125.自分の意思
「さあ、出発しましょうか」
カナタが裏決闘場の出場者として一足先に乗り込んだ翌日。
ドレスで着飾ったルミナ達もまた、裏決闘場の表の顔である賭博場のほうから乗り込む時間だ。
「ね、ねえ、これ変じゃない? 派手過ぎない……?」
「ふふ、似合っていますよエイミーさん」
「お似合いですエイミー様」
エイミーは周囲の目が気になるのか顔を赤くしながらいそいそと馬車に乗り込んだ。
ドレス姿の自分があまりに慣れないのかエイミーは手で顔や肩を隠している。
エイミーのドレスは白を基調としたシンプルなデザインであり、フリルのついたミントグリーンのドレスを着るルミナや目が覚めるような赤に金の刺繍をあしらっているロザリンドのドレスに比べれば大分落ち着いたデザインだ。
「
ロザリンドは言いながら馬車の御者と後ろの馬車どちらにも合図を送る。
後ろの馬車には同じくドレス姿で着飾ったルイとコーレナが乗っていて、時間をずらして到着する予定だ。
「うう……恥ずかしい……! なんか見られてたし……」
「エイミーさんが可愛いからですよ」
「ルミナは似合ってるからいいでしょうけど! こ、こんな肩丸出しのデザインだなんて……!」
「エイミー様、背中が丸まっていてよ」
「はいぃ!」
丸まるように座っていたエイミーはロザリンドの一言で姿勢を正す。
隣に座るシグリまでもその様子を見てくすりと笑って、エイミーは睨む。
ここ数日、ロザリンドからずっと姿勢についてみっちり叩き込まれたからか、エイミーは反射的に反応するようになってしまっていた。
「予定では夕方には到着して……賭博場の雰囲気を掴みながら掌握しましょうか」
「そのことに関してですがロザリンド夫人、何か案があるのでしょうか?」
「その点に関してはわたくしにお任せくださいルミナ様。息子の頼みですから」
ロザリンドは言いながら、エイミーをじっと見る。
数分、馬車が進んだところで優しく微笑んだ。
「本当に、とても姿勢がよくなりましたねエイミー様、数日でこの出来なのですから教えたほうとしても鼻が高いですわ」
「この数日、おばさんにずっと叩き込まれたからね……今なら頭の上に本を乗せられても余裕よ」
「ええ、本当によく、頑張りましたね」
同じ背格好のルミナの手伝いを借りながらロザリンドの指導は昨日まで続いた。
最初はただ厳しいだけかと思っていたが、出来た時はしっかりと褒めてくれるため今ではエイミーもあの時間が満更でもない。
数日の間接して、ロザリンドがどんな人物かはエイミーにもわかる。
物事をはっきりと言う誠実で公平な人間……だからこそストレートな褒め言葉が耳にすっと入ってくるのだ。
……だからか、エイミーはロザリンドのとある言葉がずっと引っ掛かっていた。
「ねえ、おばさん……何が、なるほど、だったの……?」
「はい?」
「ほら、カナタが最初に来て……私が姿勢とか作法とか習ったことがないって言った時……おばさん、なんか……納得したようにそう言ったじゃない……だから、何が、何に……納得したのかなって……」
あの時のロザリンドの呟きは何故かエイミーの耳にずっと残っていた。
これから賭博場に乗り込むという勢いからかその疑問をエイミーはぶつけてみる。
「ふむ……」
ロザリンドは少し考えるように頬に手を当てて、なぜかシグリのほうを見た。
「どうやら変に誤魔化されたくはないご様子。ですが、これはわたくしの推測になってしまいますし、話せばあなたをへこませてしまうと思うので気が進みません」
「いいの。私の常識とか今までとかはもう、カナタとルミナに一度断られた時にもうへこまされてるもの。それに、今の私何でも知って……受け止めなきゃいけないと思ったの……! だから、おばさんが気付いたことでも、なんでも……教えて……」
真っ直ぐにそう言ってくるエイミーを見てロザリンドはもう一度シグリを見る。
エイミーが身を乗り出す勢いで聞いてきているのとは正反対でシグリは黙ったまま。
ロザリンドはエイミーを真っ直ぐ見ながら、口を開く。
「あなたが姿勢や作法などについて、こんな事教わったことないと言った時、わたくしはトラウリヒという国特有のものなのかと思いました。国や文化が違えば重要なものも変わります、礼儀作法を優先しない国だってあるでしょう」
「うん……」
「ですがあの時、壁際に立っていたシグリさんの姿勢は間違いなく教育されたものでした」
「あ……」
エイミーははっとした表情を浮かべながら隣に座るシグリのほうを見る。
……ここ数日ロザリンドに教えてもらったからこそわかる。
隣に座るシグリの姿勢は一本の幹が立つかのように背筋が伸びていて、ロザリンドの言う美しい姿勢そのものだった。
「だから、あの時……シグリのほうを見てたの?」
「はい。その違和感からわたくしは推測致しました。もしやトラウリヒという国は聖女という役割の人間を長く
「どう、いうこと……? 何の関係が……?」
ロザリンドの話に集中するエイミーの隣で、シグリが唇を噛む。
「恐らく、聖女の役割は元々のカナタの役割と同じです」
「カナタ、と……?」
聞いてもどういう意味なのかエイミーにはまだわからなかった。
無理もない。カナタのことをよく知るルミナでさえわかっていない様子だ。
「カナタが養子ということは知っておりますか?」
「え、ええ、特級クラスに入る生徒は本国が事前に調べてたから……」
「カナタは元々、ルミナ様含めたアンドレイス公爵家に生まれた三人の子供の身代わりとして引き取られました。当主であるラジェストラ様は"
「なにそれひっど……え、ちょ、ちょっと待って……そのカナタと同じって……」
がらがらと走る馬車の車輪の音がうるさいはずなのに、エイミーには自分の鼓動のほうが大きく聞こえた。
一つ間を置いて、ロザリンドは少し躊躇いながらも言い放つ。
「聖女の役割はトラウリヒのトップである教皇の影法師……つまりは身代わりでしょう」
今までしていた相槌の声さえ、エイミーの口からは出なかった。
「恐らく、教皇も"
なので防衛策の一つとして別の"
「…………」
「"
エイミーは姿勢をそのままに真っ直ぐとロザリンドに視線を向けている。
……だが、その瞳に果たしてロザリンドは映っているのか。
真っ暗な視界の中、崩れかかっている精神を何とか支えて……耐えているようにしか見えない。
「そしてわたくしの推測が正しいのであれば、護衛騎士であるシグリさんはこの話に関与してはいけないと魔術契約が結ばれているはずです。わたくしの推測は聖女への侮辱と捉えられてもおかしくありません。今なら剣を抜いても無礼とは思いませんよ」
エイミーは縋るように、瞳に光を戻しながらゆっくりと隣のシグリに視線を向ける。
しかしシグリは否定も肯定もせず黙ったまま。
その無言がロザリンドの推測が真実であるという何よりの証拠になってしまった。
「礼法や作法は人や社会と長く付き合うための技術……だからこそ、聖女には優先されないのでしょう。わたくしがあの日なるほどと納得したのはそういうことです」
「は、は……」
エイミーがようやく出せたのは乾いた笑い声だった。
いや、笑い声というよりも……声を絞り出した結果、笑い声に似た声が口から漏れただけのようにその声には力がない。
ロザリンドの横で話を聞いていたルミナは心配そうに身を乗り出し、エイミーの手を握る。エイミーもまた縋るようにルミナの手を握り返した。
「わたし……わたしの、人生って……そんな……そうだったんだ……」
「エイミーさん……」
「わたし、教皇様の影……代わりに、死ぬために……生きてたんだ……そっかぁ……」
様々な感情が渦巻いて、エイミーの目からは涙すら出なかった。
物心ついた時には両親から引き離されて、聖女の力をコントロールするために学んでいた。
辛かった時も苦しかった時もある。それでも、聖女でいることは誇らしかった。
傷付いた兵士を初めて癒した時、民の作物を成長させた時、魔物の穢れを退けた時。
崇められて、かけがえのない何者かであるという実感が……あったはずなのに。
――それが本当は、教皇の代わりに表舞台に出ているだけの影だったなんて。
……誰か言ってよ。
一言、たった一言、それは違うって言ってくれたら。
たとえば留学してずっと味方でいてくれたシグリが一言でも、たった一言でも、それは違うって言ってくれたなら……目の前のロザリンドに無礼者と強気に、いつもみたいに丁寧な言葉遣いなんて全くない口調で、否定してやれるのに。
……魔物に襲われ続けても必死で生きている大好きな祖国のことを、信じられるかもしれないのに。
横を見てもシグリは黙ったまま、噛んだ唇から血を流しているだけで……何も言ってはくれない。
もう見たくないと駄々をこねるように、エイミーは背中を丸めようとすると。
「ん? 誤解しているようですね、それは違いますよ?」
「……え?」
あろうことか望んだ言葉は、今さっきエイミーをどん底に突き落とすような推測を話したロザリンドの口から聞こえてきた。
てきとうな慰めなどではない。そういうことをしない人間だと思っているからこそ先程の言葉にエイミーは打ちひしがれたのだから。
「わたくしは聖女の役割がそうであると言っただけで、
「なに……それ……」
「トラウリヒが求める聖女の役割はわたくしの推測通りかもしれませんが、あなたがその通りに振舞って生きる必要はありません。あなたには意思があり、望むこともあるでしょう。極端な話をすれば、国に失望したのならどこかに亡命したってよいのです」
「な……!」
声を上げたのはずっと黙ったままだったシグリだった。
聖女の役割についての話でなくなったからか口を挟めるようになったのだろう。
しかし即座にロザリンドがシグリを制止するように手を伸ばす。
「同じような役割を与えられたカナタは公爵家の想像を上回り、今や身代わりなどではなく公爵家からの信頼を得ております。与えられた役割に従ったのではなく、カナタ自身の生き方を貫いたことによって周囲の認識を変えました」
「カナタ……が……?」
「ええ、今やカナタを身代わりだと思っている者など一人もおりません。」
エイミーは再び、ロザリンドの話に耳を傾ける。
握ってくれているルミナの手から体温が伝わってくるのを感じた。
「あなただって出来るはずです。肩書き通りに生きることしかできないなんてことはありません」
「でも、私ずっと……聖女として、生きてきたから……どうやって……」
「出来ているではありませんか」
「え……?」
「わたくし達が今こうしてご一緒しているのは、聖女の肩書のおかげではなくエイミー様が努力した結果でしょう?」
ロザリンドは微笑む。
先程エイミーを褒めた時の同じ表情で。
「カナタとルミナ様に一度断られてもめげずにもう一度挑戦して協力を取り付けたのも、今背筋を正して美しい姿勢で座れているのもあなたが努力したからです。
聖女の役割に従ったわけではなく、あなたがそうあるべきだと自分の意思で歩んだ結果でしょう?」
「私の、意思……」
「そうして望む結果を自分で手に入れようとした過程や経験から自分の生き方や自信、そして誇りというものが生まれるのです。それらは決して大層な肩書きが自動的に持ってきてくれるものではありません」
エイミーは聖女という肩書きを振りかざしていた時の自分を思い出す。
あの振る舞いは自分の中に何かを残してくれたのかを考えて、浮かび上がったものは何もなかった。
それよりもここ最近、疲れながらも駆け回っていた自分の姿が思い浮かぶ。
「色々なことを経験し、学び、そして自分が何をしたいかを決めなさい。今はショックが抜けないかもしれませんが……国が求める聖女という役割に引きずられることなく、自分の意思で歩くのです。
考えた結果、聖女の役割があるのは仕方がないと割り切れる時が来るかもしれません、聖女としてと立ち上がる決意をするかもしれません、もしかしたら教皇が許せないと思う時が来るかもしれません。そう思う時が来れば蹴飛ばして縁を切ってやりなさい。
自分で考えて決め続けて、そうやって歩んだ先に見えた道を選び取る時が来るでしょう。それがあなた自身の生き方となるのだと、わたくしは思いますよエイミー様」
エイミーはそれ以降、進む馬車の中ずっと黙ったままだった。
ルミナやシグリが心配そうに気にかけてもずっとどこか一点を見つめている。
ロザリンドだけは心配する様子なく、賭博場に到着するまで外の景色を眺め続けていた。
――――
いつもありがとうございます。
トラブルで昨日投稿できなかった更新分となります。今日の分の更新は夜にもう一度あります。
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