106.闊歩する怪物
「ふう、怒られ終わった……」
魔力切れから目覚めて、カナタを待っていたのは学院長からの賞賛と実技担当であるシャンクティからのお怒りだった。
渡り廊下をぐちゃぐちゃにしておいてその程度で済んでいるのは、実質学院長が焚きつけたようなものからだろう。
シャンクティからのお怒りも要約すると、もう少し大人しくやれ、とのことだった。
あれから二日しか経っていないが、イーサンが踏み抜いた板の床はすでに補修されていて渡り廊下以外は元通りとなっていた。
カナタのボロボロになった制服も元通り……なわけはなく、予備のものだ。
このペースで制服が着れなくなっていくのであれば、これから卒業までに何着の制服を使うことになるのか見物である。
「あれ?」
「やあカナタ」
特級クラスの教室に向かおうとすると、一年生の教室が並ぶ廊下にイーサンが立っていた。
その巨体は目立っていて、他の一年生にじろじろと見られている。
噂の怪物が徘徊せずに廊下で立っている上に、二メートル以上ある巨体なのだから目立たないわけがない。
「もう体はいいんですか」
「ああ、学院長にも見てもらったが……術式のほうは綺麗さっぱり消えていて問題はないそうだ。むしろ、君の魔術で叩きつけられた時の怪我が痛むかな」
「あれは、その、すいません」
「冗談だよ。こうして冗談を言えることができるようになったんだ」
二人は並んで特級クラスのほうへと歩を進める。
そうなって注目度はさらに上がった。
知らない者からすればどういう組み合わせなのかと不思議がるのも無理はない。
「君には礼を言っても言い足りない。僕を助けてくれてありがとう」
「いえ、自分の魔術を確かめるためでもありましたから」
「それでも、僕は助かった。本当にありがとう」
歩きながら真っ直ぐにお礼を言われてカナタは微笑む。
礼を言ってくるイーサンの顔はもう戦場で見るような顔ではなくなっていた。
穏やかで解放されているのがわかる。もう縄はいらない。
「これから先輩はどうするんですか?」
「研究を続けるよ」
「……あんなことがあったのにですか?」
「ああ、でも前のように違法魔道具を直接調べて、というのはしない。君から受けた魔術をヒントにしようと思うんだ。違法魔道具の術式を解析して一気に問題を解決するのではなく、怪我の治療のように個人個人を見ていく形なら時間はかかるが何とかなるかもしれない」
前向きにこれからの方針を語るイーサンをカナタは尊敬の念を抱く。
術式に精神をやられていただけで、元はこんなにも強い人だ。
でなければ、そもそも留学の時に見た他国の人間を救うために研究しようだなんて思わないかもしれない。
「それに、卒業のために実績を積まなければいけないからね。僕はずっと休学扱いだったから……こんな歳でもまだラクトラル魔術学院の生徒だ。しっかりと自分の分野を研究しないと先生達にも申し訳ないからね」
「真面目ですね」
「これでも優等生だったんだ」
イーサンは不意にカナタと視線を合わせるように中腰になる。
「カナタ、改めてありがとう。僕は五年の特級クラスに所属している。当分は実技用校舎の研究室で寝泊まりをするから困った時はいつでも訪ねてくれ」
「はい」
「この恩は忘れない。僕はどんなことがあっても、君の味方になろう」
その目はどんな契約よりも固い約束を語っている。
縄を求めて徘徊していたような無気力さはどこにもなく、堂々と。
「何かすぐに返せるものはないかな」
「自分が勝手にやったことですし、もう
「
「ええと、実は……」
小さい背中と大きな背中が並んで、一年生の廊下を歩く姿を他の一年生は後ろから眺めていた。
宮廷魔術師を倒した怪物と縄を求めて学院を徘徊する噂の怪物。
二人の怪物が学院を闊歩する姿を物珍しそうにしながら。
イーサンと別れて特級クラスの教室の近くまで行くと、何やら教室が騒がしい。
「どこにいるのよあなたの側近は!」
「で、ですから呼び出されたと……」
何か言い争うような女性の声が聞こえる。
カナタが扉を開けて教室の中に入ると、ルミナとエイミーが対立するような構図になっている。
ルミナに詰め寄ろうとするエイミーと付き従う後ろの護衛、そしてルミナを後ろに下がらせて詰め寄らせないようにしているコーレナとルイ、何故エイミーが怒りを露わにしているのかわからない様子のルミナ。
扉の音で注目はその二組の言い争いから扉を開けたカナタへと移った。
「カナタ様!」
「か、カナタ……」
「えっと、一体何が……?」
カナタの姿を見てルミナとルイがほっとしたような表情を浮かべる。
一体教室で何があったのかカナタにはわからない。
教室にいる他のクラスメイトもどうやら同じらしく、視線をやっても首を振っていた。
「あ……あなた……!」
エイミーは矛先を変えて、ルミナではなくカナタのほうへと。
というよりは、元々カナタへ向けての怒りだったのだろう。
ふわふわと浮いているのは相変わらずだが、エイミーの表情は今まで見せていたカナタへの嫌悪は怒りへと変わっていて、近寄ってくる様子は力強い足音が聞こえてきそうだった。
「あなた……なんてことをしてくれたのよ!!」
「な、なにが……でしょう……?」
新しいものに変えたばかりの制服の胸倉をカナタは掴まれる。
身に覚えのない怒りをぶつけられて、わけはわからないまま。
胸倉を掴まれ、深い緑色の瞳に睨まれながら……カナタはその聖女らしからぬ迫力に、言葉遣いを丁寧にしながら聞き返すことしかできなかった。
――――
お読み頂きありがとうございます。
ここで第四部「闊歩する怪物」終了となります。
次の本編更新から第五部となります、応援よろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます