自分の人生を振り返ると、愕然とします 我が人生の物語の、あらゆる場面において、いつも私は、取るに足らない脇役として登場をするのです

Q輔

第1話

 自分の人生を振り返ると、愕然とします。我が人生の物語の、あらゆる場面において、いつも私は、取るに足らない脇役として登場をするのです。

 

 息子の大学合格の報告をする為に、妻の実家に出向いた。と言っても、コロナ過で丸二年間顔を出せていなかったので、息子は既に二十歳になっている。義父と妻と息子と私の四人で、義父の家で出前のお寿司を囲んで、遅すぎる入学祝いだ。


 妻が、義父のグラスにビールを注ぐ。妻も義父も、お酒をこよなく愛している。私は、お酒が一滴も呑めないので、烏龍茶を飲む。いつものようにいつもの如く、妻の運転手要員である。ちなみに最近お酒を嗜むようになった息子も、すこぶるアルコールに強い。体質、容姿、頭の出来、何かと母方の血が濃い息子だ。


「お父さん、ワタシね、ある出版社から、自叙伝を出版することになったの」


「ほう、それは目出度い。流石はわしの娘だ。おのれの信念を貫き通し、自分の夢を追い続けた者だけが得られる特権だ。いいか、アキラ、お母さんをよく見習うのだぞ。お母さんのように、自分のやりたいことをやり続けるのだ。お前の人生の主役は、誰でもない、お前なのだ」


 妻と義父が、互いに酒を酌み交わし、上機嫌で話している。息子のアキラが、時々愛想よく相槌を打ちながら、でもどこか醒めた様子で、くぴくぴとビールグラスを傾けている。


 お前の人生の主役は、誰でもない、お前なのだ。まったく義父の言う通りだ。我が人生の主役は、自分であるべき。だって、我が人生なのだから。自己中心の物語でなければおかしい。重ねて、我が人生なのだから。

 それが、どれだけ陳腐で、月並みで、つまらない代物であっても、我が人生の主役は、どう考えても自分であるべきだ。ぶっちゃけ、物語なんて、どうにでも都合よく作り変えればよい。過去なんてものは、どこまで行っても過去なのだから。あくまでおぼろげな脳内の記憶なのだから。


 でも、どういう訳か、私は主役になれない。無理なのだ。何度振り返っても、いかに振り返っても、我が人生の物語の、あらゆる場面において、いつも私は、取るに足らない脇役として登場をしてしまう。私の人生には、いつだって誰かしらの輝かしい主役がいた。私は、そんな主演男優や主演女優を引き立てる、バイプレイヤーとして生きて来た。


 思えば、幼い頃からそうだった。取り立てた印象のない、平凡を絵にかいたような子供。ハンサムでも不細工でもない、まるで特徴のない顔立ち。学力は、良くもなく悪くもなく。性格は、可もなく不可もなく。中肉中背。運動会のかけっこは、小・中・高といつも三位。演劇会の役は、村人A、森のタヌキB、王様の家来C、等々。


 優等生やスポーツマンを羨み、同じく、劣等生や運動音痴を羨んだ。上であれ、下であれ、周囲からはみ出た何かを持つ者に憧れた。近道であれ、遠回りであれ、あえて本道から外れ、果敢に横道に逸れて行く者に、多大な憧れを抱いた。彼らには、物語の主役を演じる才能が、有り余る程あった。私は、そんな彼らを尊敬の眼差しで眺める、ただの脇役だったのだ。


 それなりの大学を卒業して、まあまあの企業に就職をした。その頃、共通の知人の紹介で妻と出逢った。妻は、当時から独立起業をしており、インターネットを活用してアクセサリーや雑貨の販売をしていた。女性誌で妻の記事を頻繁に見かけたり、彼女のブログが書籍として出版されたり、その方面では、かなり有名な女性だった。数年の交際の後、彼女から「あなたは、ワタシの人生の邪魔をしなさそうな、素敵な人」という意味合いのプロポーズを受け、私と妻は結婚をした。


 妻の両親は、妻が幼い時に離婚をしており、妻は、義父に男手一つで育てられた。義父は全共闘世代で、かつて学生運動の中核にいた人物だった。一九六九年の東大安田講堂事件において、実際に安田講堂の占拠に参加しており、上部階から火炎瓶やホームベース大の敷石を機動隊員に向けて投げていたらしい。その後も、自営業の傍ら、活動家として社会に一石を投じ続け、今は年金暮らしで、悠々自適な晩年を迎えている。


 結婚して三年後に息子が生まれた。アキラは、勉強、運動、社交、恋愛、何をやらせても優秀な息子だ。決して親の欲目ではない。逆に私は、息子の優秀さに寒気を覚えることがあった。息子が垣間見せる能力には、子供の健気さや可愛げがなかった。凡夫の私の想像を常に超えて来る不可解な存在である。私とは似ても似つかぬタイプだ。私の家系に、息子のようなタイプの人間はいない。繰り返し言うが、妻や義父に似たのであろう。


 妻、義父、息子、酒を呑んで頬を赤らめる三人の顔を眺めながら、私の人生は、この者たちを引き立てる為にあるのかもしれないと考えた。これからもこの者たちの脇役に徹しよう、そう思ったのだ。私の人生なんて所詮その程度の価値しかないのだ。別に嘆いている訳ではない。むしろ清々しい気持ちだ。


 息子の大学合格祝いと称した今宵の宴は深まり、話題は、アキラの将来の話になった。


「アキラ、ママの言うことをよくお聞きなさい。これからの時代は、体制側に属していれば、安寧な生活が保障されると勘違いをしている、まるでパパのような人間は、真っ先に路頭に迷うわ。あなた達の時代は、強き個の時代。体制に属さずとも、インターネットで世界に個人を自由に発信出来る。パパのような平凡なサラリーマンになっては絶対に駄目。ママのように生きなさい」


「アキラ、爺ちゃんは、お前ぐらいの歳に、東京大学をバリケード封鎖したのだ。この国を変えてやろう、根底から覆してやろうと、同志と共に体制と戦ったのだ。お前も、男ならそれぐらいの大志を抱いて生きて見せろ。将来は、大事を成せ」


 妻と義父が、いささか悪酔いをしているようだ。


「とにかく、パパのような平凡なサラリーマンにだけはならないで。サラリーマン的生き方のくだらなさ、馬鹿馬鹿しさについては、今や有名な実業家やインフルエンサーたちが、インターネットや書籍で口を揃えて発信している。ママは、アキラに、ママや彼らのように世界に向けて独自の発信が出来る大人になって欲しいの」


「アキラよ、爺ちゃんはなあ、お前のパパのような『寄らば大樹』の精神が大嫌いだ。爺ちゃんは、若い頃から体制と戦ってきた。アキラよ、お前も体制にこびへつらうことなく、自分のやりたいことをやれ。しつこいようだが、お前の人生の主役は、誰でもない、お前なのだ」


 頭を垂れ、背中を丸め、私は、全力で萎縮をする。ああ、穴があったら入りたい。ところがこの時、それまでずっと黙っていた息子が、突然堰を切ったように話始めたのだ。


「ねえ、ママ。サラリーマンのどこがいけないの? 何がくだらないの? 考えてみなよ。個人の発信に不可欠なSNSを管理しているのは、サラリーマンだよ。発信に不可欠な、スマホやパソコンなどの端末機器を製造しているのは、サラリーマンだよ。スマホを充電するコンセントを設置するのは、サラリーマンだよ。そのコンセントに電力を供給しているのは、サラリーマンだよ。毎日会社勤めをする方々が、堅実に製造・管理をするその媒体を抜け抜けと利用しつつ、しゃあしゃあとサラリーマンをディスるという、まるで正気の沙汰とは思えぬインフルエンサーたちの所業、う~ん、悪いけどママ、僕にはそんな真似出来ないよ」


 妻が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。


「ねえ、爺ちゃん、東大安田講堂事件の後、爺ちゃんたちが破壊した安田講堂の修復費用にいくら掛かったか知っている? たしか一億や二億のはした金ではないよね。その修復費はどこから捻出された? 爺ちゃんたちが弁償してくれたの? 違うよね。当時の若者たちが騒ぎまわっている傍らで、地道に働き続けていた体制側の人々が必死で納めた税金を、その修復費用に充てたのだよね。ねえ、爺ちゃん。そもそも反体制を貫き通すのであれば、何故今、爺ちゃんは平然と年金を貰っているの? どうして今更体制に頼るの?」


 義父が、泡を喰って、落ち着きを失っている。


「二人には悪いけど、僕は大学で地道に勉強をして、将来は、パパのような普通のサラリーマンになるつもりだよ。普通のサラリーマンになったら、ママの大好きなインフルエンサーたちが、これからも好き勝手に世界に個人を発信出来るよう、しっかりと僕がSNSを管理し、末端機器を製造し、コンセントを設置し、電力を供給するから安心してね。そして万が一、この令和の世に、かつての爺ちゃんたちのような若者が現れて、また安田講堂を破壊するような事件を起こしても、国から速やかに修復費用が捻出されるように、しっかりと僕が税金を納め続けるから安心してね」


 息子も少々酔っているようだ。まったく、酒好きの連中ときたら、まったくもう。


「まあ! 可愛くない子!」


「ふん! いったい誰に似たのじゃ!」


「あはは、少なくともパパではないよ。さて、誰でしょう?」


 そう言って息子は、妻と義父を交互に睨み据えた。


「ママ、爺ちゃん、生意気を言ってごめんね。万年反体制のお二人の前で、あえて反体制の反体制を気取ってみただけさ。ちょっとした子供の悪ふざけです。他意はありません。許して下さい」


 それから息子は、珍しく語気を荒げてこう続けた。


「でも、一つだけお願いがあります。金輪際、僕の前でパパのことを悪くいうのは、やめて頂きたい。とても気分が悪いです。そして、とても悲しいです。僕はパパのように、陰から人をそっと支えてあげられる大人になりたい。パパは僕の憧れの人だ。パパは僕のヒーローだ」


 ああ、あの、アキラ、その、あれだ―― 私は勇気を出して三人の会話に割って入った。


「ああ、あの、アキラ、その、あれだ、もう大学生なのだから、パパと呼ぶのは、やめよう。え~と、その、これからは、お父さんと呼ぶように」


 トイレを借ります。そう言い残して、私は逃げるように宴の席を立った。


 個室に入り、便器に座って、トイレットペーパーを千切って、拭く。しばらく拭き続けていると、誰かがトイレのドアをノックする。


「ねえ、パパ、いつまで入っているの? はやく出てよ! 僕、オシッコ漏れそうだよ!」


 息子だ。ビールの呑み過ぎで、膀胱がパンパンなのであろう。激しくドアを叩いている。


「すまんな、あと少し待ってくれ」


 そう言って私は、またトイレットペーパーを千切って拭いた。


「はやく出てよ! ヤバいよ! 僕もう限界だよ! 漏れちゃうよ!」


 息子の悲痛な叫びを扉越しに聞きながら、私はトイレットペーパーを千切っては拭き、千切っては拭く。


「あと少し、あと少しだから」


 私はトイレットペーパーを千切っては、涙を拭き続けた。


 あと少し待ってくれ。あと少しで、泣き止むから。

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