

『あぁ。こっちは問題ないようじゃが、建物の壁にくっついてるヤツが皆おかしくなっておる。 訳の分からんことばっか喋る野郎ばかりじゃ!』


 映像ジャックの範囲はおそらくネメシス全域。爆発事故は起きているところと起きていないところがあるようだ。明確な区別は知らないが、C3地区が攻撃されただけでも大混乱なのだ、全域爆破されていたらとんでもないことになっていたのは間違いない。

 

「まず合流しよう。アミスはそこから動かないで。そこから何が見える?」

『えーとな……円盤を売ってる店と、本屋と――ドーナツ屋さんか? あれは……』

「…………アミス。今まで言わなかったけど、アンタそこでずっと遊び呆けてた訳じゃないでしょうね?」

『んなっ、馬鹿を言うでない! 早く着きすぎて、先に広く下見に回っていただけじゃ!』


 ずぞぞぞっ、とストローで飲み物を啜る音が端末から鳴った。


「……言い訳は後で聞くから」


 溜息をつき、通話を切る。私が二度も爆撃を目の当たりにしている間に、何をしているんだか……。




「アミス! 待っておったぞ……って、なんじゃその格好は?!」


 合流して開口一番、アミスはズタズタになった私の衣服を見て目を丸くした。


「それに怪我しておるのか?! まさか爆発事故に巻き込まれたとでも……」

「はぁ、アミス……さっきから突っ込みたいことがいっぱいあるんだけど」


 ドーナツ屋さんで買ってきたであろう紙袋を提げ、もう片方の手にはドリンク。格好に至っては、民族的な刺繍の入った毛糸のウシャンカを被り、温かいを通り越して最早暑苦しいポンチョに身を包んでいる。ボロボロの私の服を見てオロオロしているが、私に言わせれば『アンタが言うな』状態だ。私が事件に巻き込まれているところに、何を悠長にしているのかとさっきまで怒りたくて仕方なかったが、アミスの斜め上の風貌にその気も失せてしまった。

 

「しっかし、こうなってしまっては、ワシら士官学校連中が出来ることは何もないのぉ。ネメシスの中核は爆発で駄目になってしもうたし、他の地区も危険極まりないじゃろうし……今日の所はここいらで撤退してしまった方がええかもなぁ……」

「元からそのつもりよ」

「そうと決まれば、キレーネに戻るヤツを見つけんとなぁ。じゃが、列車はまだ動かんし――」


  ネメシスとキレーネを繋ぐ公共交通機関は全て運転見合わせ。思いの外復旧が早いかと希望を持ってF5地区の駅のベンチに腰掛けているが、線路や駅の補修会社が全く見当たらないので、暫く学校には帰れないだろう。時計はそろそろ7時を回ろうかといったところだ。士官学校に門限があるというのなら、それ以内に寮に戻るのは厳しいだろう。とはいえ、門限を過ぎてしまうと一体どんな罰が下るのか私には想像できなかった、想像できなかった。一刻も早く戻りたい。


「運良く他の交通手段があるとか、そういうのはないのか?」

「――ダメみたいね、残念ながら」

「くっそぅ、早いとこ帰らんとかもしれんのに……」

「出るって何が?」


「何って、幽霊じゃよ! ユ・ウ・レ・イ!」


 アミスは声を荒らげた。入学初日以来その話を聞かなかったので、もう終わったことだと思っていた。


「居ないよ、幽霊なんて」

「いーや、幽霊は居るぞ。なんてったって、ワシのお父も師匠も見たと言うとるからな。それにワシも最近見た。アレは今思い出しても恐ろしいわ――」


 アミスは胸を張ってそう言う……根拠も何もなってないんだけど。


「どうせ木の枝とか布とかを見間違えたとかでしょ、馬鹿なこと言わないでよ」

「なんでそう直ぐに否定するんじゃ! 聞いてくれてもいいじゃろ!」

「だって、誰それから聞いたなんて信用出来ないよ」

「まぁ、それはそうかもしれんが――少なくともワシが見たのは幽霊じゃ! 見たの昨日の晩じゃからな!」


 いや、新しいとか古いとかじゃなくて――、と制する前に、アミスは昨日の夜見たという幽霊の話を事細かに話し出した。


 「何というか、全身真っ黒じゃった。確か裸足だったような――それに、ボロ布かなんか被って顔を隠して居ったわ。どうしても……その、何て言ったかの――」

「エレベーター?」

「あっ、そうそう。エレベーターじゃエレベーター。そのをどうしても使わなきゃいけなかったもんで、震えながら乗っとったのじゃ。そしたら地下1階に行きたいみたいじゃったから、『の常連のワシが直々に教えてやるが、地下1階は立ち入り禁止じゃと』と声を掛けたらそいつ、なんて言ったと思う? ……『あぁそう、君みたいな山奥の田舎者には聞いてないけど』とな。どうしてワシが山奥生まれじゃと気づいたのかと思うと、夜も眠れなくて……」


「ちょっとストップ、もういい」


 私は頭を抱えて話を止めさせた。アミスは話の腰を折られて不服そうに言い返してきた。


「何でじゃ? ここからがいいところだというのに。あの幽霊の恐ろしさを……」

「絶対幽霊じゃないよね? なんで脚生えてるのさ」

「そりゃあ幽霊にだって、脚のあるのは居るじゃろうて」

「それに、何普通に会話してんの?」


 自然な感じで初対面の人に偉そうにしてるし、それに、さっきからずっとって言ってるし――というツッコミは、取り立てて言うのもばかばかしくて口から出てこなかった。


「いやぁ、恥ずかしながら当時は幽霊だと気付かなかったんじゃ、アヤツがエベレーターを降りてったあと、ようやく正体に気付いて震え上がったというわ・け」

「いや、絶対に幽霊じゃないじゃんそれ」

「……幽霊の話したら怖ぁなってきてしもうた……早う帰りたい……」


 顔面蒼白のアミス。墓穴を掘るのが早すぎて一種のギャグにしか見えない。


「なぁ、本当に列車は来ないのか?! こんなに待っちょるのに!」

「来ないって! まだ運転見合わせだってさっきから……」


 

 ――微かに、その音が聞こえた。早く帰りたいあまりに幻聴が聞こえ始めたかと不安になったが、どうやらそうではないらしい。どんどん近づいてくる。

 幽霊に怖がって真っ青だったアミスの顔も、その音でみるみる希望に満ちた顔になってきた。堪えきれず、アミス、それにつられて私も線路の方に駆け寄った。


「貨物列車……?」


「アテネ! アレに乗り込むぞ!」

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