第5話
先ほどの記憶の玉は抹消されて、とうとう、あと残り一つになる。
残された最後の一個は、一体いつの記憶だろうか。これまでのを見る限り、またいじめの現場だろう、と私は予想する。
けれども、それとは裏腹に幸せな時の記憶だったらいいな、と密かに願った。
そこまで世界が優しくないことを、私は知っているのに。
「ねぇ、あいつの写真、暗く塗りつぶしちゃおうよ」
「あの写真……?ああ、この間の集合写真のこと?」
「そうそう」
「へぇー、いいんじゃない」
トイレから戻ってきたところで、ふと物騒なことが聞こえてくる。私は廊下で立ち止まったまま、動けなかった。棒立ちの状態で、教室の声を盗み聞く。
「ははっ、いいね。なんならこいつの机に落書きしちゃおうよ。使えなくなったら学校来ないでしょ」
「だったらいっそ、文房具とかも隠しちゃえば?あいつ、多分焦るよ」
「うわ、面白〜」
嬉々として話す女子たちの会話に、私は寒気がした。同時に、酸っぱいような苦いようなものが込み上げてくる。口元を抑えて、体を抱きしめた。
(平気、私は平気……)
自身に暗示をかけようと、何度も「平気」を呟いた。
けれども、彼女たちの声は容赦なく私の心を刺してくる。
「あいつってほんと邪魔だよね」
「それな。暗いし地味だし、それなのに先生からはやけに評価高くてさ」
「どーせ媚びってるんでしょ」
「確かにそうだねー。先生っていい子ぶる子が好きそうだし」
「ちょっとやめなよー」
どうせ全部、私を嘲ている。彼女たちの声が、ぐわんぐわんと頭の中に響いて気持ち悪い。吐き気がする。頭が痛い。
暗示は、全く効かない。
「ほんと、あいつ死なないかなあ」
「……っ!?」
それを聞いた瞬間、私は自分でも驚くほどの速さで廊下を駆けていた。疾風のような勢いで通り過ぎる私に目を見張る人々の間を走り抜いて、ひたすら校門を目指す。
居た堪れなかった。もう、我慢の限界に達してしまったのだ。クラスメートの悪意が溜まりに溜まって、受け皿から溢れる。
あそこにいたら、どんどん私という人格が壊されていく。他人によって自身の心が狂うのは、一番嫌だった。
走って走って、ただ何も考えずに道を進む。吹雪に晒されようが、雪に視界を奪われようが、不思議と足だけは動いた。
今日は数十年に一度の大雪。こんな悪天候の中を駆けるなんて、自殺行為だ。
なんて、もう自分自身が嗤えてきた。
全てがどうでもいい。私はもう疲れた。だから、終わりにしよう。
吹っ切れた心はとても軽かった。今なら、どこへでも行けそうだ。このまま、空にだって。
笑みを浮かべながら走る記憶を最後に、走馬灯は失せた。
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