第五話 生者(3)
夢であっても、夢だからこそ、自分を許せない。自分に唯々甘美なだけの夢……。
罰を欲するくせに、救いも欲している。
その有り様が自分をひどく貶める。
なんて、惨めなんだろう。なんて救いがないのだろう。
全部だ。深雪の死も何もかもが一切合切、全てのことが自分のせいだ。寒さに震えるのも、苦しくなるのも、辛くなるのも悲しくなるのも、昨日から今に至るまで誰一人僕を責めた人なんて居ない。それはそうで、まだ深雪の死は誰も知らない。僕とあの男だけが知っている。不愉快で吐き気を伴うような秘密は未だ暴かれていない。
責めるのも、詰るのも全部が自分なのだ。逃げ場なんてない。逃げるつもりもない、挫けてしまって死んだらいいのにと思う心と、死なない理由を探す心は同居して、僕を只管に掻き乱し続ける。
「ねえ、早くこっち来なよー」
体も、心も休まらない。ただ擦り減っていくばかりだ。当たり前だ。
僕自身が、なにより僕を許さない。責められることで救われるなんて笑えてしまう。裁かれたら罪が無くなるのか? 無くならないに決まってる。言った方と、後悔に思っている言われた方の心の蟠りが多少解けるだけだ。鬱憤が晴らされるそれだけだ。
のうのうと生き続けるなんて、許されない。なんで? 深雪が死んでいるから。その死を防げなかったから許されてはいけない。お前のせいじゃないなんて言うな。お前はよくやったなんて言われていいわけがない……。
死体を、連れ去った。どうして? 連れて行きたかった。あんなところに、ゴミのように野晒しにされるなんて、堪らなく嫌だった。朝靄の中、雪の衣装を纏った深雪を誰かが見つけなくて良かったと思う。だから、家まで連れてきたのは正しかった。心に従した。
だけど心の片隅で、夏場じゃなくて良かったなんて考えたのではないか? 腐ったりしたら大変だなんて、物のように考えたりはしなかったか? こと賢しらに必要なことだからと考えはしなかったか? そうしなければならないモノなのだと。
お前は、人を物だと思うような人間なんだ。
死んだくらいで、深雪を深雪でないかのように扱える男なのだ。魂が、心が深雪なんだと言うつもりか? 言えるものか。もしそうなら残った体をただの肉塊なんだと言えるなら、こんなに苦しむものか……。
「先に行っちゃうぞ? いいのかー!」
怒ったように威嚇のつもりだろうか深雪は腕を振り上げてみせる。行けるわけがない。もう、愛した君が居ないように、愛された僕ももう居ない。それに気付いた。
君は変わらず好きだというかもしれない。真実、そうなのかもしれない。でもそれはもう知ることが出来ない話だ。
昨日の夜から今に至る全てが雨となって僕を撃つのだ。底冷えする冷たさが、心に容赦なく吹き荒れる雨が決して止まない。
自分の、本来なら知らずにいれた本性とか在り方が風雨に晒されて醜く露出していく。してしまった。
自分の知らない、自分の心が目の前に横たわって僕を見ているのだ。思わず目を背けてしまうような醜悪さを、深雪を盾にして直視せずにいようとしている。
削ぎ落とされたのだ。深雪の死が、僕の優しさとか敬虔さとかそういうものを全て一緒に無くしてしまったんだ。
思えば、泣いて叫んで、辛くて悲しくて苦しみのあまり嗚咽を漏らして。それなのに僕はずっと、ずっとずっとずっとずっと! 考えていた! 深雪の体を運んで、傷まないようにと雪風に晒して。挙句、バレないようにと嘘まで吐いた! 近いうちにバレるだろうなんて考えるのは、今はまだバレないだろうと口にするのと同じだと僕は目を逸らして!
……気が触れてしまうほどに苦しいなんて考えるのは、気が触れるほどに苦しんでないから言えるんだ。
寒さが心を蝕むなんて騙って、自分さえ騙して浅ましい本性を自分自身から隠していて。形ばかりの言葉じゃない。僕は、きっと。いや、疑うことなくひとでなしだ。
人間の皮を被った、浅ましい獣だ。
まともな人間は、愛する人を失ったら文字に起こすものかよ。忘れないように? 忘れる程度の思いだったのか?
まさか、これを、このことを言葉じゃない、文字じゃない、単語じゃない。文として、段落として。体裁を整えて、人前に晒すのか?
愛する人の死を、読み物にしようなんて考えていたのか僕よ! キーを打ちながら、この悲劇をエンターテイメントとして晒し者にしようとしているのだ!
酷い冗談だ。酷い話だ、が思ってもないことは口にできやしないのだ。だから、心の片隅で厚かましく浅ましく、視野に入れていたのだ。自伝のようなものはウケるんじゃないかなんて。
笑えてくる。なんて、醜い思想なんだろう! これが物語だと言うなら、悲劇だろうか? それとも、彼女の死を真剣に受け止めようとして結局は自分ことばかり考える男の滑稽さを笑う喜劇だったりするのだろうか?
全部、身から出たものだ。全てこの心が吐き出した思い出、偽りもしない本心で。そりゃあ、大なり小なり思いの強さは違うだろう。だけど、思ったことは変わらない。
君の好きだった僕は、君が死んだあの時にもう死んでいたんだ。
君が生涯を共にしたいと望まれた僕は、深雪と共に行ってしまった。逝ってしまったのだ。
「本当に、行っちゃうからね!」
そう口にして、歩いていく深雪の背をじっと見つめる。涙はもう乾いていた。夢の中でも痛むもんなんだな。擦りすぎた目の周りはヒリヒリとする。
これが最後の機会だろう。偽物でも、夢でもなんでもいい。かつての僕として深雪を見送れるのはきっとこれが最後だ。心が定まっていく気がする。
悩みとか決心が、バラバラだったパズルを埋めるように埋まっていく気がするのだ。
深雪の背が見えなくなっても、僕は改札から出ずにずっと立ち尽くしていた。目が醒めるその時まで、ずっと深雪を想っていた。
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