122.母上
「ただいま戻りました」
エメトとの面談を終えて、カナタは学院近くの高級宿屋へと立ち寄った。
夕方にはロザリンドが到着していて、ここで泊っている手筈になっている。
三階の角の部屋……その扉をノックするとルイが出迎えてくれた。
「おかえりなさいカナタ様、どうでしたか?」
「ばっちり、というより思ったよりあっさり……血の気の多い人間っぽく振舞ったは振舞ったんだけど、それにしても早くて……」
招待状を手に入れることに成功こそしたが、少し引っ掛かりもした。
カナタの実力を知らない相手からすればたかが子供の脅迫だ。あそこから背後の魔剣士を制圧して改めて招待状を
「まぁ、貰えたんだから今は気にしないでおくよ。母上は来てる?」
「はい、あちらに」
貴人向けの宿屋だけあって部屋は広く、カーペットは柔らかい。廊下にはカナタにはよくわからない調度品も多くあった。
ルイに案内されてリビングへと行くとそこにはソファに座るロザリンドと、
「もっと背筋を意識しなさいな、表情は微笑むように」
「は、はひ……」
本を頭に乗せて部屋の中心に立つエイミーがいた。
エイミーは本を乗せて立つだけで限界なのかぷるぷると震えている。
護衛騎士であるシグリは何も手助けできることがなく、ロザリンドが連れてきた使用人と一緒にただ壁際に立っていた。
「あら、久しぶりですねカナタ」
「か、カナタ!? ど、どう? うまくいった!?」
「そのまま」
「はい……あ」
目だけでカナタのほうを見るエイミーはロザリンドの一言で正面に視線を戻す。
しかしそれだけでもバランスは崩れてしまったのか本はぐらぐらと揺れて、床に落ちた。
「まあ、一度休憩としましょうか」
「ぷはあ……」
気の抜けたような声とともにエイミーの身体がふわりと浮き上がる。
すぐさまシグリがグラスに水を注いでふわふわといつも通り浮いているエイミーに差し出した。
よほど疲れたのか、エイミーは喉を鳴らして一気に水を飲んでいる。
「母上、これは……?」
「近々、賭博場に行くのでしょう? だというのにエイミー様と来たら立ち姿すらなっていなくて……急遽、指導していたところです。私の同伴者としてご一緒するわけですから最低限は身に付けて貰いませんと、何がきっかけでばれるかわかりませんから」
「な、なるほど」
「それよりもカナタ」
ロザリンドはそう言ってソファの上で手を広げる。
流石のカナタもロザリンドが何を求めているのかはわかったが……カナタとて年頃の少年ではある。誰も見ていないならまだしも、エイミー達に見られながらでは流石に躊躇いがあった。
「来ないのですか? ではこちらから」
「わぷ」
カナタが躊躇しているとロザリンドは立ち上がってカナタを包み込むように抱き締める。
反射的に離れようとしたが、カナタを抱き締めるロザリンドの力は強い。
大人だからとか子供だからとかではなく、母だからこその力がそこにある。
「は、母上……恥ずかしいです……」
「母と子が久しぶりに会ったのです、何を恥ずかしがることがありましょうか」
胸に埋まった顔を動かしてロザリンドの顔を見上げると、明かりに照らされた空色の髪がカナタの目に入る。
外はもう日が落ちているというのにここだけ青空があるかのようだ。さしずめカナタを見つめる瞳の輝きは太陽か。
「……いいなぁ」
抱き合う二人を見ていたエイミーがぽろっと零す。
カナタがされるがままになった後、ロザリンドがカナタを解放する形でようやく再会の抱擁は終わった。
「る、ルミナ様とコーレナさんは?」
「お二人は寮のほうへと戻っていますよ、カナタの帰りを待てないのを残念がっておりました」
「すいません、尾行を確認しながらだったので……」
「カナタがうまくいったのなら後は……エイミー様に最低限の立ち方と歩き方を覚えていただくだけですわね」
「ひい!」
カナタがいない間にどれだけ厳しく叩きこまれたのか、エイミーは悲鳴を上げる。
「全く、ぷかぷかと浮いて楽をしているから立ち方や歩き方などの基礎が疎かになるのですよ」
「いや、あれは楽してるわけじゃなくて……!? は、初めて言われた……」
失伝魔術の影響で浮いているのを楽で片付けるのはロザリンドだけであろう。
立ち振る舞いや言葉遣いなどの貴族との基礎教育を重んじるロザリンドだからこその意見だろう。これもまた、考え方の違いである。
「だ、だってしょうがなくない……? こんな事教わったことなかったし……」
「え?」
「へ?」
「……!」
エイミーの発言で、しん……と部屋は静まり返った。
自分の発言をきっかけにカナタ達が言葉を失ったのを見てエイミーは不安そうに目を泳がせる。
「そんな馬鹿な……使用人の私でも覚えさせられるのに国外に留学する方が……?」
「そうなの……? カナタも……?」
ルイの言葉でさらに不安になったのかエイミーはカナタを見る。
「自分は母上に叩きこまれましたね……とはいえ、自分も覚えるのは遅かったので今から覚えれば問題ないんじゃないでしょうか」
「そ、そうよね!? 頑張るわ! これができないと怪しまれちゃうかもしれないんだもの……これでも覚えは早いほうよ!」
エイミーはもう一度浮くのをやめて、本を頭の上に乗せてバランスをとる。
背筋を伸ばし、姿勢を正す。言うだけあって先程よりも安定感があった。
「ちなみに、どうやって浮くのやめてるんです?」
「え? ああ、普段刻まれてる術式に流れてる魔力を止めるのよ。慣れてないからこっちのが疲れるのよね……。無理矢理魔力の流れを変えてるからさ……」
「ああ、そうか……術式が魔力に反応しなければいいのか。なるほど、大変ですね……」
「というかエイミー様、失伝魔術のことなのに普通に教えてよかったんですか?」
「あ、そっか!? って、あああああ! ルイのせいでまた落としたじゃない!」
「え!? 私のせいですかこれ!?」
エイミーの作法の稽古にカナタが加わり、少し騒がしくなる。
子供達の微笑ましい光景だが……ロザリンドはそちらよりも護衛騎士のシグリのほうをちらりと見た。
シグリは先程の会話に反応する気配も反論する様子も無く、今はただエイミーを見守っている。
「なるほど……聖女、ですか」
そう呟くロザリンドの瞳には一瞬憐みが湛えられていて、感情を振り払うかのように首を振った。
そんなロザリンドの様子をちらりとエイミーが見ていたことに気付く。
「あら、こちらを見るとはずいぶん余裕があるようですねエイミー様?」
「え!? そ、そういうわけじゃ……!?」
「どうやら私の指導が甘かったご様子……これは今日の夜は長くなりそうですね?」
「えええ!?」
「はは、懐かしいなあ母上の基礎教育……俺も何度もこうして言われたっけ……」
「カナタ!? 何辛そうな私を見て懐かしんでるのよあんた!?」
こうしてエイミーへのスパルタは湯浴みの前まで続いた。
幸い明日は休日。たとえ筋肉痛になっても安心である。
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