第9話

 車の排気音と共にジャズの大音量が聞こえてきた。Q教授の車である。車の後部座席に大きなスピーカーを2台積みいつも大音量でジャズを鳴らしながら走ってくる。エンジンの停止とともに音楽も止んだ。

 助手のK女史がすばやく助手席のドアを開けるとQ教授はステッキと共に車を降り、ムッシュに向かってピースサインを送る。コーヒーを2つということである。いつものテーブル席に座ると腕を組み何かを考えるような仕草で「うむ」と頷き女史に顎でしゃくった。

 彼女は教授の仕草をすぐに理解したらしくトランクからチェロを取り出した。

 どうやら今日は演奏を始めるようだ。

 教授は気分が乗ると突然チェロの演奏を始める。曲は決まってバッハの無伴奏チェロ組曲である。少しけだるい感じで始まるこの曲は徐々に高揚していって少し激しくなり、ふっと、終わる。ムッシュも大好きな曲である。

 いつもはパート1で演奏を終えるが今日はK女史もチェロを取り出し全曲の演奏に向かった。2人のコラボはすばらしく息もぴたりと合っていた。ムッシュは今日、教授の全演奏を初めて聞いた。魂が揺さぶられ鬼気迫る演奏だった。

後に聞いた話だが教授が全演奏をした日は奥様の1周忌だったそうだ。彼がいつも曲の後半を弾かなかったのは奥様のパートだったからだ。その日は1年のけじめを迎え奥様への手向けでK女史にも弾いてもらったそうだ。

 さて余韻に浸りながら居眠りでもしようか、ムッシュ。

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ムッシュの灯り 小深純平 @estate4086

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