Daredevil・SECOND

 空中衛星・ネメシス。ライサルト国立士官学校管轄の居住区かつ緊急時の士官学校キャンパスである。空中都市本島・ガイアの面積の五分の一以下。面積的には約225㎢――人でごった返すような都市は大体この広さだ。推定人口約200万人。近辺で一番栄えているのはこのネメシスしかないようで、夕方頃には士官学校生をはじめとしたティーンエイジャーで溢れかえるそうだ。

 士官学校から直通で出る小型連絡飛行船でネメシス中心部まで移り、そこから徒歩2分。訳の分からない、悪酔いをしたミミズ這いのピクセルアートみたいなオブジェクトの前で、私とアミスは待ち合わせをする予定……。


 ……あれ、ここで合ってるっけ。


 たぶんおそらく十中八九メイビー、集合場所はここで合っているはずだが、自分が間違っているのではないかと不安になる。たった二人の待ち合わせなのに直ぐ揃わないのも相まって。

「オリエンテーション前に下見をして作戦を立てよう(意訳)」と、提案を持ちかけたのはアミスなのだが。今更だがよくよく考えてみると、会場の下見にわざわざレザージャケットを卸す必要も無かったな、と思う。制服で来ればよかった。

 街中は老若男女、独り身、子連れ、兄弟姉妹らしき人達が、今日の晩ご飯の話とか、次の週末の話とかの話に花を咲かせている。そのお陰か、私は目立たず、かといって空気にもならない良い加減のスタンスを保てているのだけれど、「いいジャケットだね」とかわざわざ卸した一張羅を前に、そう言われないのもそれはそれで煮え切らない気持ちだ。


 

 5分待ってみた。私も時間にタイトな性格ではない、それくらい遅れても簡単に水に流せるし、私だって予定時間より1分か2分遅れているのだ。お互い様だ 。

 10分待ってみた。予定時刻からの遅延も合わせて12分とン十秒。遅れているということよりも、遅れについて何の連絡も寄越してこないことに、胸の奥がちくちくと突かれ、着々と熱くなってきている。

 15分待ってみた。胸の奥の熱がオーバーヒートした。オブジェクトの前で立っているのも、鬼のような筋トレ、射撃のオンパレードがあった後ではやっとのことなのだ。私は心も体も限界だった。そういや先日学校から配られた端末には通話機能があったなと思い、点灯している画面を必死にスワイプしていると、肩を叩かれた。



「アミス! 何だって連絡せずに15分も遅れて……」


 アミスだと思った。振り向きざまに少し怒ってやろうと声を荒らげたが、本人には届かない。

 何故かは知らない、分からない。だけど、アミスではないのは確かだった。野生児らしい性格のツインテール小柄女子の代わりか、そこに立っていたのはそれとは似ても似つかぬ青髯の中年。ちょうど入学式の日、私に絡んできてアミスに粛正されたような男のような、浮浪者じみた男だった。


「……いいジャケットだな、それ」


 さっと身構えた。こう言われたいと何処かで望んだのは正真正銘この私だが、つくづく嫌な叶い方で続いている。


「……お前さん、士官学校生か?」

「……こんな服を着てても、そんな風に見えますか?」

「分かるんだよ。俺には。それにだ、お前さんは特殊学科の連中だろう? その癖、射撃は平均以下――お前さん、恵体フィジカルだけで入ったのか?」


 背筋をつららで撫でられたような、嫌な寒気がした。こうも私の身の上をピタリピタリと当てていくその中年が恐ろしくなった。

 どうやら私が怖がっていることも当てたらしく、中年は右口角だけを上げてニタリと微笑んだ。


「お前さん。特殊学科の連中のくせに、この時期のネメシスへ来るとは――何のために試験の成績で学科を分けてるのか」

「…………」

「そうかそうか。数学か物理か、何かしらは満点だと、そう言いたいみたいだな。ゃが、お前さんは空気の読み方は成績1がいいとこ。命知らずだ」


 中年はそう言葉を並べていく。一切言っていない事まで当たってしまっている。そのことは何度もやられてすっかり震え上がってしまったが、中年の鼻につく、歯抜けの言い草に少し、腹が立ってきた。


「私がいつここに来たって関係ない。そもそも、何? わざわざ絡みに来て」

「おいおい、人聞き悪いな。忠告と言ってくれ、忠告と」


 そう中年は肩を竦めて、「まぁ飲めよ」と200mlペットボトルのミルクティーを手渡してきた。


「何度も言う。特殊学科……へぇ、今は特殊兵装化というのか。特殊兵装化であるお前さんがここに来るのは、無謀も甚だしい。特にオリエンテーションが近いこの時期にゃな」

「……どうして?」

「ここに黙って突っ立って聞いてりゃ分かる。ゃが、それを聞いたせいで、お前さんの気が病む可能性はあるが」


 そう言うと中年は目線の方向へ顎を突き出した。顎の方へ目をやると、拡声器を何個も取り付けた選挙カーらしき前時代的車体がライサルト国歌をけたたましく流しながらネメシスの商業区の遊歩道プロムナードに割り込み、停車するのが見える。

 盲目か人でなしがハンドルを握っていたのか、危うく轢かれそうになった人をちらほら見かけた。あのやかましい音声がなければ、商業区の人間が薙ぎ倒される阿鼻地獄になっていたかもしれない。多数の基本的人権を奪いかねなかった車体と運転手に対して市民は抗議のひとつしてもおかしくはないのだが、ライサルト国歌を耳にした市民――特に車に轢かれそうになった市民が車に寄ると、それを背にしてこちらをじっと睨みつけてきた。

 スーツ姿の背の小さい男が、車の屋根に登り、仰々しく口を開く。


「……私には夢があります。――今日のライサルトを洗い流し、かつての――50年前のライサルトに戻すことです。諸君の記憶通り、かつてのライサルトは美しく、気高いものでした。平等で、一蓮托生を掲げ、一同新国家ライサルトを作ろうとしていたのです。……しかし、今はどうでしょうか。大本営ですら、魔臓を持たない『持たざる者』の中から魔力量の高いものを優遇し、更には『特殊兵装化』なる異常者集団を打ち出しております。……皆様、この異常に気づきませんか? 我々が必死に追いかけ、従事、奉仕してきた大本営ひいては国家、今や敵国の売国奴。我々が信頼していた国家の有り様は、衰退の一途を辿るのみです。ここで我々民衆が立ち上がらず、何処で立ち上がるというのでしょうか? ――私の夢は、今日のライサルトを洗い流し、かつてのライサルトを復建することです。私の国を思う気持ちがあってこのような演説をしているのであります。そして私の夢は皆様方の応援、愛国心があってこそ成り立つもの。皆様、次の地方議会選挙には是非、このエルネストを……」


「……。『持つ者』のみの体内に宿る、魔力を溜め込む臓器だ。位置としては肺と心臓、肝臓のスペースに割り込む形で居る。お前さんは学生ゆえ、『持つ者』についての情報は伏せられているようだからな」


 また心の内を読まれた。


「しかし、たかが地方議会選挙の為にこんな大風呂敷クソデカいマニフェストを広げやがって。地方議員が掲げていいマニフェストの規模じゃないだろうが。せいぜい国会議員が――いや、今は国会とは呼ばないんだったか?」


 横でブツブツと独り言を並べる中年。『アンタ、何者?』という疑問には、後にも先にも一切読心して答えてくれないだろうな、そんな気がした。


「ライサルトの浄化を謳ってはいるが、やれやれ、ここの連中は人の話も理解できんらしいな。あの中にも、『持たざる者』でありながら魔力に恵まれたヤツは居るだろうに。あの野郎、自分の才覚の恨み辛みを国家洗浄にくくりつけやがって、何が愛国心だ」


 たぶんこの中年に言わせれば、私も人の話が聞けない側に居るらしい。何となく聞いていたせいで、結局主張したいことが何か分からなくなってしまっていた。ただ、横の中年の独り言を聞く限り、ひた隠しにされた悪意を向けられていることは曖昧であれど理解できた。少なくとも、いい気はしない。


「……だから言っただろう、お前さんには刺激が強いと」

「いい加減心読むのやめて」

「やめろと言われても俺にはどうしようもできない。全部見透かせちまうんだ。こんな人形みたいな奴等しかいないところにいちゃあな」

「……いつからここに?」

「ここが出来てからだ。年の功もあるだろうがな」


 十年余りと元の年齢のプラスアルファの代償が心を読むだけだったら、私は歳なんか一切とりたくないなと思ったとき、憤りが限界に達したらしい中年は選挙カーに向かって歩を進め始めた。懐からサイズの小さめな拡声器を取り出して、電池が挿入されているか確かめている。


「……ねぇ、何する気?」


 中年は振り向いて、隈と青髯が濃く残っている猿顔を向けて不敵な笑みを浮かべ、言った。


「毒を制するには毒をぶつけるしかない。運がいいことに、俺は毒使いだ」

「待って待って待って、話の意図が分からないんだけど……」



 

「何が愛国心だ馬鹿野郎! 国家の浄化という耳に心地よい言葉を並べておいて、結局お前が語っているのは自分の能力不足、異常者集団と罵っている奴等より劣っていることへの恨み辛み! 囲んでいる奴等も馬鹿だ、皆馬鹿たれだ! 気づいてないようだからわざわざ俺が言ってやるが、この胡散臭いスーツの野郎はただ自分が優遇されないことに腹が立っているだけだ! お前らは馬鹿に利用されている馬鹿者なんだ! いい加減気づけ!」


 私が言葉を続けようとしたときには、中年は拡声器のスイッチを入れていたようで、ガサガサの最悪な音質で、選挙カーを取り囲む人間に訴えていた。予想外の乱入者に、周囲はどよめきを起こしている。


「だいたい、地方議員がどの面下げて大口叩いてるんだ! 国軍の要と後ろ盾の大本営が、ただの地方議員にへーこらゴマ擦って、特殊兵装科を廃止する法案に判を押すわけがないだろうが!」


 選挙カーの上の議員・エルネストという男は頭を抱え、拡声器のマイクを挟んで中年に言い返した。


「……どの党からの刺客ですか? まぁ――風貌からして、まともな所在ではないでしょうね。皆様、お見苦しい所を見せてしまい、申し訳ありません。この男は即刻何処かへ追いやりますので……」

「まともじゃない演説にまともな刺客が来るわけないだろう。お前のような演説、聞くだけ毒だ、毒電波。客観的評価の出来ない人間がよく選挙カーに堂々と乗り込めたものだ」

「……はぁ。法律で、演説の妨害は懲役――」

「ほぉ、言ってみろ。法律の種類、成立年公布年、法令番号まで。その話を持ち出すということは、きちんと頭に入っているのだろうな?」

「……」

「ほらみろ、お前はのっけから国のためになんて考えちゃいないのさ。……お前ら、耳貸すのも人を選べ。とっとと帰って、糞して寝ろ! 以上!」


 そう中年が言い放つと、民衆はつまらなさそうにその場を後にした。残っているのは下を向いている地方議員と、まだその場に残ろうとする民衆に暴言を吐いて追いやろうとする中年だけだった。

 ようやく人が居なくなって、中年は拡声器を懐にしまって去ろうとした。


「……貴様」

「あ?」

「……貴様! 戯言を垂れるのも大概にしろ!」


 選挙カーから飛び降りたエルネストは中年に殴りかかった。ついさっきまで、どうなることやらと遠目から見ていた私だったが、この光景を見たときは考えるより身体が先に動いた。


「……私は、間違ってなどいない……! 貴様のような、悪銭稼ぎの左翼連中には分からないだろうがな……! 私が馬鹿だと? ふざけるな! 私のような首長がネメシスに居るからこそ、ネメシスの全てが円滑に稼働するのだ……、しかたなく貴様みたいな人間も保護しているが、私の意志で左翼をこの空中都市から突き落とすこともわけないのだぞ! それを貴様は理解して……」


 怒りに身を任せて強い言葉を吐いていたエルネストも、中年のギラついた目を見て気づいたようだ。私はエルネストの両腕をぐっと握る。エルネストが戸惑ってバランスを崩し、倒れ込もうとするのには気にも留めず、膝を突くエルネストと直立する私の身長差を生かして、両手を挙げさせた。


「な……何だお前は」

「特殊兵装科一年生。それ以上はプライバシーに関わるから言えない」

「拘束を解けと言っているんだ。君に危害を加えてはいないだろう」


 掴んでいる腕を強く握る。ここであの時みたいな馬鹿力が出ればよかったのに、エルネストは痛がるそぶりすら見せなかった。

 

「名誉毀損は危害になり得ると思うが?」


 中年が吐き捨てた。

 

「ははっ……そうか、ハナからグルだったわけか。兵装科の来ないオリエンテーション前の時期を見繕っていたんだが、まさか特殊学科の連中が突っかかってくるとは」

「そこの人に殴りかかろうとしたから。それに、嫌な気持ちになったから止めただけ」

「随分と強いお嬢様だ。――悪かった、特殊兵装科を侮蔑する発言をしたのは謝罪する。君の名誉に関わることだからね」


 やたらとあっさりした謝罪だった。抵抗しないという点でも、謝罪の念が見えないという点でも。

 この後、何かしら起きるだろうなという考え自体はありながらも、どうなるか想像がつかなかった。この男が何を遺していくつもりなのか。私は依然としてエルネストの両腕をがっしり掴みながら、思考を巡らせていた。


「だが……私の喋っていることも、全てが間違いではない。そうだろう?」

「……何が?」

「現在のライサルトが腐っているという話さ。選挙カーを走らせ公約を語れば、こうして邪魔が入る始末。この国は狂っているよ。だから変えていかなくてはならない。君にもそれは理解できるはずだ」


 エルネストはそう言ってへらへらと笑っている。不意打ちに面食らっていた中年もようやく動き出し、エルネストを睨み付けている。


「私だって、ホントはこんなことしたくないさ。わざわざ選挙カーに乗って御託を並べる暇があったら、他のことに時間を使った方がいい。だが、こうした方が皆喜ぶんだ。こぞって票を入れに来るんだ、仕方ないだろう」

「そんなの……ただ媚びてるだけじゃない!」

「媚びなきゃ上には立てない。大人になるというのはそういうことさ。ここで言うのもなんだが、私はネメシスの民衆共に迎合する気持ちはさらさらない。選挙カーの後部座席にパンフレットが積んである。それを読めば、私がどういう思いで、どういうネメシスを造り上げたかったのか分かるはずだ。さぁ、拘束を解いてくれ。パンフが取り出せないだろう」


 拍子抜けした。エルネストは暴れることもなく、泣き落としに掛かるわけでも、脅迫文をつらつら並べ立てることもしなかった。ただ、静かに自身の理念を語っただけだった。

 私は手を離し、エルネストの背後へ着いた。この人はこの人なりに、ネメシスを、ライサルトを改善したかったのだろう。それが、置かれた環境によって板挟みになって、このようなことをせざるを得なくなっただけで。ようやく知ることができる、そう思った。


「すまないが、ドアを開けてもらえるかな? 君に掴まれたせいで、腕が痛むんだ」


 何も言わず、後部座席のドアを開け――。


「そこから離れろ!」


「私の思いは――」


 後部座席に乗っていたのは、パンフレットではなかった。

 赤、青、黄色。様々な配色の配線が繋がれ、中央部には赤いLEDライトの60進法タイマーが――。

 

 

 

 

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