終幕
僕は二階の自分の部屋で一人、カタカタとノートパソコンのキーを叩いていた。
書きたいことを書きたいだけ書くなんて土台無理な話なのだと思う。それは時間だったり、言いたいことだったり、人によっては評価だったり。そういう色々が筆を重くする。
何度も書き直しては、次の項へ移って。書き終わったらまた戻って。書き足したり、消したりして。最初から通しで読んでみて、ああここが足りないな言い方が上手くないなと、繰り返し続ければ終わりなんて無くなってしまう。際限なんてなく書いてしまう人っていうのは僕以外にも居るんじゃないかな。
あれから、多くの事が静かに変わってしまった。
父や母と共にする食卓や、居間はなんとなく空気が重く誰しもが何か言おうとして自ら誰に言われた訳でもなく口を閉ざしている。
二人が夜に、密やかに話しているのを知っている。
僕のことを話しているのを知っている。引越ししたほうが僕の為なんじゃないか、とか。もう直ぐに卒業式なのだから最後まで此処で、とか。その全てが僕の為の言葉だった。
そうして話し合って、最後には静かに泣くのだ。僕は、それを知っている。
この家には、悲しみが同居しているようだった。
でも、きっと深山家に比べればなんということはない無いのだろう。
人の悲しみと、自分の悲しみを比べるなんて間違ったことだ。感情に貴賓なんて在るべきでは無いし、等しく……等しく、無為だ。そうあるべきだ。
深雪を失って、深山家を覆う暗雲のような苦しみや悲しみは、彼らに実家へと帰ることを決めさせるに至ったと知ったのは昨日のことだ。
家に居たら、深雪との思い出に潰されてしまうと思ったんだろうな。深雪の部屋は当然として、玄関も、廊下も、居間も、あの家全てに深雪が染み付いている。深雪を忘れることなんて出来るはずがないが、きっとあの家で暮らし続けることは常に傷口を晒すようなものなんだ。
あの家の食卓の四脚あった椅子は今ではもう埋まることもないだろう。
葬儀が終わってから、僕は一度も深山家の人と顔を合わせていない。互いに、大きな隔たりを感じてしまった。本当は、大きな声で詰りたかったことだろう。それを、深雪の為に、全てを受け入れて、僕に有難うなんて言ったのだと思う。その手前、余計なことを言わないように口を開かないということを選んだのだと思う。
それでも、外は新年を祝う、少し浮かれたような気分で満ちている。
そんな世界で、この両隣の一軒家だけが喪に服している。
見たくなかったから、新聞も、テレビも、ネットも、報道をしそうな類のものを僕は一度だって目にしないようにしている。
当事者でも無い人たちの、事務的に書かれた深山深雪を見たくなかった。絵空事のように思われたくなかった。見流してしまう、紙面の隅っこに載った悲しい事件なんて書かれたくなかった。一度二度、報道したらもう翌日には誰しも口にしなくなる……そんな風に言われたくなかった。軽く纏められて続きは登録をなんて文字に閉じられて、スワイプされて消えていくような扱いをして欲しくなかった。
そんなのは余りに酷いことだ。苦しいことだ。悲しいことだ。何もかもが、軽視しているように感じられてしまう。世界にとって、瑣末なことで地球は周り続けている……当たり前のことだ。その当たり前を、見てしまえば許せなくなりそうだった。
僕にとっては深雪は実在して、心にも、一緒に歩いた道路にも、この街で過ごした全てが彼女を確かに感じさせるのだ。だから、だからそういうものを見たくなんてなかった。聞きたくもなかった。わけ知り顔で話されたくなかった。
話の種に、ちょっとした小遣い稼ぎに、注目を引く為に。そんな風に人の死を利用なんてして欲しくなかった。それを書くお前達は何者なんだ? 一体なんの権利があって、面白可笑しく、興味を惹くように、金稼ぎの道具に使うんだ? 死体を冒涜するようなことだ。
だから、僕には声を大にして彼らを非難することは出来ないと思った。どんな理由であれ、どんな思いであれ、僕もまた冒涜したのだ。
ああ、それでも言いたい。書くのなら、その心をみてくれよ。美しくても、気高くても、浅ましくても、醜悪でも、分け隔てなく当事者の叫びを書き出してくれよ。まつわる、その全てを知ってくれよと思う。
一日に数えきれない程の人が亡くなって、それより多くの人が悲しんで。それでもこの世界は成り立っていて。なんと歪なんだろう。そんな思いを胸に生きて、多くの別れを無理やりに押し付けられて歩かねばならない理由がどれほどあるのか僕には分からない。
ずっと、ずっと考えていた。
深雪を失って、掛け替えのない愛する人を失ってしまって。欠けてしまえば、もう終わりなのだ。若いからなんて言葉で片付く情動じゃない。何歳になろうとも、深く心の中に沈み続ける大きな後悔と悔恨は決して消えるものか。
もし、それが消えるとすれば僕が僕じゃなくなった時だ。
そんなものに成り下がるくらいなら死んだほうが遥かにマシだった。それが尊厳というものだ。
タイピングを止めて、肩を回す。もう直に晩御飯の時間だ。
食べ終わったらもう一回だけ見返して。それで、終わりにしようと思う。
結局、僕の考えも思いも、どうしたって深雪を想い続けてしまうのだ。何をするにしても、深雪は付いて回る。書けばいつまでも書けてしまうから。明日までに、と決めていた。
明日はもう、始業式だ。
どれだけの人が知っているだろう? 誰も知らないだろうか。始業式で大々的に言うだろうか。それとも、教室で担任が口にするのだろうか?
床に置いた鞄。
壁に掛けられた制服。
そういった一つ一つが日常は続いていくのだと僕に言い聞かせるようで少し嫌だった。
椅子から立ち上がって、制服に触る。いつだって、深雪と一緒に登校した。それも明日からは違うのだ。
碌に使いもしない姿見が目に入った。陰気な顔だ。目の下のクマが、少し目立つ。
「暗い顔ばっかりしてると幸せが逃げちゃうよ」
ああ、深雪ならきっとそう言うだろうな。
「電車の時間ちゃんと調べなね。私は調べられないんだから」
「……ああ、分かってるよ。分かってる。」
深雪なら、きっとそう言う。
部屋の外から、晩御飯を告げる母の声が聞こえる。耳元で「呼んでるよ」という声が聞こえる。
僕は、曖昧にうんと答えてパソコンをスリープモードにして部屋を出た。
何をするにしても、付いて回るのだ。憑いて、回るのだ。
すっかり僕は
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