第四話 鏤骨(2)

「深雪、僕は……」

 そう口を開いてみたものの、言うべき言葉が見つからなくて何も言えず噤んでしまった。

 好きだ。そう好きなのだ。ずっと一緒に居てこれから先も、それって惰性なんじゃないか? なんとなくそう考えていたのがその証左なのだろう。そんなことを妄想の深雪に詰られる。ああ、なんと僕は女々しいんだろう。


 頭が熱に茹って寒さに当てられて、表面上で思考がただ滑っていって考えているフリをしているんだ。反射で言葉が出ているだけなのかもしれないぞ。

 そんなことを諭されるなんて余りにも情けないことだ。


 背を向ける深雪は寝てしまったのか、動かない。僕の頭の中にしか居ない癖に随分と呑気なものだ。さっきは、私の存在を疑っているんだなんて凄んできたけど、結局のところ僕がお前は深雪だと認めなければ妄想の深雪でさえない。見てくれだけ似せた何かに過ぎないんだ。


 極端な話、僕にとって深雪がどうとか関係のない話なんだ。全くもって関係がないのだ。僕から深雪が永遠に損なわれて、自分がどうしたいのか、ただそこに終始しているんだな。


 親しい人を失って悲嘆に暮れる人々が、故人と向き合うというのは、故人を思う自分の在り方というものを確定させることなんだろうな。

 周りとか、故人とかそういうものは一切関係なく、それをどう噛み締め消化できるか、自分と向き合い続けることなんだ。自分の心に大きく空いてしまったような気になっている空洞を、別の何かで塞ぐかそのままの自分を認めることが死を受け止めるということなんじゃないかな。


 まだ十八しか生きていない僕は、この先の人生で他の人と結婚したりするんだろうな。その相手を、相手として愛せず深雪として愛さないように、ちゃんと死を受け止めないといけない。


 この先の人生ねえ。愛していて確かに苦しんで、今だって薬のお陰で幾らかマシだけれど苦しい思いをして、僕なりの方法で深雪に向き合おうとしているだろう? 苛烈なほど、情熱的に愛していたのならもう深雪の横で冷たくなって死んでみたりするべきだったのかもしれないな。


 だって、それって傍から見たら美しいんじゃないかね。犯され死んだ彼女を悼み、痛み続ける心に堪えれなくて、身体中の水分が全部無くなるほどに泣きじゃくって、これから先の深雪の居ない世界を儚んで、そんな世界には生きていけないのだ! などと叫びを上げて、深雪と手を繋いで死ぬのだ。


 あることないこと書かれるんだろうなあ。年越しにて悲恋のカップル! なんて銘打たれたりするのかな。レンタルショップに返しにいく際に襲われ、殺された彼女を抱きしめ、堪えれずに命を絶った彼氏。中々にセンセーショナルなニュースなんじゃないかな。


 荒んでいるなあ! こう、咎めるように皮肉ともつかない言葉を考え出すのは良くない兆候だ。まあ、死んだ深雪が僕の前に寝転んで居るんだから良いわけはないんだけどね。

 なんだろうな。ふわふわとした感覚が掴んで離さないんだ。この頭の中に詰まっているのが綿かなにか、そういうものに詰め替えられたんじゃないかと疑ってしまうね。


 病状の悪化かな? もしかすると、心の限界かもしれないね。気が狂ってしまったんだ! ははは! それなら僕は真っ当に人間として傷つく心を持っていたってわけだ!

 薬かな? 頓服だと思ったけど、何か違う薬で合わせて飲んだことで妄想を見るまでの奇妙な効果を持ったのかもしれない。愉快なことじゃないか! 故人を失って嘆き悲しんでいる人にお勧めして回ってみようかな。

 正に死の商人じゃないか。死んだ愛する人に会えるなんて触れ込みで薬を飲すのだ。そうすると、うやむやと愛する人が現れて目の前で寝転がるのだ! 死人が立ち上がり目の前に! 会話も出来るんだから良いことじゃないか。皆んな、自分の心に囚われて対外的なものを全部置き去りにして内に篭ってしまえ!

 僕以外にも、こんな思いをすればいいのだ! 狂ってしまえマトモでなんか居られやしない! 居るのならそいつこそが異常者なのだ!


 くつくつと笑い声を漏らしながら、いつの間にか右目から涙が流れていることに気づいた。頬を伝ってキーを叩く手にぽたぽたと落ちるのが妙に楽しい。左目はうんともすんとも言わないのに、右目からぽとりぽとりと涙が流れては弾けてく。

 まるで、出来の悪いピエロじゃないか。化粧入らずで、即採用かもしれないね。なあんにも芸は出来ないわけだけど。

 いや、なんでもは言い過ぎた。バルーンアートくらいなら覚えてる。楽しげに作れるかはともかくね、子供の頃に深雪を喜ばせたくてよく作っていた。兎に犬に……。


 凄くふらふらする。キーを叩く指は健在で、軽快に叩いているのに、頭がぼんやりとして、ああ眠いのかな? ちゃんと寝れてないもんなあ。

 深雪……ごめんなぁ僕がしっかりしていれば……ちゃんと一緒に居れば……一緒に死んでしまえれば……僕には、なんにも出来やしない……。



 眠りから醒めて、僕はガンガンと痛む頭に眉根を寄せてぐぐっと伸びをする。肩が酷く痛むのは変な姿勢で寝たからか。

 外が余程寒いのか、エアコンのごうごうという音がやけに耳朶を打つ。

 暗い。随分と寝入ってしまっていたらしい。日が沈むのは随分早くなったとは言え、結構な時間が経っているんだろうなとぼんやりと思う。


 横を見れば、深雪の姿は何処にも無かった。最初から誰もいなかったように、僕は一人炬燵で寝ていて、エアコンの稼働する音と時計の時間を刻む音だけが静寂を支配ていて、少しだけホッとした。

 生きていなくてよかったと安堵したんだと気付いて、心が伽藍堂になってしまったように思えた。深雪が僕の全てでそれを損なったのだから、何もないのは当然なわけで。


 ——嗚呼、僕よいっそ死んでしまえばいいのに。

 暗闇に紛れて、このまま溶けてしまえればどれ程幸せだろう。

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