105.飽くなき者

「本当は第一域を中心にしてゆっくり魔力を使わせる予定だったけど……思ったより強い魔術ばかり使ってきたから焦りましたよ」

「そう、だ……僕は……」

「自分の状況が、わかりますか……?」


 倒れるイーサンの前にカナタは膝を突きながら語り掛ける。

 出来るだけ目線を合わせようと思ったが、イーサンはうずくまるように体を縮めた。

 追ってきている時は大きな熊のような迫力があったというのに、その影はどこにもない。


「わかるさ……。わかっているさ……。すっぽり抜け落ちていればもっと……何年、経ったんだ……?」

「四年です」

「は、はは……四年、四年か……四年……僕は……。四年も、僕は……何の意味もない、嬉しくも悲しくもない、四年を過ごしたのか……」


 イーサンは涙声でそう言って、自分の顔を手で覆った。

 カナタは何の言葉もかけられなかった。

 違法魔道具に苦しむ人達を善意で救おうとした結果が、学院をただ徘徊するだけの四年間。

 その間のことはたとえ覚えていても別人の記憶のようにしか思えないだろう。

 しかし残酷にも過ぎた時間は平等だ。


 学院に入学して数週間何もしなかった自分にカナタは不安を覚えた。シャンクティの言葉を聞いて、養子でしかない自分が入学したことに安心していたのかもしれないと悩んでルイに零すくらいに。

 数週間ですら不安を覚えたというのに、結果的に四年の歳月を無為に過ごしたことになったイーサンが一体何を思うのかなど想像もつかない。

 ただ助けたいと首を突っ込んだだけのカナタに何も言えない。


「四年も、僕は……あの人達を救えなかった……」


 イーサンは思い出す。

 今も牢屋に閉じ込められているであろう違法魔道具の被害者を。

 救いたかったから研究しようとした結果が同じ目に遭うだけ。

 どれだけ自分を情けなく思ってしまうだろう。他の誰もが慰めようとも、責める自分はきっとい続ける。


「四年も、先生達に迷惑をかけたのか……」


 イーサンは想像する。

 見ていた幻覚の向こうには学院という現実があって……生徒にとって得体のしれない自分が徘徊することを許容した教師達の懐の広さが。

 噂という形で学院の一部のようになっていたのが、そもそも教師の誘導によるものなのかもしれない。


「四年も……僕は……ずっと幻覚の中で……何も……」

「…………」


 カナタはただ黙ってすすり泣くイーサンを見守っていた。

 今、イーサンを助ける話をすることはできない。

 過ぎた四年を惜しむのも公開するのも悲しむのもイーサンだけの特権。

 全てを吐き出した上で、イーサンは望まなければいけない。

 四年が過ぎた事実を受け入れて前に進むことを、望まなければ……カナタには手が出せない。

 誰かを助けるというのはただ素晴らしいだけのように見える。

 けれど、助けてもらうことを望んでない者を助けることはできない。

 それは本人にとって、救いではないかもしれないから。

 イーサンが四年の歳月に絶望し、再び幻覚ゆめの中に戻って何も考えたくないと言うのなら……カナタはその足で寮の自室に帰ることしかできない。



「僕は……間違ってたのか……」

「そんなことない」



 それだけはとカナタは声を上げる。

 イーサンが顔を覆る手をとった。その表情は涙と後悔でぐちゃぐちゃになっていたが、カナタの悲痛な顔にイーサンははっとするように目を見開く。


「起こしたことの善悪や間違いはきっとあって、結果に対する責任はあるんだと思う。手放しに肯定されるべきじゃないことだってあると思うよ。

けど……でも、誰かを助けたいと願ったり、思ったりすることが……間違いなんかであるはずがない。あるはずがないよ」


 イーサンは結果的に何も救えなかったかもしれない。

 けれど、その願いや思いはきっと間違いなんかじゃなかったとカナタは思う。

 その言葉はイーサンにとってただ聞こえのいい慰めに聞こえるかもしれない。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 最初の思いさえ間違いだと本人が思ってしまったら、四年も幻覚に苦しんでいた時間が無意味どころか罰であるかのようではないか。


「そう、言ってくれるのか」

「はい」

「そう、思ってくれるのか」

「はい」

「こんな……愚かな男に……」


 ただ助けたかった。そう思った。

 そして目の前の後輩も、自分に対してそう思ってくれている。


「ああ、現実も……捨てたもんじゃないな……」


 たったそれだけのことがイーサンとって嬉しく思えた。

 かつての自分も牢の中にいた兵士達に対して同じように思っていたはずだから。


「僕を助けてくれるのか……?」

「そのために、あなたを止めた」

「そうか……」


 情けないことに後悔はある。助けたいなどと思わなければよかったと。

 今すぐ幻覚ゆめの中に戻って、無意味に四年が過ぎた現実から逃避してしまいたい。

 だが、ここで差し伸べられた手を振り払って幻覚に戻って……目の前の少年に自分を救わせなかったら、それは昔の自分を否定するような気がした。

 目の前の少年が自分の思いを肯定してくれたことに、報いたい。

 ただその一心でイーサンはカナタの魔術を受け入れることを決めて穏やかに目を閉じた。


「ああ、これから四年間を取り戻せる自信も勇気もない……生きたいと思えるかもわからない。けれど、君に助けて欲しいと思うのは、選んだことにはならないかな」

「十分だ」


 カナタは残った魔力を総動員する。

 頭に浮かぶ魔術の名称に集中して、書き換えて、自分の魔術に。

 狙うはイーサンの中にある違法魔道具の術式。後天的に宿された明確な異物。


 この魔術をカナタは唱えることができなかった。

 ルミナに言われた通り、魔術滓ラビッシュを宝だと思っている自分が術式を忘れさせる魔術を振るうなどイメージができない。

 ……今までのカナタなら。


「……っぅ」


 クラスメイトのアドバイスを思い出しながら魔術を構築する。

 エイミーからは他者の体に魔術で干渉する感覚を。

 イングロールからは他者の術式に触れる感覚を。

 自分では使えないものでも、得られるものはある。


 世界にいるのは自分だけではない。


 自分とは違う人、違う思い、違う能力、誰かが辿ってきた誰とも違う人生の果てに人が抱く思いや信条は形を変えて、人の数だけ生まれていく。

 カナタが忘れたものを取り戻したいと強く思って『虚ろならざる魔腕うつろならざるかいな』を作り直したように……何かを忘れたいと強く思う人だってどこかにはいる。

 自分ではない誰かのことを時に理解し、時には取り入れて、時には遠ざけて、人は自分という世界を広げていく。

 ここラクトラル魔術学院は、自分とは違う同年代の人間が集まる……魔術を学びながら、自分の世界を広げていくための場所。


「自分が見る世界をほんの少し、よくしていく」


 ウヴァルの言葉を思い出して、カナタは微笑む。

 理解できず、唱えても形になることはなかった忘却の魔術。

 デナイアルが作り上げた魔術をそのまま作り上げようとするのではなく、カナタなりの思いを込めて自分なりに形を変えた。


「『無感動の落胤むかんどうのらくいん』」


 初めて、元の魔術よりも領域を下げるように魔術を書き換える。

 第四域の力を第三域に。カナタの手でも忘却の力がコントロールできるように。

 目を閉じたイーサンに、涙を流す仮面が付けられる。

 デナイアルが使ったようにそれは戦闘の切り札と呼べるような魔術ではなくなった。

 それでもカナタは、この使い方を望んだ。

 忘れて苦しませるのではなく、苦しみを忘れられるような魔術にと。

 自分とはかけ離れたものを取り込んで、カナタはまた前に進んだ。


 魔術を唱え終わり、イーサンの顔から涙を流した仮面がぽろっと落ちて砕け散る。

 残った全ての魔力をその魔術に持っていかれて、イーサンがどうなったかを確認する前にカナタはその場で倒れた。


「君の、君の、名前は……!?」

「――カナタ」


 意識を失う間際、自分が何者かを示すようにカナタは自分の名を口にした。

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