第四話 鏤骨(1)
その瞳から逃れるようにモニターに目線を逸らし、文字の上を滑らせる。書いてあるのは深雪のこと僕のこと。どこに出すでもない自分のために紡がれた言葉の数々だ。
「書くことで、何かあるの?」
「別にー。書いてたんでしょ。止めたくないだけだよ。私は君が書いている側でその姿を見ているのが好きだから」
内容が例え自分の死でもね。そう付け加えて深雪は肩肘を突いてモニターを眺めはじめた。
僕もまた、それを止めもせず読む深雪の姿を眺めた。僕の書いたものを読む彼女の姿を僕はいつも緊張と興味と何を口にするだろうという畏れを以って見守っていたのを思い出す。時折、鋭い指摘で言葉を口にする時があるから。有り難くもあり怖くもあった。
「なんか遺書みたいだね。凄く遠回りな心情の吐露っていうか」
何が面白かったのかくすくすと笑い声を上げる深雪を思わず訝しげに見ると「だってさ」と眦を擦りがら口をひらく。
「死んじゃったんだよ私。それなのに、遺書だなんて。私だってどうせなら用意したかったなあ。なんたって、打ち上げのあったその日の内だよ。私がその日、暴漢に犯されて殺されたなんて知ったらショックを受ける子も少なくないんじゃないかな? そういえば私って殺されてからお犯されたのかな? だとしたらとんだ異常者だね、死体愛好家ネクロフィリア屍姦症……怖いねえ」
やはり偽物なんだろうな。じゃなかったら深雪は壊れてしまったんだ。自分のことをこんなにけらけらと口にできる人間が居るものか。深雪の顔で深雪の声で、深雪が口にしないようなことを平然と宣って、幾らなんでも出来の悪い妄想だ。
それでも望むのであれば、書くべきだ。もし、僕の心から出たものなら深層心理的な何かしらの発露なんだろうな。熱に浮かされてそれが僕の前に出たんだ。また深雪と言葉を交わせるのに心が湧き立たないのは偽りであると理解してるからに他ならないんだろうな。
「なんか、そう疑わしげだと私も怒るよ? 私が私だって深山深雪だって自認しているのに、それを否定するような目で見るのは酷いことじゃないかな。誰だって私が私ですなんて、証明出来ないと思うんだよね。結局さー他人からも認められて私は私ですって確立されるんだよ。それを頭から否定するのは良くないと思うよ。君にしたって、君であるなんて証明を誰ができるのさ」
くだらないことばかり喚き立てるなと思う。まるで、思い出の中の深雪が穢されていくような気持ちになる。変なことを言わないでほしい。そこに居てもいいから、言わないでほしい。
自分の妄想の産物であるなら少しぐらい気を利かせてくれてもいいんじゃないか? もっと都合よく言葉を選んで僕に寄り添うべきなんじゃないか? 僕の心は僕を自罰しようと叫んでいるんだろうか。そうだろうな。それは、きっとそうだろう。やり方というのはもっとあったはずだと思わずにはいられないが、きっとそうなのだ。僕は僕を傷つけるために深雪を生み出したんだ。
生きているわけもない。生きているわけがない。死んでしまったのだ。その寒さを背負って感じたのだ。生者の温みなんて欠片もないただ凍てついた体を背負って僕はここに来た。
霊魂でさえない。そもそも、そういうのを信じる性質ではないけれど、幽霊とかそういったものであれば余りに目論見が不透明だ。取り憑き殺してやろうというのであれば随分と悠長に思える。最後に言葉を交わしたくてというものでもないだろう。
こう考えてみると、これは僕の頭から出てきたものに違いなかった。病魔に蝕まれ、寒さによる眠りの浅さ。そこに心労とかそういう精神的な疲弊が重なってまろび出たに違いない。
頭が冴えるような感じというのが証左だ。きっと心の防衛機構のようなものが警報を出して、一時的に生み出したもう一つの人格みたいなものがこの深雪なんだろう。これが現れたことで、心が多少は守られて多少の怜悧さを僕に与えているのだ。
パソコンに向き直り、何を書いていたか確認する。書くことで何があるんだろう? 会話をした方がいいんじゃないかという気もする。その方が深雪と向き合っていると思う。だけど、彼女は書くことを望んでいるように見えた。なら、書くべきなんだろう。二人のことを。どんな内容であれ贖罪に満ちたものであっても、どれほど愛していたかの吐露であっても。
「……実はさ。君を深雪と口にするのは躊躇っていたんだ。
だってそうだろう? 幽霊とかそういうのかも分からないし、妄想の産物、空想のお友達なんてことも考えられるじゃないか。だから、深雪であるなんて明瞭にするのは、少し躊躇われていたんだな。……君が息を吹き返していたらなんて考えもしたけど、それは余りにもナンセンスだ。そうだろう?
だけどまあ、口にするべきなんだろうな。君はきっと、僕の心が作り出した、自分と向き合うべきの手段なんだ。そんなものに、と思いこそしたけど否定するということがいけないのかもしれないだろう? そんなものだなんて思うべきじゃない。
僕が深雪だと感じているのなら君の言う通り、深雪と呼ぶべきなんだろうな」
キーボードに手を這わせカタカタとさせながら、思ったことを思いの儘に口にして深雪が何も言わないものだから顔を上げて、僕をじっと見据える深雪の能面のような顔と視線がぶつかった。まるで死化粧を施したように真白で、ああやはり生きてはいないんだろうなと確信させるような顔で、言いしれぬ怖さというか悍ましさを孕んだその顔は余りに綺麗だった。
「ふうん。なるほどね、そう考えてみたわけだ。まあいいんじゃないかな。とても君らしいと思う。君はそういう風に、上手いこと考えたように見せかけるのが上手だからね。私が死んだのに悲しみにも暮れてるように見えないし、一人でもきっとそうやって言い繕うように生きてくんだろうな」
その口から出される言葉のひとつひとつが凄まじい冷たさを伴って僕に投げかけられた。口を挟む隙も無かった。言葉の中に怒りと、悲しみの片鱗のようなものを錯覚したからだ。
「私はさ、そういうところが不安定に見えて一緒に居て支えていかなきゃなんて思っていたんだけど。君にとって私ってなんだったのかな? ふふ、面倒くさいこと言ってるねえ私。まあいいじゃん、死んじゃったんだし考えてみてよ」
そう口にして、深雪はごろりと僕に背を向けて寝転がった。
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