110.主導権

「え? え? ちょっ、ちょっと……もう一回聞かせてもらえる……?」


 昨日と同じ空き教室にて、同じようにカナタ達は集まった。

 今回は側仕え共に話を通しているのでルイやコーレナ、そしてエイミーの側仕えも同席している。

 そんな場で昨日とは表情が一変してしまっているエイミーにルミナはきっぱりと言い渡す。


「ですから、今回のお話はお断りいたします。口外はしませんのでご安心ください」

「あ、あの流れで私の提案、断られるの……?」


 エイミーは信じられない、といった様子で二人を睨む。

 どうやらエイミーは自分の提案が通るに間違いないと思い込んでいたらしい。

 思い通りにならなかった怒りからか悲しみからか、エイミーは拳を握りながらふるふると震え出す。


「な、何でよ……! その、聖女との人脈、欲しくないの……? "失伝刻印者ファトゥムホルダー"の情報だって……」

「情報についてはエイミーさん以外からでも手に入れる方法がありますし、人脈のほうも昨日のやりとりを考えると期待できないと判断しました。昨日聞かせていただいたエイミーさんの使命の重要さを考えると、報酬としては釣り合いません」

「え、え……? え……?」


 ルミナはカナタのほうをちらっと見る。


「人脈というのは確かに大きな繋がりですが、昨日のエイミーさんの話し方からするとあなたの気分次第という様子で人脈と呼べるほど確かな繋がりを得られるとは思えませんでした。失伝魔術については、ここは魔術学院ですから」

「は、話し方……? 何を言っているの……?」


 自分の思い通りにならかったことに動揺しているのかエイミーはおろおろと自分を指差すだけだった。

 昨日とは打って変わってどこか弱弱しい。何を言われているのかわかっていないといったような表情のままカナタのほうを見る。


「あなたには治癒魔術について教えてもらったことがあります。そのお礼としてイーサン先輩を紹介するくらいの協力はできますが……それ以上は約束できません。あなたの指示で動くなんてしませんし、危険な魔道具についてのお仕事にルミナ様を巻き込むのは無理です」

「で、でも、あ、あなたのせいで私……」

「結果的にあなたの邪魔になってしまったかもしれませんが……自分はイーサン先輩を助けたかっただけで、あなたの仕事を邪魔したいからとやったわけではありません。それを理由にあなたの仕事の責任を担がされるのなら、そもそもこれは最初から取引とは言えません」

「で、でも……でも……」


 昨日は同年代同士の戯れだと思っていたからカナタも受け身になっていた。

 首を掴まれる八つ当たりくらい受け止めてもいいし、怒鳴られるくらい別にいい。

 だが仕事の話となれば話は変わる。はっきりと自分の意見をぶつけて、エイミーはでもでもを繰り返す。

 普段他人に対して威嚇しているかのような棘のある態度が、今はどこにもない。

 それでもエイミーは顔を上げて主張した。


「私、聖女よ……?」

「はい、わかっています。その上での結論です」


 ルミナが答える。

 その変わらない返答にエイミーは歯噛みする。


「デルフィ教の象徴の一つで、トラウリヒの……聖女だって本当にわかってる?」

「エイミー、さん……?」

「報酬なんて、あるだけいいじゃない? でも私……お礼のつもりで……。だって、私に協力するだけで、誇らしい・・・・でしょう……? そうでしょう……?」


 まさかの言葉にルミナは虚を突かれて、言葉が一瞬止まった。


「誇らしい……とは……?」

「違う、の……? だって、みんなは……」


 隣で聞いていたカナタはその様子で、ようやくエイミーを少し理解できた気がした。

 理解してしまったからか、悲しそうな表情を浮かべて……初めて同情してしまう。


 聖女とはデルフィ教の象徴、教皇と並ぶ存在。

 彼女が一つ声を掛ければデルフィ教徒はありがたく従い、代わりに彼女が祈るだけでトラウリヒの民は満足だっただろう。周りの大人もその光景を見て平和そうに頷いていたかもしれない。

 聖女の声を聞き、聖女のために動くことがデルフィ教徒として誇らしいから。

 口の悪さすら、親しみやすさと受け取られていたのではないだろうか。

 エイミーにとって、自分の頼みを聞いてもらうことは当たり前なのだ。彼女は聖女で周囲は彼女をありがたがる教徒ばかりだったから。

 聖女としての自分の頼みごとを断られる経験などあるはずなく、ルミナに情報を提供するということすら彼女にとっては他国の人間相手に奮発したような気分だったのかもしれない。

 だが、ここはトラウリヒ神国ではなくスターレイ王国。デルフィ教は有名ではあるがトラウリヒのように国教となって国を動かすほどではなく、聖女そのものをありがたがる者はほとんどいない。


「……ここはトラウリヒではないですよ?」

「し、知ってるわよ! だからどうしたの!?」


 ……彼女はそれを、理解できていない。

 土地が変われば人も、常識も、規則も、文化も、生き方も変わる。

 他所から来た人間が自分のルールをその土地に押し付けようとすれば、絶対に軋轢あつれきが生じてしまう。別の土地に訪れる時に大切なのはその土地に順応しようとすること。

 ここでは彼女が祖国でしていたような振る舞いは通じない。

 戦場漁りとして各地を回っていたカナタには、それがよくわかっていた。


「いつまで肩書きを振りかざしているんですか?」

「な、なによその言い方……!」

「ここはスターレイ王国で俺達はお互いラクトラル魔術学院の生徒ですよ。聖女という肩書きには敬意は表したり、気を遣ったりはしますが……俺達にとってただのクラスメイトであることに変わりありません」

「え……た、ただの……? 私が……?」

「はい、それ以上でも以下でもないです。わかりやすく言えば、俺にとってはあなたより側仕えのルイや主人であるルミナ様のほうが大切です」


 カナタの不意打ちに隣のルミナと後ろにいるルイの感情が荒れ狂う。

 カナタが真剣な様子なので二人共、平静を装っていたが……ルミナはその声を耳に残るように何度も繰り返し思い出し、ルイは口元がによによと緩んでいた。


「……俺は養子です。ディーラスコ家の方々はとてもいい人達ばかりでしたが、それでも養子になる前の生活をそのままするわけにはいきませんでした」

「急に何……?」

「父上から出された課題をクリアできず、母上に叩きこまれる基礎教育も最低限こなせなかったら……家の人間として扱われず、兄上は俺を疎んだままだったと思います。使用人の人達や騎士団の一部の人の目も厳しいままだったでしょう。

今は母上のおかげで最低限の振る舞いができるようになって、家の人達にもよくしてもらっています」

「だから何よ……?」


 エイミーにはカナタが何を言いたいのかわからない。

 これはカナタが自分の経験を踏まえた善意の助言だった。

 戦場漁りの小汚い子供のままではいられなかった、自分の。


「あなたはどうですか?」

「え?」

「トラウリヒではこうだったからとここでも聖女として振る舞い続けますか? それとも、ラクトラル魔術学院の生徒エイミーさんとしての振る舞い方をしますか?」

「わ、たしは……」


 エイミーはカナタの真っ直ぐな視線から目を逸らし、ルミナを見る。

 そしてルミナからも目を逸らして、自分の側仕えに助けを求めるように振り返った。

 側仕えはエイミーの目を見ようとしない。敬意を払うようにルミナとカナタのほうを見ていた。

 エイミーはどうしたらいいかわからず、下を向く。


「わ、わかんないわよ……だってずっと、私は聖女で……みんなそれが……」

「一度、俺のお願いで特級クラスのみんなから色々教えてもらうために、みんなで集まった事がありましたよね。みんなで集まってわいわい騒がしかった時です」

「ええ、あったわ……」


 カナタが特級クラスの面々に頼み込んで教えた時をエイミーも思い出す。

 忘れたくても忘れられない。エイミーにとっては同年代の人間とあんなに騒ぐなど初めての経験だった。


「あの時のエイミーさんは聖女様でしたか? それとも生徒でしたか?」

「……!」


 今思えばおかしな時間だった。

 明確な対価を約束するわけではないのに、互いの力についてあーでもないこーでもないと騒ぎ、シャンクティに止められるまで話していたあの時間。普通ならば有り得ない。

 あれは聖女の威光の下に集まった時間だっただろうか?

 いや違う。カナタの意欲に刺激されて……同じ特級クラスの生徒としてこれから数年間、切磋琢磨する仲間同士だと互いに受け入れたからこそ起きた時間だった。


「……し……いい……?」

「……?」


 下を向いたまま、ぼそぼそと小さい声でエイミーが何かを言う。

 カナタとルミナが聞き取ろうと耳を向けると、エイミーは勢いよく顔を上げた。


「どうしたらいい……? このままだと、命令を果たせない……それはわかったわ……。でも、どうしたらいいの……!? 聖女であることが、意味がないなんて、私、わからない……!」

「エイミーさん……」

「多分これも、私にとって都合のいい話なのよね……? どうしたらいいって……あなた達に聞く事もきっと……」


 顔を上げたエイミーの目には涙が溜まっている。

 今までの振る舞いは通じない。聖女へと捧げる誰かはここにはいない。

 自分が生きてきた当たり前が離れた感覚に何かを感じたのか、それとも祖国を離れたと今になって実感した心細さからか。


「でも……何の成果もないだなんて、私が、そんな……それだけは駄目だから……」

「エイミーさん……」


 ルミナは隣のカナタをちらっと見る。

 カナタがエイミーを見る目は変わっていない。


「お願い、知恵を貸して……貸して、ください……」


 昨日のような言い掛かりから始まる要求でもなく、聖女としての当たり前でもなく。

 エイミーは初めて、一人の少女として二人を頼った。


「察するに、現地の協力者が欲しいんですよね?」

「うん……」


 そのせいか、エイミーはカナタの問いにも驚くくらい素直に答えた。

 昨日だったら隠すかはぐらされるか、荒い口調で返されていたかもしれない。


「なら簡単ですよ。それくらいは教えます。言ったでしょう、治癒魔術のことを教えてもらったお礼に少しくらいは協力すると」

「ほ、ほんと……?」

「ルミナ様、それくらいはいいですよね?」

「ふふ……」


 カナタがルミナのほうを見るとルミナは嬉しそうに微笑んでいた。


「ルミナ様?」

「ごめんなさい、カナタらしいやり方だと思っただけです」

「……?」

「はい、カナタが手に入れた・・・・・一件ですからカナタにお任せします」


 カナタは首を傾げる。

 手に入れた、というのはどういうことだろうか。


「……自然に主導権を握ったな」


 ルミナの後ろで話を聞いていたコーレナがぽつりと呟く。

 どういう意味? と聞きたげに同じく後ろで話を聞いていたルイはコーレナのほうを向く。


「これでどこまで踏み込むかどうか……聖女ではなく、カナタ様次第になった」


 カナタは気付いていない。

 ただ断るよりもメリットを生む状況を作り出したことを。

 彼は無自覚に、聖女の使命を掌握した。

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