第6話
記憶の玉は全て見終わった。私は走馬灯を映した精神の世界から切り離され、現実に引き戻される。
瞼が睡魔の重みで殆ど開かない。その上、体の末端はもちろん、足や腕の感覚も無くなっていた。頭がぼーっとする。私はウトウトと微睡みに沈もうとする。
低体温で眠くなっているのだろう。このまま眠れば、多分私は死ぬ。でも、これから生きるよりそっちの方が楽かもしれない。
そう思って、私はゆっくりと顔を自分の腕の中に埋めた。何故か雪を踏み分ける音が聞こえる。幻聴が始まったのだろうか。
(どうでもいいや)
ただひたすらに、眠い。おやすみなさい。理不尽な世界。不幸な私。
「……おい……起きろ……おい!」
どこか遠くから声が聞こえる。聞いたことあるような、ないような。
折角、人が深い眠りにつこうとしているのに、それを妨げるのは不愉快極まりない。
「おい!起きろってば!」
「……!?」
パシンと腕に痛みが走って、眠りの海に沈もうとしていた魂が嫌でも起こされた。その反動で、瞳は弾かれるように開く。今まで重かったのが、嘘のように。
誰かが、私の前に立っている。男子だった。彼の背景は未だに止まない雪景色。視界が霞んでよく顔が見えない。
「お前、大丈夫か?こんなところで眠ったりしたら死ぬぞ」
だんだん、視界がはっきりしてくる。
「だ、誰……?」
「誰って……俺だよ、
古谷」
私の目を覗き込んできたその人の顔が、ようやく、くっきりとした。整った顔立ちに、眉が少しだけ吊り上がっている表情。
走馬灯で見た、古谷くんだった。
「なん、で……」
訳が分からなかった。古谷くんがきたことも、ここに私がいると気づいたことも、彼が怒っていることも。
「なんでって、心配したからに決まってるだろ?」
「心配?私を?」
「お前以外に誰を心配するんだよ」
乱暴な口調に、私は少し驚いた。けど、すぐに思い出す。
そうだ、彼は、こんな性格だった。口は悪いし、愛想もあんまりない。なのに上手いイラストとか描けちゃうから、そのギャップが激しいんだっけ。
そんな、すごい才能を持っている彼は、ため息をこぼしてからスッと私に向けて腕を伸ばした。
「取り敢えず、戻ろう。先生たちも心配して、お前のこと探してるし」
「……やだ」
「えっ?」
「戻りたく、ない……」
古谷くんが差し出してきた手を取らず、私は俯く。吹雪が強くなる。空洞に雪が入り込んで、さらに温度を下げた。
「きっと、みんな私のことなんか要らないって思ってる。邪魔だって思ってる」
私を嗤うクラスメートの顔が脳裏に浮かんだ。燃えるように目頭だけが熱くなる。まるで、体の温度が全てそこに集まったみたい。
「みんなみんな、私を嗤う。全部、全部全部、私が悪いんだ。こんなダメな私だから」
じわっと浮かんだ涙は、限界まで溜まると地面に溢れた。ポタリ、ポタリとどんどん流れ落ちていく。
「私なんか、特技もないし、役にも立たないし、居ても意味がないんだよ。だったら……」
だったら、もう、いっそ。
「このまま、死んだ方が……」
「そんなわけあるか!」
唐突に、古谷くんが声を荒げた。予想しなかった反応に、私は弾かれたように顔を上げる。
そこには、怒りに燃える彼がいた。完全に怒っている。
「死んだ方がいい人間なんていないんだよ!自分の命を一時的な感情に任せて終わらせようとするな!」
古谷くんの瞳は真剣だった。感情任せに怒っているんじゃなくて、ちゃんと私を捉えていた。それが、不思議で堪らなかった。
「世の中には、生きたくても生きられない人だって大勢いるんだよ!なのにお前は!何不自由なく生きていられるのにその命を失おうとして!」
「で、でも!邪魔な奴なら、いないほうがいいじゃん!」
気がつけば、言い返していた。だって、いくら生きれるからって、誰からも必要とされていないなら死んでるのと同じだから。
この気持ちをわかって欲しい。考えを理解して欲しい。だけど、古谷くんは目を吊り上げたままだった。
「なんでお前は、自分が邪魔な奴だと思うんだ?」
「だ、だって、私のことなんかみんな嫌っているし……」
「そんなの誰が決めた?いつ聞いた?」
「聞いてないけど、なんとなくそうなのかなって……」
私の答えに、彼は呆れたように肩をすくめた。
「なら、それはお前の思い込みだ」
「思い込み……?」
「ああ。周りの人間は、そう思ってなんかいないよ」
「えっ……」
本当にそうか、と彼の言葉に疑いが募る。だけど、振り返ってみて、それが正しいことに気づく。
確かに、数人には嫌われていても、みんなから嫌いだって言われたことはない。じゃあ、これは私が勝手に信じ込んでいた偽りだろうか。
「それに、お前はダメな奴じゃないだろう?」
「えっ……」
「お前にはいいところ、いっぱいあるじゃん」
古谷くんは、今までとは打って変わって、優しい目で語りかけてきた。
「私にいいところ?そんなの、ないよ」
「いや、自分が気づいていないだけで、たくさんあるんだよ」
そうだな、例えば……と、彼は考えたのちに言う。
「優しいし、他人思いだし、いつだって周りを考えて行動するだろう」
「そうなの、かな?」
言われても、いまいち分からなかった。他人のため?周りを考える?そんなの、気にしたことない。
間違いじゃないか、なんて思ったけど、古谷くんは「そうなんだ」と言い切る。
「そもそも、自分を責めるのだって、他人に罪を着せたくないからだろう?自ら責任を負うことで、他人に乗っかる重りを軽くする。そうじゃないのか?」
「……」
尋ねられても、返答に困るだけだった。だって、彼の指摘は私に全く心当たりがないから。
黙り込む私に、彼はさらに続けた。
「それに、自分を責めるってことは、ようは優しいんだよ。自己中心的な人はなんでも他人のせいにしたがる。だけどお前は違う。いつだって自分のせいにするんだ。お前は広い心を持っているんだよ」
「そうなの、かなぁ……?」
「絶対そうだ。少なくとも、俺はそう思う」
「そっか……」
「な、いいところあっただろ?」
「……うん」
古谷くんは、私に笑いかけた。それは、普段見慣れている馬鹿にしたものじゃなくて、優しくて、温かいものだった。
気がつけば涙は止まっていて、体が少しだけ、体温を取り戻している。外の雪も止んできた。
「いいか。お前は自分でなんでも抱え込みすぎだ。それに、自虐的に考えすぎている」
「そうなの……?」
「そうだろ。だから自分が悪いだなんて思うな。お前は正しい。お前には、いいところがいっぱいあるんだから」
ニカッと笑って、古谷くんは立ち上がる。きっと、学校に戻るんだ。
不意に、私も一緒に行きたいと思った。けど、足が動かない。まだ、覚悟ができていない。
「でも、周りはみんな、敵だらけ。いくら、私にいいところがあっても、認めてくれる人がいなかったら意味がないよ」
「それなら、俺が認めるよ」
古谷くんは言った。彼の瞳に、曇りは一切ない。真剣な眼差しに、私の心はドクンと高鳴る。
「俺はお前の味方だ。誰がなんと言おうと、俺はお前が守る。だから」
古谷くんは頭を掻いてから、再び私を見た。
「お前も、自分を信じろ」
ドクン、ドクン。胸が、心が熱い。彼の言葉に、凍りつきそうだった心臓がまた熱を帯びた気がした。
この人なら、信じていいかもしれない、と。この人なら、私を守ってくれる、と。
「うん、分かった。自分を、信じてみる」
私は笑った。きっと、こんなにも心から笑ったのは久しぶりだろう。
私の笑顔を見た古谷くんも、柔らかい笑みを浮かべる。そして、再度私に手を差し出した。
今度は、その手をしっかりと取る。暖かくて、大きくて、頼り甲斐のある手だった。
古谷くんに引かれて、私はとうとう空洞から出た。もう、吹雪は終わった。空も晴れに向かっている。地面が一面、真っ白で宝石みたいにキラキラと輝いていた。
これから私は、学校に戻る。そこには、怒っている先生がいるだろう。戻ってきたんだって嗤う女子がいるだろう。
なんだっていい。だって私には、認めてくれる人がいるから。私にいいところがあると言ってくれた人がいるから。
拝啓 自分が大嫌いな貴方へ 葉名月 乃夜 @noya7825
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